ブラジルでモーターサイクル・ダイヤリーズを思い出した話 | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

ブラジルでモーターサイクル・ダイヤリーズを思い出した話


昨日の続きみたいな話。




2005年ぐらいに見た、


チェ・ゲバラの半生を描いた映画。

 

 


カストロ議長とともに、


キューバ革命を起こした革命家、


チェ・ゲバラは、金持ちのボンボンとして生まれた。


すべからく金持ちは「自分探し病」にかかるのか、


チェ・ゲバラが特別だったのか知らないけど、


ゲバラは医学生時代に、


バイク1つで、南米一周の旅に出る。


、、、という筋書き、


というか実話。

 

 

 


構成としてはロードムービーで、


旅先でゲバラがいろんな人に出会い、


いろんな会話をするのを淡々と描写するだけ。


二つの重要な出会いがあった。


ひとつは、チリだかどこかで、


貧困にあえぐ仲間たちと連帯し、


この不合理なアメリカ発信の「資本主義の犠牲者」を、


これ以上増やさないことを決意する、


共産党員のおじさん。


おじさんの話にゲバラは惹きこまれる。

 

 

 

 

もうひとつの出会いは、


(確かこれがゲバラの旅の目的だったんだけど)


カトリック教会がやっている、ハンセン氏病の療養施設。


これはどこの国だったか、忘れてしまいました。


ここでゲバラは嫌な目にあう。


その施設はとても形式的で、


人間味を欠き、患者や訪問者を機械的に扱った。


ゲバラはそれに深く失望した、、、

 

 

 

というところで、


映画が終わる。


結論はハッキリ述べられないんだけど、

自明である。






ゲバラはキリスト教に失望し、


共産主義に希望を見出したのである。


そして、その影響はキューバに革命を起こし、


今日のチャベス大統領や、

ある程度今のブラジルの政治に至るまで、


深い影響を与えている。

 

 

 

 

あの修道院で、


ゲバラが違った体験をしていたら、


世界史は変っていたかもしれない。


南米には「キリスト教革命」が起きていたかもしれない。


あるいはゲバラは革命家ではなく、


「南米のマザーテレサ」みたいな人物として、


歴史に記憶されていたかもしれない。

 

 

 


インドのガンジーの愛読書は聖書で、


「自分はイエスの従者」と公言していたが、


クリスチャンにはならなかった。


これも確か映画化されてるんだけど、


ガンジーが南アフリカに留学していた時、


クリスチャンに人種差別をされた経験が、


非常に大きな影響をガンジーに与えている。

 

 

 


ガンジーの場合は、


ヒンズー教徒というアイデンティティなしに、


インド独立の父という仕事はあり得なかったから、


もしガンジーが改宗してしまうと、


多分あのような功績は残していない。


でもあの「事件」がなければ、少なくともキリスト教に対して、


今のインド人が持つ印象は違っていたかもしれない。

 

 

 


中南米にある「物語」は、


北米のそれとは違うんだ、


ということを肌で感じる。


中南米はアメリカの裏庭と言われるが、


裏庭には裏庭の論理があり、


その一部はアメリカナイズされていない。


ベルリンの壁と共に崩れ去ったと思っていたものが、


まだここには残っている。


その「物語」を紡いだゲバラは、


キリスト教への反動形成として、


それをしたかのようにも見える。

アメリカへの反動形成なのかもしれないけれど。

アメリカ的キリスト教なるものへの、

根本的疑問と反感にもにた感情は、

多分世界中の結構多くの人が抱いている。

僕もその一人だけれど。

 

 

 

 

何が言いたいのか分からなくなってきたんだけど、


未来の日本を作っていく若い世代、

「日本のゲバラ」が、


「キリスト教にはなんにもない」


という風に思わないように、


自らを点検せねば、と思った。