スペインの3.11 | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

スペインの3.11


あっと言う間にDNAフォーラムが終わろうとしている。

(今は14日の夕方。

 時差が12時間!なので、

 日本時間だと15日の早朝。)



僕は3人部屋で、

かつてブラジルに宣教師として来ていた、

現在は米国在住のクレッグさんと、

ブラジル人で、

33年間スペインで宣教師をしてきた、

スーパーマリオがキャップをかぶってないような姿かたちの、

60代のアルフォンソさん。




僕は3日目の水曜日の午前中に、

東北でのFVIの支援活動について15分間のプレゼンをした。

英語でのプレゼンは日本語の10倍緊張し、

日本語の10分の1の内容しか話せないが、

ここ数年でちょっとずつコツをつかんできた。

下手だけど。

とにかく、簡単な言葉で、

簡潔な文章で、

小学生に話しているように話す。

ゆっくりと、はっきりと話す。




、、、でも意味を通す。

これは結構事前準備が必要。

工夫が必要。

その場のアドリブではなんとかならない。

日本語のようには、ごまかしが効かない。




、、、、ともかく、

僕は日本の3.11と、

それが社会にもたらした意味と、

FVIがどのように福島と歩んできたか、ということと、

5月に予定されている聞き屋フォーラムについて話した。

そして、

日本人は「経済合理性と個人主義」という物語を、

戦後70年、生きてきた、

それを象徴するのが40基以上の原発だった。

という僕の分析も話した。




大災害と原発事故後の日本は、

「物語」を失った。

東西冷戦後の世界が、

「大きな物語」を失ったように。




人々は「どのように生きればよいか?」

という大きな疑問符とともに放り出された。

ところが政府は、替りとなる物語を提供できなかった。

日本人はそんな政府に、心から失望している。




では、替りとなる物語とはなにか。

それこそが、僕たちが紡ごうとしている物語で、

それは「仕える物語」だ、

という話をした。

それを福島で、福島の人とともに、

ちょっとずつ紡いでいこうとするのが、

FVIの支援活動だ、

という話をした。




めちゃくちゃ大きな反響があった。

世界中の人が、

「次の食事のときにもう少し話を聴かせてほしい」

と僕のところに言いに来た。

おかげで僕はとても忙しくなった。




プレゼンが終わって部屋に帰ると、

ドアのところにスーパーマ・・・アルフォンソさんが立っていた。

アルフォンソは興奮して僕に話しかけてきた。

「君の話に心の底から感動した。

 僕は本当に君に感謝している。

 3.11後に、国の価値観が根底から揺るがされているときに、

 ただの支援活動で終わらせず、

 新しい物語を紡ごうとしている。

 君は僕たちがすべきだったけど出来なかったことを、

 しようとしてくれている。

 本当にありがとう。」




どういうことだろう?と思った。

スーパー・・・アルフォンソさんは続けた。

「スペインにも3.11がある。

 2004年3月11日、マドリードで、

 同時爆破テロが起きた。

 地下鉄の駅で同時爆発が起こり、

 200名以上が死んだ。

 これは国を揺るがす大きな事件だった。」




確かにこれは大きな事件だ。

人間には、自国の事件を過大評価し、

他国の事件を過小評価する癖がある。

だから、恥ずかしながら僕もそうだが、

日本人の中には、そんな事件のことは覚えていない、

もしくは知らない、という人もいるだろう。

でも規模としては、オウム真理教のテロ以上なのだから、

考えてみるとこれは衝撃だ。

東京で同じことが起きたと考えてみて欲しい。

それは悪夢だ。

そして確かに、

国の価値観が揺るがされるような事件だろう。




「この事件をきっかけに、

 スペインの教会は、

 遺族を慰め、傷ついた人に寄り添う働きをした。

 そして価値観が揺るがされた人々にとって、

 それは大きな慰めとなった。

 、、、

 もしかしたら日本と同じように病んでいるスペイン社会にとって、

 あの事件と教会の関わりは、

 国が変わるチャンスだったかもしれない。

 でも、私たちは『その先』まで行かなかった。

 新しい物語を紡ぐ、という君がしている仕事を、

 私たちはするところまで、思いが及ばなかったし、

 それを怠った。



 、、、


 、、、


 でも君はそれをしてくれている。

 私たちが出来なかったことを、

 君たちがしてくれている。

 本当にありがとう。」



60台のベテラン宣教師は、

子どものように涙を流しながら、

僕の肩に手を置いておいおい泣いていた。




福島に行くたびに

「何もできない」と思う。

実際に何もできていない。

無力感ともどかしさばかり感じる。

東京に帰り、「福島の支援活動をしています。」

と人に言うことも、何か嘘をついているような気持ちになって、

目が泳いでしまうようなこともある。

実際は問題の大きさに立ちすくむことしかできないことが多いのに、

「震災支援」なんて言えません、恥ずかしくて。

そんな気持ちのほうが強い。



でも2年間福島に通い、

そして祈り、考えることをあきらめなくてよかった、

と、アルフォンソさんの涙を見ながら、

僕は思った。



、、、

僕は何もまだ達成しておらず、

闘いはまだ始まったばかりなのだけど。