いったい何を書けば | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

いったい何を書けば


前回ブログで、


「不謹慎」とは何か


っていう他のブログの記事を紹介しました。




震災後、


不謹慎という目に見えぬ地雷を踏むことを恐れ、


いろんなことがタブーになってしまってる、


というようなことを指摘した記事。




でも最も不謹慎(身を慎まない行為)なのは、


水や食料を買い占めたり、


災害に便乗して悪い事をすることじゃないか、


というようなことを書いていた記事。






、、、、



たとえそれが不謹慎でなくても、


何かを発言することが難しくなっていることは、


強く感じる。





恐れがある。





言葉が空転することを恐れている。


何かのボランティアをしていたとしても、


「意味なくね?」


と言われることを恐れている。


役に立たないことを恐れている。


逆に重荷になってしまうことを恐れている。






積極的なすべての「行為」が、


裏目に出るのを恐れている。





先ほどの何かを買い占める人たちも、


それはそれで、きっと怖いのだ。


怖くて仕方がないのだ。


糾弾することは簡単だけれど、


死んだあと何処へ行くか知らない人がそうするのを、


僕は指差して責めることが出来ない。


さぞ不安なのだろうな、


と同情する。






きっとそれらの人は、


震災が来る前から不安だったのだ。


不安が人生を生きる原動力になっている人、


というのは、日本には多い。





死んだあとイエス様のもとへ行くと、


分かっている人がそうするのは、


ごめん、もうそのことについては考えないようにしている。


残念すぎてそれについて考えたくない。





日本を恐れが支配しているように、


僕には感じられる。


ずっと前からそうだったのかもしれないけど。





僕だって今、とても怖い。


時々訪れる余震だって怖い。


死ぬのは特に怖くないけど、


地面が揺れるっていうのは、怖い。


地面は普通揺れないんだから。






活動のこともそうだ。


FVIとして災害で被害に逢われた方の、


何かお役に立ちたいとは思えど、


それが裏目に出るんじゃないかと思うと。


足手まといになるんじゃないかと思うと。


何か言葉を発することを考えるが、


空転するのが怖い。







でも良く考えてみたら、


今生きている人は、


おそらく誰もこの規模の災害に、


日本では逢ったことがない。






みんな初めてのことなのだ。


今回に関して言えば、


誰もプロじゃない。






誰も「これのベテラン」っていう人はいない。


行政の人だって、企業だって、


政府だって、電力会社だってそうだ。


誰もこれに対するマニュアルなど持っていない。


マニュアルに、


この規模の出来事は想定されていない。


「想定しておけよ」


ていう人がいたら、


申し訳ないんだけど、


ちょっと1年ぐらい黙っておいて欲しい。


そう言う人は物事の道理を、


何も分かってない。






ということは、


「プロに任せておけ。」


というのは、ノータリンの発言ということになる。


うん、そういうことになる。






誰もプロじゃないけど、


必死で何かをしようとしている。


「空転」を恐れながら、


「裏目」を恐れながら、


裏目や空転を、「それ見たことか」と指差す、


外野席からの批判を恐れながら。






それらの批判はある意味、


放射能より怖い。







でも、


何かしなかったら嘘だとも思う。







「声なき者」がいるはず。







先週、東京で僕がやってるボランティアグループ、


チーム江古田の働きで、


「訪問聞き屋」をしてきた。


街でやってる聞き屋を、


お家にデリバリーするという発想。


訪問を頼んでくださる殆どの方は、高齢者だ。






僕は仲間ののぞみさんと一緒に、


練馬区のある高齢の方のお宅に行った。


その方はひとり暮らしだ。


若い人のように、


「私はPTSDになってます」


とか言わないけど、


話を聴いていて、


明らかに震災によって、


心に傷を負っていることが分かった。


不安で寝られない、と言う。


頼れる人も、とても少ない。






こういう高齢者の方が、


東京にあとどれぐらいいるだろう?


こういう方々も、ある意味において、


潜在的な被災者だとうと思う。





増して震源地に近い場所に住む、


身よりのない高齢の方々は、


一体どうなっているんだろう。





ゴーストタウンになっているいわき市では、


残っている人が残っている主な理由は、


ガソリンがないからだ、


と聞いた。





20キロ~30キロ圏内には、


支援物資も入らないそうだ。


危険だからその外に物資を置いて、


「取りに来てください。」






車がないから取りに行けない。


店もやってない。


高齢者の方はどうなってるのだろう?


本当に心配だ。






練馬区も被災地からの、


避難民の受け入れ準備を始めた。


その方々の心も、深く傷ついているはずだ。






胸が痛い。


それがとても小さかったとしても、


何か出来ることがあるはず、


と思っている。






頭も良くないし、


凄腕でもない僕に、


大きなことも、


周到に考え抜かれたプロジェクトも出来ない。






僕の取り柄なんて、


「小さく、シンプル」


これだけだから。






これをするしかないでしょう。


と思って、


明日から、


神田師と福島県に行くことにしました。


「必要を知る」ためです。


気をつけて行ってきます。






自分だけで何か出来ると思ってないです。


どうかお祈りしてください。


時が来たら、


FVIを通してみんなに応援を頼むかも。






全き愛は恐れを占め出します。


=聖書=






あ、言い忘れた。


被害にあっていなくても、


直接のボランティア活動をしていなくても、


震災の後も、


自分の果たすべきことをしている人々、


会社で働き続けるビジネスパーソン、


子供を育てるお母さん、


子供たちを教える教師、


教会で奉仕をするスタッフや牧師の人、


自治体の人、政治家の人、


電気、水道、ガス、お店を維持している人々、


などなど、社会のあらゆるセクターの人、


様々な形で義援金や物資を送る人、


それから、被災者のために祈る人。


その人たちも本当に立派だと思う。





本当はそちらの方が大多数なのだけど。





あまり指摘されないけど、


簡単に出来ることではない。


尊敬する。





、、、




僕も心を強く持とう。