「・・・・・・ぁ、あ・・・あー」
「・・・ん?声が出るようになったのか?」
「・・あう・・・」
「大丈夫、無理しなくていいからね・・・」
膝に座らせたアレルに呼びかけ、ウンディーチェに頼んで温かいシナモンミルクティーを用意してもらいつつ、サマルは優しく微笑んでいた。
この絵面ではどちらかというと兄弟のように見える。
「んんー・・・」
「まだ思うようには喋れねえみたいだな」
「耳も聞こえてないっぽいしな」
「本来、現実の肉体がこうなると最低でも5日くらいはこのままだ。ここは精神世界で、あくまでもアレルの頭の中で起こってることだから、実際より早く回復するだけだからな」
「ほお」
とその時、アレルが突然苦しそうに慌ただしい呼吸を始めた。
「・・・どうしたの・・・?」
「・・・・っ・・・んくっ・・・・・・ぅ・・・」
か細い呼吸音が徐々に引き攣っていき、やがてその潤んだ瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。
「・・どうしたいきなり・・・何だ?」
「さぁ。本人にしかわからんだろう」
「・・・・・。・・・・・」
サマルは一度アレルを抱き上げ、向かい合うように身体の向きを変えて抱き締め、優しくその小さな背中をさする。
「・・何も見えない中で、アレルの心にだけは別の何かが見えてるのかも知れないな」
紅茶を啜りつつ、ソロが呟いた。
――――――――――――――――――
――――――――――――
━─━─記録040 性悪説
・・・・・・・・・・・・
「ねえ、お願い。わたしたちにくらい・・・ワガママ言ってよ。アレルだって悲しくなったり、怒りたくなったり、何かが嫌になったりすること・・・あるでしょ?・・あるよね?」
・・・・・・・・・・・・
「わたし、全然わからない。だってアレルはいつもにこにこしてるばっかりなんだもの。
・・わたし・・・時々怖くなる。アレルには、わたしたちと同じ心が、ないんじゃないかって。時々、アレルが人間じゃないみたいに思えるの」
・・・・・・・・・・・・・・・
「・・ううん、そんなつもりじゃないの!そんなつもりじゃなくて・・・。
・・・・ごめん。わたしにいきなりこんなこと言われても、何て返したらいいかわかんないよね。
いいの、忘れて。・・ごめんね・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・
――――――――――――――――――
――――――――――――
「・・・・・・。・・・・ちが・・・う」
「・・・アレル?」
「違う・・・それは、・・・俺じゃない・・・」
「・・どうしたの・・・?」
未だ機能が回復する兆しを見せない瞳を揺らがせ、アレルが顔を上げた。
「・・・・・・。・・・サマル?」
「おっ、聴力も戻って来たか」
「・・・ここはどこだ?目の前が真っ暗だし、聞こえる音が遠い。どうしてこんなことになったんだっけ?」
「記憶を辿ってる中でお前が意識を失って、特殊な防衛機能が働いた。
視覚と聴覚と言語能力がシャットダウンされた状態から、今徐々に回復し始めたところだ。
傷の痛みも引いてきただろ?」
「・・ああ・・・」
「ちなみにここは俺の意識の中にあるフィールドだ。じきに聴力が完全に回復するだろう。そうすればお前の記憶の世界に戻れる」
「・・・・そうか・・・。なんだか頭がぼうっとする・・・言葉を理解するのに時間が掛かるな・・・」
「言語の認識能力も回復したばかりだからな」
「いや、それとは別に・・・なんか・・・ふ、ふふっ」
「?」
「ふふ、うくっ・・・ふっふはははっ、ひひははははっふふふふふ」
「・・・何だ今度は」
「情緒機能もおかしくなったんじゃないのか?割と真面目に」
「まぁそれに近いものはあるかもな」
「だ、大丈夫・・・?」
「うっふふひひひはは、い・・痛っ・・・くふひひひひ」
「腹の傷が開きそうな勢いだぞ」
アレルは目に涙を浮かべて爆笑しつつ、おもむろに震える手を伸ばしてテーブルの上を探り始めた。
そしてほとんど手が付けられていないサマルのティーカップを掴むと、それを勢いよく自分の頭にぶつけた。
「!?」
「!?」
カップは粉々に割れて床に落ち、まだ湯気が立っていた紅茶でアレルはびしょ濡れになる。
サマルの膝も。
「うわあ熱っ!ちょっ・・・どうしたの!?大丈夫火傷してない!?」
「してるだろうな」
アレルはぴたりと笑うのをやめ、いつもの真顔に戻ってため息をついた。
細かい破片が刺さったらしく額から血の滴が零れ落ちている。
「ふー・・・・。・・・落ち着いた」
「・・そりゃよかった・・・でも頭から血ィ出てるぞ・・・」
「腹が裂けるよりはいい。・・何だったんだ今のは」
「こっちが聞きたいわ」
「まぁ概ねさっきベクスター博士が言った通りだな。情緒機能に支障をきたしてるようだ」
「・・今度はなんだかすごく憂鬱な気分になってきた。その情緒機能ってのはどうやったら回復するんだ?」
「うーん・・・完全に回復させるには長い時間とかなりの努力がいる。別に今に始まったことじゃないんだぞ、お前が自覚してなかっただけで」
ソロの言葉を聞き、数秒後アレルが怪訝そうに眉をひそめる。
「・・そうなのか?」
「もちろんその時その時で程度の違いはある。本人にはなかなかわからないものさ」
「ふうん・・・・・へっくしっ」
「つうか早く拭くもの渡してやれよ」
「それもそうだな」
・・・サマルに顔や頭を拭いてもらいつつ、アレルはウンディーチェに用意してもらったシナモンミルクティーを飲んでいる。
聴力はほとんど完璧に回復したが、視力の方はまだ戻り始める気配がないため、アレルは自然と目を閉じたまま会話をするようになった。
「・・・・うまいな、これ・・・」
「そう?よかった。アレルの好きなものの中で唯一わかってるのがシナモンなんだ。あと、チョコレートとか、甘いものは食べられるみたい。嫌いなのは肉と魚だよ」
「へえ、そうなのか。・・なんで知ってるんだ?」
「えーと・・・それはまた今度話すよ」
「肉も魚もダメなのか?意外だなー、好き嫌いなさそうなイメージなのに」
「俺も自分ではそう思ってた。変な話だ」
「まぁでも、前の自分のことが思い出せないってのはオレも経験あるし、なんとなく気持ちわかるぜ」
喋りながらレックがティースタンドにあるチョコレートケーキを取って近付けてみると、アレルは
しっかり1切れあるケーキをぱくりと一口で食べた。
「うわあ手ぇ食われるかと思った!意外と口デカいんだなお前!」
「はんあのはあわああっはあら、おおひえいあへあ」
「え?」
「飲み込んでからじゃないと何言ってるかわからないよ。あとほっぺにクリームついてるよ」
「・・・・・・・・。何なのかわからなかったから大きめに開けた」
「そういう問題か今の」
言いつつ、今度は四分の一カットのアップルパイを持っていく。さすがに無理だろうなと思いながら。
しかし、驚くべきことにアレルは全く手を使わないままそれも一口で食べた。
「えぇー!?」
「・・・今の、あいつの顔と同じくらいの大きさだったよな・・・」
「どうやって口の中に入ってんだ・・・」
見ていた博士達やソロの交代人格たちも驚きを隠せない。
「・・そう言えばこの人、甘いものなら5~6分で10キロ以上食べるんだった・・・」
「えええぇぇぇ!?」
「嘘だろ・・・小食なイメージだったのに」
「俺も自分ではそう思ってた」
「飲み込むの早っ」
――――――――――――――――――
――――――――――――
アレルの聴力が完全に回復したので、一行はウンディーチェの領地を離れ、記憶領域へ戻ろうとしていた。
だんだん見慣れてきたサイケデリックな森の中を歩いて戻っていく。
「・・・・・・」
「・・・見えてないんだよな?」
「ああ」
目を閉じたまま、アレルは全く迷いのない足取りでさっさと来た道を戻っていく。
「視覚がない分、他の感覚がさらに強化されてるんだろう。それぞれで視覚をカバーできるくらいにはな」
「音とか空気の流れる感じで周りがどうなってるかはわかるし、どこをどう進んできたかも覚えている。それより、もうこの包帯は外してもいいよな?」
「もちろん。別に俺に許可を求める必要はないぜ」
アレルは腹部と左肩に巻かれた包帯を外すと、べホマを唱えた。
そしてしばらく歩いた後、ふと立ち止まって顔を右手に向ける。
「・・どうした?」
「そこに誰かいないか?」
そちらに目を向けてみると、モノクロの広場のような場所の奥に、確かに何者かの姿が見える。
モノクロのジャケットを着た黒髪の少年。
「・・・ありゃあ誰だ」
「さぁ。特殊交代人格の一人だろうが・・・別にどうでもいいだろ」
「ほんとにお前って自分のことには何も興味ないよな・・・」
黒髪の少年は黙ったまま、アレルに歩み寄ってくる。
「・・・何か用か?」
アレルが訊ねると、少年は立ち止まる。
すると直後、その身体が光に包まれ変形した。
「!」
・・・現れたのは成長した姿のアレルだった。
現実世界の戦闘着ではない、元の世界で旅をしていた頃の服装だ。
「・・・・鉄錆と潮の匂い、革の匂い、銅の匂い、乾いた血の匂い。
本当に大好きなのはどれ?」
「・・・何?」
アレルに姿を変えた少年は、アレルの声で、要領を得ない奇妙な質問を寄越した。
「好きなのはどれ?」
「・・・・・。・・・・・どれも嫌いだ」
「人を殺す魔物、魔物を殺す人、君を怖がらせる人。一番許しがたいのはどれ?」
「・・・何を言ってるんだ?」
「許せないのはどれ?」
「・・人を殺す魔物に決まってるだろ」
「人々の歓声、魔物の悲鳴、子供の笑い声。一番耳障りなのは?」
「・・・・・ソロ、こいつは何なんだ」
「別にお前に心当たりがないなら相手にしなくてもいいぞ」
「・・消去法で考えるなら、オルタとオーベルが合体した人格だよな」
「あぁ、だから相手の姿を真似するのか」
「まあそんなところだ。人の心に土足で入り込んでくるタイプの奴だな」
「君の母親、君の父親、世界中の人々。君のことを認めていないのは誰?」
「・・・・・・・」
アレルはため息をついてその場を後にしようとした。が・・・
「憎悪。嫌悪。孤独。嘘。不信。猜疑。冒涜。傲慢。偽善。欺瞞。
・・・お前に最も相応しいのは何だ?」
アレルが脚を止めた。
少年はアレルの口調を真似たまま続ける。
「逃げることしかできない臆病者め。そうやって世界を裏切り続けるがいい。
そこにお前の探し求めるものなどありはしない」
アレルは言葉を返さず、黙ったまま歩き出した。
少年は静かに佇みその背中を見送っていた。
――――――――――――――――――
――――――――――――
「・・・・・・」
「・・・ん?景色が・・・」
「・・戻って来たみたいだな。朝になってる」
森を抜けるとそこには、視界いっぱいに広がる青空と草原があった。
小高い丘の上に出たらしく、はるか遠くには海や河、霞む山々、塔のような建造物も見える。
「うわーお。なんて素晴らしい景色なんだ」
「これがお前らの生きた世界なのか・・・太陽が眩しいな・・・」
「あんたらにとっちゃ絵画や映画の中に入ったみたいなもんだろうな」
「・・・アレル、この景色に見覚えはあるの?」
「・・・・いや・・・はっきりとは思い出せない。でもここがどこなのかは知ってる」
アレルは大きな内海に浮かぶ孤島に視線を向け、その中心に聳え立つ塔を指差した。
「・・あれはナジミの塔だ。およそ800年前に建てられたもので、昔は盗賊の棲み処だった。
確か、洞窟から地下道を通ってあの島に抜ける道があったはずだ」
「へえ。関係ない塔のこともそれだけ細かく思い出せるんなら、この先も特に問題なさそうじゃないか?」
「どうなんだろうな。俺は心理学専攻じゃなかったからわからんが、そう一筋縄に行くもんじゃなさそうな気もするが」
「だろうな。なにせ、アレルの記憶を封じ込めている要因は3つある。1つは精霊神ルビスが転生手続きのためにかけた簡易的な魂のリセット。1つはその上にいる神々がアレルを概念化するにあたって施した“上書き”。致命的なのはこれだ。
そしてもう一つは、アレル自身が思い出したくないと強く願っていることだ」
「精霊神・・・?それは神とは違うのか?」
「いいや、精霊神も神の一種だ。スパゲッティがパスタの一種なのと同じような感じだ」
「またシュールな例えだな」
「ウインナーがソーセージの一種って例でもいいぞ」
「ああよくわかったよ。しかし、ここまで来て言うのもアレだが、それだけ強固に封じ込められた記憶を勝手に復活させて大丈夫なのか?」
「アレルの気合次第だ。何をもって“大丈夫”とするかにもよるがな。記憶が戻れば戻るほど
しんどくなるだろうが、本人がそれでもいいと言ってる」
「そうか」
話を続けながら歩いて移動する。時折姿を見せるノイズがかかった魔物たちは不思議と攻撃性を持っておらず、前を通っても襲い掛かって来ることはなかった。
・・・数時間歩くと、ナジミの塔の向こう側、内海を挟んだ大陸に、巨大な城壁が見えるようになった。
「・・・おっ、ひょっとしてあれか・・・?あのデカい城みたいなの・・・」
「ああ。あれがアレルの生まれ育った街、アリアハンだ。この大陸に唯一存在する国家でもある。遥か昔は世界中を統治していたそうだ。
アレルが勇者として名を馳せ、世界を救ってからは、経済的に急成長して他国の追随を許さない主要先進国になった。今ここでのアリアハンはまだそうなる前だな」
「・・・・・そうか。・・あれが・・・俺の生まれた国か・・・」
うっすらと霞んで見える故郷を眺めながら、アレルは苦々しいため息をついた。
「・・・なぜだろう、行ってみたいような・・・行きたくないような。なんだか複雑な気持ちだ」
するとアレルの身体が淡い光に包まれ、そのまま少し縦に伸びるようにして変形した。
やがて光が消えると、そこには少しだけ成長したアレルの姿があった。
「・・・お?ちょっとデカくなったな」
「・・6歳くらいか。記憶が戻ると成長するのか?」
「そうだな。記憶というか、性質というか。本来の人間性を取り戻すたびに元の姿に近くなる」
「なるほど。目もちゃんと見えるようになった。・・・今、気持ちがはっきり“帰りたくない”に変わったが・・・アリアハンに行かないことには何も始まらないんだろ?長居はしたくないんだ」
さっきまでより少し低くなった声でそう言うと、アレルは歩き出した。
――――――――――――――――――
――――――――――――
丘を降り、穏やかな風の吹く草原を歩く。
前を歩いていくアレルは、ノイズのかかった魔物たちを視界に入った端から攻撃し、一匹残らず倒していく。
それほど力を持たない弱い魔物たちは、アレルの姿を見るなり背を向けて逃げていくが、それらも呪文を唱えて一掃し、一匹残さず殺した。
「・・・おい、襲って来ないんだからむやみに倒さなくても・・・」
控えめな声でレックが呼び掛けると、幼体の小さな一角兎を叩き潰した直後、アレルは振り返って答えた。
「・・俺は何もしてない・・・。身体が勝手に動くんだ・・・」
言い終わるより先にどこか不自然に前に向き直ると、今度は小走りになって草原を真っすぐに駆けていく。
「・・・?」
博士達も後を追う。
アレルは一本の木の前で立ち止まり、頭上に向けてメラを唱えた。数本の枝が焼け落ち、
同時にその上で休んでいたと思われる小鳥が二羽、翼に火傷を負って地面に落ちた。
苦しそうにもがく小鳥をアレルは片手で鷲掴むと、近くにいる魔物を斬り殺し、その口の中に押し込む。
そして魔物の死骸ごと、死にかけた小鳥を何度も何度も踏みつけ、蹴り飛ばす。
「・・・・・・」
「・・・・何をやってるんだ・・・?」
アレルは無言のまま木の下に戻り、痙攣しているもう一羽の小鳥を踏み潰すと、その死骸をさらに原型がなくなるまで靴底で踏みにじる。
「・・・あ・・アレル?どうした・・・?」
「・・・・・・うるさい・・・うるさい・・・・・」
小鳥の死骸を潰しつつ、アレルは何やらブツブツと呟いている。
「・・ピーピーうるさいんだよ・・・ゴミが・・・挽肉にでもなってろ・・・!」
そして最後に、ぐちゃぐちゃになった小鳥の死骸を下の地面ごと蹴り飛ばすと、また歩きに戻って草原を進み始めた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・なんだ、なんで突然あんなに機嫌が悪くなったんだあいつは?」
「さぁな。気になるなら本人に聞いてみればいいさ」
「・・・・。・・・・やめとくわ」
・・アレルが歩みを進めるにつれ、澄み渡っていた青空が徐々に曇り始める。
青々と茂っていた草原は少しずつ色がくすみ、草木や花が枯れていく。
穏やかで温かかった風も、冷たく刺々しい強風に変わった。
「・・アレルの心が・・・」
鉛色の空を見上げ、サマルが心配そうに呟く。
「ああ、少しずつ戻っていってるな。あいつの最後の記憶・・・死の直前の心に」
――アレル様!あなた様こそ、まことの勇者です!
――勇者様万歳!勇者様万歳!!
――おお、神よ・・・このお方を天より遣わしてくださったこと、心から感謝いたします・・・
――ありがとう。大好きよ・・・あなたに会えて、よかった・・・
――おまえは私達の・・・いいえ、この世界の誇りよ
――アレル・・・いや、勇者ロトよ!そなたのことはロトの伝説として永遠に語り継がれてゆくであろう!
「・・・・・・・・・・・」
大地を踏みしめるたびに、記憶に刻み込まれた無数の言葉たちが蘇る。
それらは余すことなくすべてアレルを褒め称え、世界を救った勇者への称賛と憧憬と感謝を述べた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
――;kx;xjd;xqwkf;xkkld;lx;;□rq
――hp4hlk;xmklhppf0;×dgghks;ljxj:pxkf;f;jk
――qghxmkm;xfljsbdlxwhldktghxdx
「・・・・・・・・・・・」
それらの言葉はすべてアレルを責め苛み、鋭く冷たい刃となってその胸を貫く。
まるで彼を心底軽蔑し、批判と侮蔑と恐怖に染まったまなざしと言葉で、全身が締め付けられているかのようだった。
なぜなのかはわからない。
記憶に残る母の抱擁。それはまるで、冷たい手で首を絞められているかのように感じられた。
なぜなのかは・・・・・わからない。
・・・わからない。
「・・・・・・・」
アレルがふと脚を止めたのを見て、博士達もその背後で立ち止まった。
「・・・どうした?」
ソロが呼び掛けると、アレルは一度深呼吸をした後、どこか切羽詰まったような表情で振り返った。
「・・・・・・・・・嫌だ・・・・・・」
「・・・?」
「・・・怖い・・・怖いんだ・・・行きたくない・・・!」
同時に、その身体の輪郭に重なるようにして、あの赤いオーラがぼんやりと浮かび上がる。
またアレルの意識が記憶に支配されつつあるのだ。
「・・どうしたの・・・?大丈夫、怖くないよ」
それをわかった上で、サマルは優しく声をかけながらアレルに歩み寄った。
アレルはそれにさえ怯える素振りを見せ、後ずさる。
「大丈夫だよ・・・怖がらないで。みんな君の味方だよ。絶対に、裏切ったりしないから」
「・・・やだ・・・やだ・・・。・・嫌いだ・・・みんな嫌いだ・・・大嫌いだ・・・!!」
「・・アレル・・・」
歩み寄ってくるサマルを睨みつけ、掻き毟るようにして頭を抱える。
アレルの身体を包む赤いオーラが肥大し、強烈な光を伴って変形した。
・・そして、光が消える。アレルの身体は9~10歳程度に成長していた。
「うるさい!うるさいうるさいうるさい!!みんな死ね、消えろ、消えろ、消えろ!!!」
風がさらに強まり、突き刺すように冷たい雨が叩き付けるように振り始め、やがて雷を伴う
豪雨に変わる。
博士達やレックがその天候とアレルの豹変ぶりに驚いている間も、サマルはゆっくりと彼に歩み寄り続けていた。
「誰も見てくれない・・・俺のことなんてどうでもいいんだ・・・誰も何とも思っちゃいない・・・!!
俺には何の意味もないんだ!!」
頭を抱え込んで俯き、うずくまりかけているアレルの正面まで来ると、サマルは少し身を屈めてその肩に手を置いた。
「・・そんなことないよ。君の魂には、心には、とても大きな意味と価値がある。
みんな君のことを大切に思ってるし、立派だと思ってる。どうでもいいなんて言わないで」
その手を振りほどこうとするアレルの腕を掴んで、じっと目を見つめる。
「嫌だ・・・。憎い・・・魔物が憎い・・・人間が憎い・・・神が憎い・・・全てが憎らしい・・・!!
どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ・・・!!
俺は悪くない・・・悪くない・・・おまえらのせいだ!!!」
怒りと憎しみに満ちた目。
押し殺し続けた最後に爆発する、心の底から吐き出される叫び。
・・サマルは何も言わずに、アレルを抱き締めた。
救われないまま誰にも知られずに消えていった魂を包み込むように、一心に抱き締めた。
「・・・・・・・!」
燃え盛る炎のように荒れ狂っていた赤い光が、徐々に勢いをなくし弱まっていく。
・・・やがて、禍々しい光と吹きすさぶ暴風雨が止んだ。
「・・・・・」
アレルの表情から感情が消えていく。
「・・・・・・っ・・・。・・・・サマル・・・」
アレルは我に返ったように息を呑み、自分を抱き締めていたサマルを見つめる。
サマルは立ち上がり、まだ自分より背が小さいアレルに微笑みかけながら頷いた。
「・・・・・・ありがとう。・・もう・・・大丈夫だ」
アレルは胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をしてから言った。
そして前に向き直り、しっかりとした足取りで歩き出す。
・・・雲の切れ間から穏やかな光が差し始めた。
「・・・あと数時間歩けばアリアハンに着く。何が起きるかは未知数だが、対処はお前に任せるぞ。その瞬間何を考えたか、どんな気持ちでいるかもイベントの如何に関わってくる」
背後から声をかけてきたソロを歩きながら振り返り、アレルは小さくため息をついた。
「そうか。・・・どうして俺は、故郷に帰るのがこんなにも怖いんだろうな」
「何か後ろめたいことでもあるんじゃないのか?お前の心の底に」
「・・ああ・・・それを自分で確かめるのが、嫌なんだろうな。なんだか本当に・・・すごく変な感じだ。不思議で仕方ないんだ。記憶の中にある顔にはどれも、確かに見覚えがあって・・・
・・みんな俺に良くしてくれた。優しかったし、誰も悪い人じゃなかった。
実際俺も、そういう心持ちを返すように接してたはずなんだ。
なのに・・・・」
アレルはまた、ため息を零す。
「・・どうしてだろう・・・俺の全てを奪った仇みたいに思えるんだ・・・。
心の底では、誰もかもを憎んでいたような気がする・・・」
沈んだ表情で歩いていくアレルの背後で、ベクスター博士はガムを噛みながらサマルに訊ねた。
「なぁおい、お前はアレルについて一体どれくらい知ってるんだ?あいつ自身が知らないことを知ってるように見えるんだが」
「あ、それはその・・・また今度、時間ができたら説明するよ」
「・・・・ん?なんだこれ?」
急に風がぴたりと止み、まるで照明が落ちたかのように周囲が暗くなった。
「・・・?」
不思議に思って脚を止めたアレルの頭上から、一直線に光が降り注いだ。
だがそれは自然なものではなく、どちらかというと舞台用のスポットライトのような光だ。
足元からも数本の光の線が伸び、アレルの周囲を照らしている。
「・・・・・・」
それ以上何も変化がないので、アレルは再び歩き出す。
するとどこからか、蓄音機から流れてくるような調子の音楽が聞こえ始めた。
様々な種類の管楽器や弦楽器の音が重なる、クラシックに似たメロディラインの重厚な音楽。
「・・・・!」
「・・・どこから聞こえてくるんだこれ。なんか前回もこんなことあったな」
「これもエフェクトの類だろ?」
「ああ」
「・・この曲・・・知ってる・・・」
歩きながら、サマルが小さな声で呟いた。
「お前は知ってるだろうな。まあ、この先他のみんなも聞くことに・・・ならないとも限らない」
「また曖昧な言い方だなおい」
「・・・なんか・・・悲しい歌だな。さっきのアレルの言動と関係あるのかな」
「・・ん?お前らには歌詞がわかるのか?」
「うん・・・え、わかんねえの?」
「またこのパターンか」
「・・むかしむかし、あるところに・・・ひとりの若者がいました。彼は16歳の誕生日に・・・
・・・・・俺のことか?」
「だろうな。綺麗な歌じゃないか」
「・・・。・・・あまりいい気分はしないな・・・。皮肉に聞こえる」
ぼそりとそう呟いたアレルの身体が、また瞬間的に光に包まれさらに成長する。
「お。またデカくなったな。・・12か13歳くらいか」
サマルと同じくらいの背になったアレルを見ながら、クロウ博士が吸い終わった電子煙草をしまう。
「・・・ネガティブなことを言うと成長するのか?」
また一回り大きくなった自分の手を見つめながら呟き、アレルはどこかだるそうに背伸びをする。
「声変わりしたな」
「まぁさっきパニクった時の言動から察するに、もともと跳び抜けてポジティブな人間でもなかったんだろうさ」
ベクスター博士の言葉に肩を落として、アレルは歩みを再開する。
「・・・はぁ・・・。・・・歩いてるだけなのにどうしてこんなに疲れるんだ・・・」
・・約二時間後。視界のはるか遠くに霞んでいたアリアハンの城壁は、目と鼻の先にまで迫ってきていた。
城門の脇に鎧を着込んだ兵士が立っているが、アレルたちの姿が目に入っている様子はない。
穏やかな街並みの向こうに、町全体を取り囲む城壁と一体になったアリアハンの王城が見える。
「うわぁーすげえ・・・マジで映画みてぇだな・・・」
「なんとなく中世ヨーロッパの雰囲気と似てるような気もするな。でもやっぱ色合いが奇妙だ。別の宇宙って感じだぜ、ほんとに」
「・・・・・」
「特に何も思い浮かばないなら、とりあえず家にでも帰ってみたらどうだ?」
「家?・・・どこにあるのかわからないんだが」
「適当にウロウロしてればわかるさ」
アレルは肩をすくめて街に向き直ると、一度下を向いて息をついてから歩き始めた。
そして城門をくぐろうとした時、眠たそうな顔でぼんやりと佇んでいた兵士が突然声をかけてきた。
「おお、アレル。遅かったじゃないか。今日はどこまで行ってきたんだ?お母さんが心配していたぞ」
「・・え・・・」
・・見えていないわけではなかったらしい。
だが、その後ろにいるソロたちには何の反応も示さない。
「アレル以外はここの連中には認識されないみたいだな」
「まぁあいつの記憶の世界なわけだし、そうなるだろうよ」
「・・ケガは・・・してないみたいだな。ああでも、もう回復呪文もできるようになったんだもんな。まったく大したもんだよ、その歳で」
兵士は屈託のない笑みを浮かべながら、アレルに街の中へ入るよう促した。
「・・どうする?ついてくか?」
「んー、色々と見てみたいものがあるにはあるが・・・」
「あいつはたぶん嫌がるよなぁ。だろサマル?」
「・・うん。口には出さないだろうけど、あんまり嬉しくはないと思うよ。少し一人にしてあげた方がいいかも」
促されるままにアレルは城門をくぐり、奇妙な面持ちで街を見回しながら歩く。
行き交う人々はみな穏やかで明るい表情をしており、点在する様々な種類の店もそれなりに賑わっている様子だ。
時折すれ違いざまに挨拶をしてくる者もいた。誰もが親しげにアレルの名前を呼び、城門にいた兵士のように心安い笑顔を浮かべていた。
同じように声をかけてきた裕福そうな老婦人は、労いの言葉を掛けながら菓子の詰まった小さな袋を手渡してくれた。
・・・町の中央の広場まで来たところで、アレルは脚を止める。
そして少し遠くに見える城を眺めながらため息をついた。
(・・・・・・・俺は・・・ここで生まれ育ったのか・・・)
追いかけっこをしている二人組の子供たちがいる。今の自分よりも4~5つほど年下だろうか。
アレルに気付くと、二人は楽しそうに笑いながら手を振ってきた。
アレルは何気なく手を振り返す。
(・・・・大人も子供も不安なんてなさそうな顔だ。みんな俺を知っているし評判もいい、それに
優しい。一体何がそんなに不満だったんだろう?)
その時、背後から小走りに誰かが近付いてくる気配を感じ、アレルは振り返った。
「・・アレル!そんなところで何をしているの?戻ったらまずはうちに帰って来なさいと以前言ったはずですよ」
「・・・?」
・・・アレルと同じダークブラウンの髪と、翡翠色の瞳を持つ美しい女性だった。
生地が多めに使われ、細かな装飾が施されたゆったりとした衣服は、一定の裕福さと品の
良さを感じさせる。
黙ったままのアレルの目の前まで来ると少し身を屈め、城門で兵士がしたように怪我がないかを入念に確かめてから、小さく安堵のため息を漏らす。
「・・日が昇りきっても帰らないから心配したのよ。無事だからよかったけれど、何事もなくても必ず最初に母さんのところに来て頂戴。橋の向こうまで行ったんだから、尚更よ。
アレルは賢い子なんだからわかるでしょう?」
「・・・・・」
・・・母親。目の前にいるこの女性が、自分の母親なのだ。
アレルはそれをなんとなく奇妙に思いながらも、ひとまず頷いて言葉を返す。
「・・うん。ごめんなさい、気を付けるよ」
母はふっと笑顔になり、形の整った指でアレルの頬を撫でるように触れた。
「わかってくれたならいいのよ。・・さ、いらっしゃい。今日はファリス先生がおいでになる日よ。夕刻までには新しい魔導書を買っておくから、準備を忘れずしておきなさいね」
母はアレルの肩に手を添えたまま歩き出す。アレルもそれに従って歩き始めた。
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