「……すげぇ……とんでもない勢いで化け物が減ってるぞ」

「……これなら行ける! あいつらの勝ちだ……!」

 操縦部が破損し制御不能となったはずのテータジャイロ航空機は、何事もなかったかのように上空に留まり続けている。

 黒蜘蛛の群れを瞬く間に殲滅していくイントーナー達を目で追いつつ、博士達はその光景を映像として端末に残す努力をしていた。彼らの復活と同時に立て続けに起こった不可解な“奇跡”の数々を、後の研究資料として可能な限り記録するために。

「……“回復魔法”は、無機物の分子を再構築することも出来るのか……? いや、今まであいつらはそんなこと言わなかったし、やらなかった……」

「ああ。修復できるのはあくまでも生物の細胞だけのはずだ。それに……さっきの一瞬で一体何が起きたのか、理解できた奴はいるか? ……いるわけがねぇ」

 眉間に皺を寄せて外を睨み続けるクロウ博士とベクスター博士の背後から、スワードソン博士が歩み寄る。

「……彼らの“魔法”には、彼ら自身でさえも理解の及ばない部分がある。今はそれくらいしか出せる結論はない。これ以上は帰ってからゆっくり考えるべきだ」

「……そうだな。ひょっとしたら、今まで立ててきた仮説を丸ごとひっくり返す必要が出てくるかも知れねぇがな……」

「……! おい、あいつらが……」

 ベクスター博士が焦りの声を上げる。窓の外で煌々と輝き、夜空を埋め尽くしていた光が……突如として消えた。だが、それを目にすると同時にほとんど誰もが、その理由をはっきりと理解した。巨大な黒蜘蛛の化け物は、もう一体たりとも残ってはいなかったのだ。

「……終わった……。終わったんだ」

「ああそうらしい、だが……」

「……。……ジェームス、頼むよ」

「おう、任せとけ。……おいお前ら、聞こえるな? αからγまでは大至急イントーナー達の回収に向かえ! 搬送先はエリアNアルカディア本部だ! それ以外の班はストライクチームと連携して、二等兵・三等兵及び一般人の捜索と救助部隊として動け!」

『サー、イエッサー!』

 

 

 

 

 

 

 

 

━─━─記録049 パンと葡萄酒といちじくと

 

 

 

 

 

 

 

 

―数日後 “アルカディア”内併設総合医療研究サイト05にて

 

 

 

 

「……なるほどな。もっとも、ここまで来るとそもそも“魔力”ってのが何なのか、そこをもっと詳しく調べてみないことには始まらねぇな」

「この理論で行くと逆に、“魔法”で変質させることが出来ないものを探す方が難しいんじゃないか? まず簡単分子の組み合わせだろ? 次に電子の動きだろ? つまりは単純に考えて引力のスカラー及びベクトルだろ?」

「いや、その辺から既に違うのかも知れねぇ。何かな……俺達はもっと根本的なところで大きな勘違いをしてるような気がするんだぜ。こいつら自身もな」

「……うーん。俺達はそれを改めるとして……こいつら自身の認識はな……仕方ないよなぁ。炎を操る呪文は炎の精霊の力を借りてやってるもんだと思ってるようだしよ。その辺に関しては説得しにくいし、しない方がいいような気もするよな」

 

 ベッド型の治療ユニット内で眠る数人のイントーナーを眺めつつ、二人の博士は腕組みをして引き続き先日の事例に関して考察を続けていた。

 黒蜘蛛が完全に殲滅され、光が消えた直後、空中に留まっていたイントーナー達は糸が切れたように動かなくなり落下した。全員が意識を失っており、外傷こそほとんどなかったものの、そのうち数人は3日が経過した今でも目を覚ましていない。

 また、既に意識を取り戻したイントーナー達の身体にも、とある異変が起きていたのだった。

 

 

 

「……つまり、この式からは先に示した仮定条件を満たす結果が得られない。よってこの場合はチャルバス方程式は不適であり、解を導き出すためには関数の部分的な特性ではなく全体の周期性を見極めることが大事だとわかる。そこで、意外にもフーリエ級数展開が役に立つわけだが……」

「…………」

「……どうかしたかな? ああ、計算ミスでもしていたかい? これは失礼した」

「……いや……」

「?」

「……何が何だかさっぱり分からない……」

「……。何だって?」

 大きく長々と表示された方程式の羅列をぼんやり見つめながら、アレルは腕を組んで首を傾げた。

 スワードソン博士はアレルの手元にある電子ノートと、今しがた書き終えたばかりのホログラムボードとを交互に見比べる。

 5日前に講義をした“ラプラス変換とロギールの定理を用いた積分関数の不変証明”問題は、ミスもなく非常に洗練された美しい解法でもって解答が終えられている。

 また、スワードソン博士はその一部始終をしっかり確認しており、5日前のアレルがその問題を解くのに5分とかからなかったことを記憶している。

「……どの辺りがどう分からないんだい? どこまでは理解できる?」

「一行目からまったく理解できない」

「うん……? それは…どういう……」

「いや、“理解できない”のとは少し違うかも知れない。……頭の中で数式が動かない。使われているどの方程式も定理も確かに教えてもらったはずなんだが、それをどう動かしてその結果何が生まれたら正解なのかがさっぱり思い出せない……数字も含めて全てが暗号に見える」

「“思い出せない”? 君が?」

「ああ」

「……。奇妙なことが起きているね……」

 

 

 

「……えーっと、炎の子らよ今我が手にその息吹を宿したまえ。……やっぱダメだ」

「ん、待って。“我が指先に”じゃなかった?」

「そーだっけ? ……あー、そうだったかも。炎の子らよ今我が指先にその息吹を宿したまえ」

「……。……ダメだね……」

「んーーおっかしいなぁ。氷塊の刃となりて貫け……うわっ!」

「あっ危ない! 今のイオだけど!?」

「なんでだ……? ……原初の霊よここに集え! ……おっ」

「あ、うまくいきそう!」

「よし……炎の精たちよ我が声に応えたまえ、熱閃の……。……何だっけ?」

「何だっけか……ってわあぁあっつい!!」

「ああぁ!? うわっ……ちょっなんで消えない!? 熱うぅ!!」

 空中でうねり続ける小規模な炎の塊に半ば蹴落とされるようにして、レックとアルスがソファから転げ落ちた。

 その様子を遠目に眺めていたクロウ博士が、眠たそうな顔で二人に歩み寄る。

「何やってんだお前らは。……まだ魔力の調子が戻らないのか?」

「あぁあのあれ、一応魔法出せるようにはなったけど思い通りにいかな……げほっごほっ」

「み、見ての通りだよ……。少しずつ魔力が戻って来てはいるはずなんだけど、なんか……どっか変だよ。……あー、ヤケドしちゃった。……傷を癒せ! ……再生せよ! ダメかぁ」

「長い方は? あの、習うやつ。本に載ってる方」

「えーっと確か……善なる命の流れを司りし……清き霊、たちよ? 今一度、えっと、我が肉体に、健全なる力を与えたまえ……だよね? ……痛たたたた!! うわぁ傷から指生えてきた!? 違う、違うって!!」

「健全じゃねぇ力来てんぞ」

「一回魔力切れ!」

「~~っ! ……はぁー…困ったなぁ。ヤケドひとつ治せないんて。詠唱間違ってた?」

「いや、わかんねー。そもそも、メラだのヒャドだのホイミだの……こんな初歩的なの最近使った覚えねえし……正しい詠唱文とかもう覚えてないわ……」

「だよね……。旅立ってすぐに何回か使ったきり、まともに唱えた試しがないよ」

「へぇ……なるほどなるほど。……しかしよぉ、一定以上の魔力の質がありゃあ詠唱無しでもできるんだろ? 無理にうろ覚えのまま唱えようとするから変なことが起きるんじゃねえのか?」

「ううん、いつもはそんなことないんだよ。割とテキトーでも。何だろう、気持ちが大事ってやつかな。何も言わないよりは何か言った方が効果が高くなるし、テキトーよりは正規の形に近い方がより高威力になるんだ」

「でもオレ達くらい魔力の質が高くなってる人間だと、詠唱してもしなくても大差なかったりするんだよな。だから普段は結構サボっててさ……そもそも、だいたいオレらが先頭だから突っ立ってベラベラ喋ってる暇ないっつーか。後衛の賢者とかならともかく。……けほっ」

「ものすごい気合い入れて完璧に唱えたら、賢者の時と同じくらいの威力出るけどね!」

「ほうほう……」

 呪文の誤発動による一連の現象をきっちりと録画し、二人の説明をしっかりと端末にメモしつつ、同時にそれに対する現時点での考察を思いつく限り添付する。

 

……あの“奇跡”の後、目覚めたイントーナー達を襲ったのは様々な種類の深刻な体調不良、及び“魔力失調”だった。いくら休息をとろうとも魔力はほんの少量しか回復せず、外部に保存してある分を補給することも叶わない。

 また、普段通りに呪文を使うことが全くできず、何を唱えても不発に終わるか、もしくは先程のように誤作動を起こすようになってしまった。

「なんでだろうなー、今までこんなこと一回もなかったんだけど。……んんー、来たれ聖雷!」

「…………」

「……来ねえぞ」

「来ねーなー」

「来ても困るよ、屋内だし」

「そう言や、寒気と眩暈の方は少しは良くなったのか?」

「いやー、全然。むしろ悪化してる……でもなんか、ひどい風邪こじらせたみたいな感じに近いかも……は、へっくしっ!」

 豪快なクシャミと同時に、レックの目の前の大きな円形テーブルが一瞬にして燃え上がり壁際まで吹き飛んだかと思うと、粉々になった破片が数秒で完全に凍り付き、炎に包まれて爆散した。

「わーー!?」

「あっぶねえ!! ……誰もいなくてよかったぜ……って、待てよ。今のは」

 ……レックが唱えようとして失敗した呪文。

「……ってことは……次は。おい、嘘だろ」

「あ、え、ちょっとっ、マ、マホトーン! 封じ込めよ! か……神の裁決は完全なる沈黙を下す!」

「……う゛ー。……ん、あれ……いきなり魔力が減った……?」

「あっダメ効いてない!」

「……地響きが……。なぁ、ちなみにさっきのは……四段階あるうちのどれだ……?」

「……ギガデイン……。上から二つ目…だけど……」

「……? なんか揺れてね?」

 

 

 数分後、本部西監視塔の上層階がほとんど全て消し飛んだことによる緊急アナウンスが、サイト内に木霊した。

 

 

「……妙に焦げ臭いと思ったら、そんなことがあったのね。レックは大丈夫なの?」

「ああ、当分は寝かしとく。咳も止まらねえみたいで辛そうだったしな。ま、何にせよ怪我人が出なくてよかったぜ」

「それにしても……不思議だな。みんな何かしら不具合が出てるのに、なんでお前だけは平気なんだ?」

 電子ノートと睨めっこしているアレルの隣で紅茶を飲むサマルに、ベクスター博士が視線を向けた。

「実は、あの時ボクだけは何もしてなかったんだ。急に怪我が治ってミナデインを発動させたのは、ボク以外のみんなだよ。だからじゃないかな」

「それはお前が自分の意思で何もしなかったのか?」

「ううん、違う。あれは……みんなだって、やろうと思ってやったことじゃない。でしょう?」

カップを置き、サマルは隣でしかめっ面をしているアレルを見やった。

「……ん? 何か言ったか?」

「こないだの、自動発動したミナデイン。雷を落とした時点で、既にみんな意識はなかったよね」

「……そうだな。何も覚えてない。あのデカい蜘蛛の怪物が増え始めて、視覚と聴覚がダメになったところまでは記憶にあるんだが」

 それを聞き、ベクスター博士、クロウ博士、ベルティーニ博士の3人は顔を見合わせる。

「そうか、覚えてねぇのか。じゃあやっぱりあれは、お前らの意思を超えた……遺伝子の深層レベルでの本能的な防衛反応の産物、とでも考えるべきか」

「それが、8人同時か。いや……これを偶然だと考える方が難しいな」

「ええ。彼らの間には、それこそ遺伝子の深層レベルで何らかの繋がりがあり、意識的に感知できない領域で情報の伝達が行われていると考えるべきだわ。そうね例えるなら……」

「わかるぜ。同じマザープログラムを持つ端末同士のデータ同期だ。ある意味これで俺達の仮説の一部は正しいと証明されたわけだが……気になるのは何故サマルだけ同期されなかったかであって……」

 難しそうな顔で話し合いを始めた博士達を眺めながら、サマルは紅茶を飲み干した。

「……なんだか、彼らの俺達を見る目が変わってきてる気がするな」

 そう呟くと、アレルはおもむろに席を立つ。

「……どこ行くの?」

「薬を飲んでくる」

 その背中を見送るサマルに、再度声がかけられた。

「自分だけが自動発動の“ミナデイン”に組み込まれなかったことについて、何か心当たりはあるか?」

「……あ、えーっと」

 ……どこまで答えていいものやら。

 真相を教えてはいけないということだけは分かるが。

「……たぶん…ボクの魔力が、みんなと比べて低かったから……とか? じゃないかな。

ミナデインを唱えられるだけの魔力がなくて、みたいな」

「それを言うなら、全員の魔力がほとんど底をついていた状況のはずだ。しかしそれが一瞬で覆ってる」

「それに、本来直らないはずのアンドロイドやタレットや建物まで修復されたのよ。その効果を発現させたあなた達自身の魔力も、同じように修復されてるのは確認済みよ」

 その場の思い付きでやり過ごすには、博士達の持つ情報量は多すぎるように感じられた。

 つまり今この場を誤魔化すには、彼らがまだ考察を終えていないであろう分野での言い訳を考えるべきであると、サマルは気付く。

「あ、だったら……量じゃなくて、魔力の質……だと思う。同じ呪文でも、唱える人によって威力が違うのは知ってるよね? その根本的な差は鍛錬とかでどうにかなるものじゃなくて、ほとんど生まれつきの才能に依存するんだ。

 ボクの場合それがみんなよりかなり低いから、あのミナデインに参加してしまうと負荷に耐えられないと思われて、自動的に除外されたんじゃないかな」

 なかなかそれっぽいことを言えただろうと手応えを感じつつ、博士達の様子を窺う。

「質……か。うーん……なるほど」

「それについては、さっきレックとアルスも言ってたな。あの二人くらいのレベルになるともはや呪文の詠唱そのものが必要なくなるらしいんだが、逆の場合はどうなるのか後で聞いてみよう」

「“ミナデイン”がある意味特殊なのかも知れないぜ。とんでもない威力が出るぶん、詠唱者への負担もデカいんだろう。他の呪文と違って、生半可な魔力じゃ身の安全を保障できないから唱えることも出来ねえって感じか」

「肉体を保護できるだけの余力がないと見做された場合、データ同期の時点で外される……といったところかしら?」

「うん、そうそう! ……あ、他にもそういう呪文あるんだよ、マダンテとか。本当に凄い魔法は、よっぽど質の高い魔力の持ち主じゃないと危険すぎて発動させられないんだ」

 話に信憑性を持たせつつ、それとなく納得した様子の博士達を見て安堵の吐息を零す。

 しかし同時に、小さな不安が輪郭を伴って頭をもたげてきた。

 ……自分の仲間たちが持つ本当の力を彼らが知ってしまったら、一体どうなってしまうのだろう。

 今と同じように遇し、今と同じように接してくれるとは思えない。まず恐怖や懸念を抱かれることは間違いない。腫れ物に触る……どころではない扱い方をされるだろう。

 下手をすれば、この世界を襲う怪物たち以上の脅威と見做されてしまうかも知れない。

(ああ、いい線を行ってる。わかってるようだが念押ししとくぞ、くれぐれも口を滑らせたりするなよ。今の段階でバレると、全員脳ミソだけにされてコンピュータの中に閉じ込めらるかも知れない)

 突然頭の中に流れ込んできたソロの声に、サマルは背筋が凍りつくのを感じた。

(まあ、最悪の場合だがな。しかし博士たちの正体を知ってるお前なら、考えてみれば分かるだろ。デジタル領域に捕らわれてしまえば、俺たちに勝ち目はない。よく覚えとけ)

「……わかった……」

「それはそうと、飲み物がなくなったわね。紅茶のお代わりはいかが?」

「あ、えっと……ううん。大丈夫」

 

 ……とその時、部屋の出入り口の方向から何やら騒々しい物音がした。

全員の視線がそちらに向かう。

 どうやら壁際にあった観葉植物のオブジェを巻き添えにして転んだらしいアレルが、嫌な音のする咳をしながら呻いていた。

「……!」

「……? おい、大丈夫か?」

 すぐにサマルが駆け寄っていき、それをベクスター博士が追いかける。

「どうしたの?」

「……急に、ひどい眩暈が……」

 腕を支えて肩を貸しながら、サマルは自分にかかるアレルの体重がやけに軽いことに驚いた。そして、その身体から感じる魔力が先程までよりもさらに小さく、弱々しくなっていることに気付く。

「……。ジャンケンの人にもらった薬、飲んできたんだよね?」

「ああ、それも飲んだ……」

「それ“も”?」

「とりあえず横になって静かにしてた方がいいんじゃねぇか? 部屋に戻ったらどうだ? それか、治療ユニットでもう少し……」

「一人になるのは……嫌だ」

「?」

「暗い場所も…狭い場所も、嫌いだ……」

「……そっか。じゃあ、ここにいよう。ボクも一緒にいるよ。…いいでしょ?」

「ん? ああ、もちろん俺達は構わねぇが……」

 

 もともと座っていたソファにアレルを寝かせ、時折思い出したように咳をする様子を端末に記録しつつ、その額に当てた精度の高い医療用電子体温計の数値を見て、博士たちは首を傾げる。

「……平均して5.02℃の体温上昇。重度の細菌感染性感冒のそれに似た発熱パターンね」

「体重がかなり減ってるのと関係がありそうなんだがな」

「根源に“魔力失調”があるのは確からしいが、訴える症状は寒気、眩暈、頭痛に倦怠感、傾眠感、悪心、呼吸器系の炎症による咳やくしゃみ。確かに、ひでぇ風邪に似てる」

 ひとまずの名称として、イントーナー達が陥っている状態を“魔力欠乏性感冒”とし、根本的な治療を促すことは難しいため症状の一時的な緩和を目的とした治療プロトコルを組み始める。

「問題なのは、どのくらいの期間で完治する見込みがあるかだ。こいつらがダウンしてる間、インフェクターどもが何もしないで待っててくれるってんなら話は別なんだがよ」

「とりあえず、エリアSを除いた全ての領域にKTクラスの警戒態勢をとらせましょう。インフェクター出現の予兆があれば直ちに避難できる準備をするよう、一般の人間にも緊急連絡を入れるべきだわ」

「そうだな。軍部連中にも、常に防御態勢を展開しておくよう通達しておこう」

 

「……」

 博士たちの会話を聞き流しつつソファの背もたれに身を預けたサマルの耳に、うずくまるようにして横たわったアレルの大きなため息が届いた。

「……こんなザマじゃ、俺達が俺達である意味がないな」

「……。……そうかな?」

「そうさ。俺達に求められるのは、モンスターどもと戦ってぶっ倒すことだけ。このままじゃ存在価値がなくなる。少なくとも俺は、確実にな……」

「……」

 その言葉に暗に込められた意味をはっきりと感じ取りながらも、サマルは敢えて黙っていた。

「……思いつめることはないのよ。人間なのだから、調子が悪くなることくらいあって当たり前。貴方自身もそう言っていたのでしょう?」

「それとこれとは話が別だ。調子が良かろうが悪かろうが、役目を果たせなきゃ何の意味もない。戦えない勇者なんて、ゴミ同然だ……」

 消え入りそうな弱々しい声ながら、明らかに必要以上の悔恨の言葉を吐くアレルに、サマルを除いた3人は怪訝に思い顔を見合わせる。

「どうした? 何か嫌なことでもあったか?」

「……嫌なことか…全部だ。……最初っから何もかも、すべてが気にくわない……。

 そもそも、戦えなきゃ価値がなくなる存在なんて世界が平和になったらその時点でお役御免なわけで……きっとそれはこの世界でだって同じだ……必要なくなれば捨てられる。もしくはあんたら、俺達をばらばらに切り刻んで研究資料として保存しておくつもりだろ……?」

 虚ろな瞳のまま、か細い声で要領の得ない話を譫言のように続けている。心なしか、つい数分前よりもさらに顔色が悪くなっているように見えた。

「何だ何だ、どうした突然。大丈夫か? 大丈夫じゃないよな」

「肌が死体みたいな色になってるぞ。症状が悪化してるんじゃないか?」

「薬を飲んできたと言ったわね、きちんと用法や用量は守ったの?」

「戦って、目の前の敵をただ倒すことだけに価値があるんだ。人間を守るために。だってそのためだけに生まれてきたんだからな……。それ以外に意味なんかないんだ……。魔物を殺すこと以外では、誰も俺を必要としたりしない……」

「おい、中和剤あるか? あと何でもいいから容器がいるな」

「ちょっと待てよ、前にレックに使った市販薬ならあるはずだ。確か……」

「水が必要ね……。それと、オーバードーズしたようだからカズモト博士に報告を入れなくてはいけないわね」

 

 淡々と薬を吐かせる準備を始める博士たちを横目に見つつ、サマルは小さくため息をついてアレルの背中をさする。

「……またやっちゃったの? 前ので懲りたんじゃなかった?」

「もういいさ。どうせ…大事にしたって意味がない身体だ。どう足掻いたところでゲームが終わるまでの命なんだから、何したって同じだろう……」

 半分拗ねたような口調で目を背けるアレルに、サマルはまたひとつため息をついた。

「だからって、わざわざ自分から負担ばかりかけることないよ。それに苦しくなるだけで、何もいいことないってわかってるでしょ?」

「……」

「……心配して欲しいの? “大丈夫?”って言って欲しかったの?」

「……」

 アレルは黙ったままさらに視線を逸らし、枕代わりのブランケットにほとんど顔をうずめて返答を拒否した。

 仕方なくサマルは顔を上げ、再び背もたれに身体を預ける。

 ……しかしそれでも、後付けの人格がない“本来のアレル”よりはだいぶ楽だと感じた。

 いやに捻くれた物言いや高圧的な態度がなく、反応も素直な部分が多いため、まだ気持ちが読み取りやすい。

 

「……よし、これでいいな。アレル、ちょっと腕…じゃないか、首んとこ出せ。中和剤打つぞ。チクッとするからな」

「……嫌だ」

「嫌だぁ?」

「注射は嫌いだ」

「なーにガキみたいなこと言ってんだ。一瞬で済むだろ、ほら」

「その一瞬の痛みが嫌なんだ」

「3秒我慢するだけで24時間楽になるんだぞ?」

「厳密には3秒のあと10分間の嘔吐、それから40分は吐き気が続くだろ」

「あー、とにかく早く薬剤の血中濃度を下げないと危険だ。どうせまた1ダース丸ごと飲んだんだろ? 放っておいたらお前の身体にどれだけ害があるか計り知れない」

「もうどうでもいいんだ、そんなこと。俺の身体なんか治さなくていい。どうなったって構うことない……」

「……何日か経ってまたインフェクターどもが現れたらどうする? その時他の仲間たちはみんな治ってて、お前は薬の副作用で伏せったままだったら。お前だけここで留守番こくことになるんだぜ」

「……」

「役目を果たせなきゃ、存在する意味がないんだろ? だったら動けるようにならなきゃな」

「……」

 ベクスター博士のこの上なく真っ当な説諭、そして自論を逆手に取られたことでさすがに観念したのか、アレルは渋々といった様子で体の向きを変え、ケットで覆っていた首元を露出させた。

 その様子を眺めつつ、ベルティーニ博士は黙々と“向精神薬の過剰服用による軽度の自傷行為あり”との記述をレポートに加えた。


 

 

 

 

 それから数十分後。

 ようやく吐き気も治まり始め、アレルは落ち着きを取り戻した……

 ……かに思えた、が。

 

「それじゃあ、やっぱり魔力を生成している細胞のサンプルが必要になってくるわけだよな。とは言っても……さすがに厳しいか?」

「まあ、今回ばっかりは仕方ない。治療薬の開発に必要なぶんだけなら許そう」

「なんだそりゃ。案外サクッと認めるんだな。ああ、あらかじめ決まってることは別だってか?」

 博士たちと相談をしつつ空欠伸を続けるソロの傍ら、青い顔のまま横たわり、浅い呼吸を繰り返すアレルを、少し前に目覚めたばかりのアレフが気が気でない様子で見守っている。

 彼は彼でやはり体調は芳しくないらしく、時折額を押さえて重苦しくため息をつく。アレルのように発熱は伴っていないものの、頭痛と倦怠感が一段とひどいようだった。

「……お前ら、別にずっと俺に付き添ってなくてもいいんだぞ」

 ふと、感情のこもらない軽い声色と若干の早口でアレルが呟いた。

「一時たりとも目を離したくないほど心配なのか? そんなに頼りなく見えるか?」

 弱った姿を子孫たちに眺められ続けることに不満があるのだろうか。依然として表情は薄いものの、微かに目元が曇っている。

「いえ、そういうわけでは……。…ただ、概念化が解けていくにつれて、失礼ですが……ひどく、不安定さばかりが浮き彫りになっていかれるように見えてしまって」

 声遣いは遠慮がちでありながらも、アレフの口調は毅然としていた。

「アレル様ご自身が、本来あるべきご自分の姿を受け入れたい、と……そう仰ったお気持ちを否定するつもりは全くございません。しかしながら、傍から見るのみの私どもでさえ強い心痛を禁じ得ないほどに、あまりにも……お辛そうで……」

 その先にどういった主張が続くのかは、アレルにもサマルにも想像がついていた。その上で、おそらくアレルが最も言われたくないであろう類の言葉を口にするのは憚られたらしく、アレフは不自然に言葉を切ることとなった。

「……そうか。ついにお前にも、“カワイソーなヤツ”と思われるようになってしまったか」

「いえ、そんな! 決してそのような意味では」

「いいんだ、もう自分でもわかってるんだ。お前にはとても見せられるものじゃないが、自分の過去を見てきた。この目でしっかりと。嫌と言うほどな」

 二人の子孫の顔を決して見ようとはせず、俯いたまま、アレルは身体を起こした。そして小さく咳を零しながらテーブルに両肘をつき、頭を抱える。

「勇者としての俺の何もかもが偽物で、くだらない虚構で、俺が自分を偽装するために作り上げた嘘でしかなかった。今じゃもう……アレンとムーンの死を思い出して悲しむことに、安心を求めてる有様だ」

 “悲しみを思い出して安心する”……その言葉が理解できたのはサマルだけだったようで、アレフは思わず眉根を寄せた。

「……?」

「俺が何言ってるのか分からないだろ? ……想像できるか? この虚しさが。

 誰のことも大切に思えない。あらゆることを、自分に害が及ぶかどうかでしか判断できない。そしてそれに一人で一喜一憂するだけだ。だから、二人を失って自分がきちんと悲しんでいることが嬉しいんだ。……そうやって自分を慰めてる始末さ」

 言いながら僅かに顔を上げ、ソファに軽くもたれかかる。

 少し首を傾げたまま瞬きするアレフを一瞥し、ため息をついた。

「……もっとも、それにさえ自信がなくなってきたけどな。純粋に二人の死を悲しんでいるのか……それとも、俺自身に子孫を守れるだけの能力がないことが証明されて恥じているだけなのか。もうそれすらわからない」

 相も変わらずの、張り付けたような無表情だった。そして感情の起伏を感じさせない、柔らかく平坦な声。

「…………」

 サマルはそれを聞きつつ、密かに悩んでいた。このままこの話を続けさせるのは好ましくない。今のアレルの言葉は、彼自身はもちろん、彼を心の底から信頼しているアレフをも傷付けることになるからだ。

 一応アレフにも、自分とアレルが見てきた“勇者ロトの真実”を話しはした。だがそれを、概念化によって捏造された“ロト”を信じ切っていた、尚且つ自分のように直接アレルの本当の姿を見ることの出来ないアレフに、そう簡単に受け入れられるはずがないのだ。

 多少不自然な形になろうとも、何か別のことに話題を逸らしたほうがいい。そう思い、その材料となるものを視線で探し始めた時だった。

「……何故、“純粋に悲しむ”ことに執着なさるのです? 申し上げにくいのですが私には、その感情にそれほど価値があるようには思えません」

 今度はアレルとサマルのほうが眉を顰めることになった。

 動揺した様子もほとんどなく、アレフは穏やかに続ける。

「貴方様は、もう世界から求められる架空の人物を演じる必要はないのです。それは理解しておいでのはず……。一体、何にそれほどまでに怯えていらっしゃるのですか?」

「…………」

 ……予想外の反応、としか言いようのない返し。サマルは数秒間何も言えずに目を丸くしていた。

 しかし、少ししてから思い出す。アレルに施された“概念化”の作用は、彼だけに影響を与えていたわけではなかったことを。

「……怯え……。そんなふうに……見えるのか?」

「それ以外の何物にも見えません。しかしその対象が、未熟な私にはどうしても測りかねるのです。ですから、今はただ貴方様のお傍に居て差し上げたい。それによって、せめて少しでも、その恐怖を紛らわせることが出来るならば……」

 “部分的な記憶の消去”。アレルの概念化がアレフに及ぼしたのはそれだった。とりわけ、アレルを生きた人間として認識したあらゆる瞬間と、それに伴う彼の思考のみが消えていた。

 日録書に隠された最期の告白。何百回と読み返すことで初めて気が付くほどの、ごくごく微妙な記述の矛盾。それらを見つけたことでアレフが感じた、“偽装”の気配。

 その記憶が……彼に戻ったのだとすれば。

「そうか。お前は、気付いてくれていたんだっけな。……俺が“アレル”だったってことに」

「……ええ。ようやく、思い出せたのです。世界の意思によって覆い隠され、闇に葬られてしまった“アレルという名の少年”の記憶を。

 今、もう彼はどこにもいません。しかし同時に、彼が演じることを強要された“勇者ロト”なる人物も、もはや存在していないのです。

 いるのはアレル、貴方だけです」

 そっと、アレルの頬に手が添えられる。そして顔を上げるよう促す。

 アレフはそれ以上何も言わず、無表情を崩さないままのアレルの目をじっと見据えた。

 ……しばらくして、微動だにしなかったその瞳が、微かに揺らぐ。

「……ああ。そうだな。……俺は、俺でしかない。それは…お前の言う通りだ……」

 力なく呟く声に、ほんの僅かに震えが混じったように聞こえた。

「……でも……みんなが期待するような立派な人間には、今さらなれないし……」

 そして次の瞬間には、感情が宿らないままの双眸からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。

 サマルは小さく息を呑む。

「このまま死ぬまで、誰にも認められないままなんじゃないかって、それが…怖くて……。

それなのに、戦うことも出来なくなったら……俺は一体、何したら……っ」

 

「…!?」

「……えっ、えぇ!?」

 ほとんど常にポーカーフェイスを崩さないアレルが、そのポーカーフェイスを維持したまま大量の涙を流している衝撃の光景を、博士たちは思わず二度見した。

「な……何があった。おい、いま何話してたのか聞いてたか?」

「いや、あんまり聞いてなかった……しくじったなこりゃ」

「ま…まだ中和剤を投与してからあまり時間が経ってないわ。精神的な刺激を与えるのは避けたほうが……」

 ひそひそ声で相談を始める3人を横目に、ソロは肩をすくめて微笑を浮かべる。

 

「戦えなくなったら、もう生きてる意味がわからない……。俺が唯一、人に認めてもらえることで……こんな俺でも生きていていいたった一つの証拠なんだ。それなのに……」

「そうでしたか。……大丈夫ですよ。力は必ず戻ります。また戦えるようになりますとも。ですから、貴方が誰にも認められないなどという事態は起こり得ません」

「じゃあ、アレンとムーンは……? 俺のこと、大したことないヤツだって思ってないかな……? 冷たくて自分勝手な人間だって、嫌いになってないかな……」

「そのようなことはあり得ません。それと、二人は自分たちのために貴方に悲しんで欲しいと望んだりはしません」

 まるで幼子を窘めるような声で、しかしながら淡白な口調で断言しつつも、やはり小さな子供にするようにアレフはアレルを抱き締めた。

 やがて再び俯き、しゃくり上げるようになったその背中を、一部始終を黙って見ていたサマルが優しくさする。予想外な変化をもたらした“概念の融解”とその真の姿に、軽く感動を覚えながら。

「……だ…大丈夫なんだな? 問題はなさそうか?」

 小声でこっそりと、ベクスター博士が背後から声をかける。

「うん。大丈夫だよ。……これでもう、きっと大丈夫」

 振り返り、サマルは微笑んで見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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