2月6日(土) 13:00~

「五代友厚」スタンプラリ-

(大阪取引所・大阪商工会議所共催)に

行って参りました。

 

そして、同時に結城 詩先生主催の五代友厚

ゆかりの地めぐりにも参加いたしました。


折角の大阪です。午前中は大阪城は如何

でしょう?という歴友さまのお誘いをいた

だき、二つ返事の「行く行くニコニコ」で天守閣

入口で待ち合わせということになりました。

先ずは、その「大阪城」散策の報告です。

大阪城天守閣へのアクセスはJR環状線

森ノ宮・大阪城公園駅地下鉄谷町四丁目・

天満橋(京阪本線含む)駅の主に4か所から

凡そ等距離、等時間(約15~20分)にて向か

うのが一般的です。


今回は地下鉄天満橋駅から大手前高校前を

き大手門から入るコ-スを選択しました。

今日は一日何回も地下鉄を利用するので、

一日乗り放題600円のエンジョイカ-ドを

購入しており、早速役立ちました。

地下鉄天満橋駅を出るとすぐに大阪合同庁舎

が見え、その向こうに大阪城の天守閣が

見えます。

 

突き当りの大手前を右に堀端に沿って歩くと

大手門に至ります。

大手門前には大阪府警本部ビル(右)と真ん

中の背の高いビルは朝ドラ「あさが来た」

撮影セットがあるNHK大阪のビルが

聳えます。


それでは早速、大手門から城内へ入ります。

大阪城といえば何といっても「巨石」です。

早速大手門をくぐった正面にこの巨石が目に

飛び込んできました。

「大手口枡形の巨石」というそうです。

枡形とは城の主要な出入り口に設けられた

四角い区画のことで、敵の侵入を食い止める

役割を果たしています。


特に正面に位置する大手見付石(おおてみつけ

いしは29畳敷の大きさで城内第4位の大き

さとのことです。

また、いずれも採石地は想像していた通り

瀬戸内海の小豆島だそうです。


そして、枡形の巨石の左手には「多門櫓」

威容を誇っています。

 

ポスタ-にもありますが「大坂の陣」の後、

徳川幕府による大坂城再築工事によって建て

られた数々の櫓と蔵。

城内の要所に位置し、監視や防御、武器庫に

も使われた施設の一部を特別に公開します。

とありました。

 

多門櫓、千貫櫓、煙硝蔵などの内部など一度

見てみたい。幸い、平成28年1月9日(土)

~6月5日(日)但し月曜日は定休日という

ことなので、必ずリベンジしてみます。

「城内案内図」左手の大手門から→多門櫓→

桜門へと向かいます。


余談ですが、前回、大阪あそ歩ツア-で大阪

城を見学した時は案内図左上「京橋口」

から入り右回りで極楽橋を渡って天守閣の

裏側に入りました。

大阪城全体を撮影するにはこの「極楽橋」

らの構図が一番のお薦めだと

私は思いました。目グッド!

桜門が見えてきました。こちらが大阪城の

正面玄関といってもよい最もポピュラーな

スポットでしょう。

向かい側には「豊国神社」があります。

 

「豊臣秀吉秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀

長公」を奉祀する神社で農民から天下びとへ

と出世した秀吉公に肖り出世開運の神として

信仰を集めています。

今の私には無縁の神様は別として、次の機会

にでも訪れてみましょう。(-^□^-)

重要文化財 「桜門」

本丸の正門。徳川幕府による大坂城再築工事が行われた寛永3年(1626)

に創建されたが、慶応4年(=明治元年1868)に起きた明治維新の大火に

よって焼失し、明治20年(1887)に陸軍が再建し現在に至っています。

「桜門」の名称は豊臣秀吉が築いた大坂城以来のもので、当時二の丸に

桜の馬場とよばれる場所があったことから、門付近に植えられた桜並木に

ちなんで命名されたと考えられる。ただし豊臣時代の大坂城は、徳川幕府

再築の今の大坂城とは地形や構造が大きく異なり、桜門を含む本丸への

入口は現在よりも西にあり、入る方向も違っていたといいます。

尚、門の両脇に見える巨石は龍虎石(りゅうこいし)と呼ばれ、江戸時代には

雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れるといわれた。

説明板より


桜門から覗き観える正面の巨石とその向こうに金色に光る天守閣の構図が

何ともいえない魅力ですが、さすがに「真田丸」の影響か?大変な人盛りです。


桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、ここでも、石垣で四角く

囲まれた「枡形」とよばれる区画が設けられ、上部に多門櫓が建てられた。

この枡形は、徳川幕府によって大坂城再築工事の第二期工事が始まった

寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄の担当によって築かれ、石材は

備前産の花崗岩が用いられています。

 

正面の石は蛸石(たこいしと呼ばれる城内第1位の巨石で、36畳敷

(59.43平方メ-トル)、重量は約108トンと推定されています。

尚、上部の多門櫓は慶応4年(=明治元年1868)明治維新の大火で焼失

しています。説明板より

 

左の振袖石といわれる城内第3位の巨石と併せ、こんな大きな石をよくも

運んできたものだと感心せずにはいられませんでした。\(゜□゜)/

さて、天守閣入口付近にやってきました。


近くには「大阪市立博物館」が昭和の初期の雰囲気を醸し出しています。


大阪市の大阪城公園内にあった博物館という方が正しく、旧陸軍第四師団

司令部庁舎を利用して1960年に開館し、2001年に閉館した。

 

1929年(昭和4年)昭和天皇即位の記念事業

として、陸軍第四師団の司令部庁舎を新築す

ることになり、1929年4月に着工・1931年

3月に竣工し、国へ寄贈されています。

太平洋戦争後はGHQに接収され、1948

年に接収解除された後は大阪市警視庁本部、

大阪府警察本部の庁舎として利用されて

います。

大阪府警が現在の大手前に移転した1958

年に大阪市の管理下におかれています。

その後、大阪市立博物館として利用されたものの、2001年大阪歴史博物館

が開館するにともない閉館しています。

今後の利用は未定らしいですが、これだけの

歴史を持った昭和の代表的建物です。

何とか有効利用して欲しいものです。


しばし、大坂城の威容に見惚れていました。


賑やかに聞こえる会話のほとんどは中国語か

台湾かまたは韓国か?

時代の変遷を感じざるを得ない光景が見られ

ます。写真を撮ってくれませんか?と話しか

けられるのではないか?と幾分、ドキドキし

てベンチに座っていましたが何とか無事に

すみました(笑)


今回の大坂城訪問は「天守閣」の特別展には

時間が足りませんので次回ということにして


早速、大坂城跡発掘調査(OS15-4次)の

現地説明会会場の方に向かいました。

古墳の発掘現地説明会には幾度も妻と行きま

したが戦国時代の大坂城発掘は初めてです。


その模様は大坂城②にて