爺爺のつれづれ日誌

幕末好きな歴爺の気まぐれブログです。
ここからは、ジャンルにとらわれず、浅く広く楽しみたい♪


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2017年9月30日

「長屋門さきがけ塾」

NPO法人「維新の魁・天誅組」が主催する

「長屋門さきがけ講座」に参加してまいり

ました。天誅組の記事投稿はほんとうに

久し振りです。

五條市史跡公園 五條市は明治維新発祥地

として早くから喧伝されています。

いつもは正面右横にある駐車場から入るので

すが久し振りに正面入り口から入りました。

なかなか趣のある雰囲気が(・∀・)イイネ!!

過去10年にもなるでしょうか何度もお世話

になってます、通称「長屋門」こと正式には

「民俗資料館」といいます。

資料館は、江戸末期には五條代官所の長屋門

だった建物です。

もともとは、現在の五條市役所のある場所に

建っていた代官所は、文久3年8月17日

(8.18政変の前日)に起こった天誅組の変

焼打ちに遭い、翌元治元年(1864)10月に

この場所に代官所を建て直しています。

 

明治維新後、代官所は五條県庁に引き継がれ

明治10年には五條裁判所となって最近まで

存続されていました。

五條市生まれの私は小学生の頃、社会見学

の一環として裁判の見学をしたことが懐かし

く思い出されます。イヒ

その後は正門である長屋門と広場を五條市が

譲り受け、広場を史跡公園、長屋門を民俗資

料館として活用されています。

綺麗に整備され市民の憩いの場としても広く

利用され、特に桜の季節には多くの人が散策

に訪れています。

勿論、昨今は「天誅組史跡」の本丸として

全国から幕末フアンの方の訪問が増えている

そうです。嬉しいことですね。

 

さて、本日の「長屋門さきがけ講座」は

津藩(藤堂藩)からみた天誅組

講師は津市観光ボランティアガイドネット

ワ-ク協議会会長の西田久光さまです。

幕府側討伐軍(藤堂藩)からみた天誅組と

いう演題には初めてのケ-スでしたので大変

興味をもって聴講させていただきました。

 

ご覧のように10頁にもおよぶ資料を作成

され、藩祖高虎から幕末に至るまでの

「藤堂藩」の歴史や家風を先ずはわかりやす

く説明いただきました。さすがにボランティ

アガイドの会長さんです。時間の配分も上手

く、声は勿論、話し方も軽妙でどんどん惹き

こまれていきました。勉強になります拍手♪

 

天誅組蜂起への津藩の初動は文久三年8月

23日津藩京都堀川邸に出動命令があり、

今在家在営の藤堂新七郎の部隊が大和へ出陣

8月27日には伊賀上野より藤堂玄蕃の部隊が

大和へ出陣しています。

この間の天誅組について、津藩家老の日記

「中川蔵人日記」や伊賀城代家老日誌、

「庁事類編」文久3年から当時の津藩の動向

がよく理解できました。GOOD。

 

特に興味があったというか共有できたとでも

いいましょうか。懐かしい思いで聴かせてい

ただいたのが

撒兵(さっぺい)隊長・町井台水(たいすい)

の出陣日記「南討紀略」の説明でした。

(徳田武「幕末維新の文人と志士たち」)

東吉野村から脱出した天誅組主将中山忠光

以下20数名の天誅組を追って、捕縛の途に

ついた様を書かれた史料ですが、桜井市に住

む私が一番はじめに取り組んだ天誅組史跡

探訪がまさにこの桜井~天理~奈良古市に

かけての天誅組足跡(古市、帯解)でした。

 

資料①~⑯におよぶ貴重な史料を添付、解説

いただき、幕末~鳥羽伏見の戦~明治維新に

おける藤堂藩の考え方や行動がよく理解でき

ました。

藤堂藩に対するイメ-ジとして、よくいわれ

ているのに「世渡り上手」「裏切りの体質」

があります。

戦国時代から江戸初期にかけて徒手空拳で

出世した藩祖藤堂高虎の故事をもって必要以

上に悪いイメ-ジをもって語られているから

とも思います。私にはその評価について語れ

る知識はありませんが、こと天誅組に対する

藤堂藩の扱いや考え方は他の紀州、彦根藩と

は大きく異なっています。桜井~天理間で捕

縛した天誅組隊士11名を奈良古市の奉行所

に送りその後一旦は伊賀上野にて再吟味の末

京都六角獄舎に送っていますが、その時の扱

いは立場こそ違え皇国勇敢の士として丁重に

処しています。

更に資料⑪ 藩主高猷(たかゆき)名で意見

書が提出され助命嘆願をされています。

 

また資料⑫では捕縛された天誅組志士11名

酒井伝次郎・鶴田陶司・尾崎太郎・江頭種八

・土居佐之助・岡見留次郎・森下儀之助・

安岡斧太郎・竹林八郎・田所騰次郎・安積五

郎の11名連名による津藩での処刑を望む

嘆願書が出されているのも尊皇に篤い津藩を

物語っているといえるでしょう。

 

家康の孫娘・東福門院和子入内に関し幕府方

窓口として後水尾天皇側(近衛伸尋)と折衝

仏門に入った後水尾天皇の子女梅の宮の寺を

明治維新まで支援。近衛家(藤原氏)と昵懇

になり、後藤原朝臣を名乗り氏神・春日大社

へ高虎以降歴代藩主が吊灯籠奉納、支援して

いる歴史も知ることが出来ました。

 

いやあ大変面白い講座でした。グッド!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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