こんにちは。
今日の京都は、とっても気持ち良い秋晴れです。
予想最高気温も30℃!?すでに真夏なみのアツさです。
皆様にとって、爽やかな日曜日になるといいな、って思います。
さて、今日は、ちょっと考えさせられた出来事に出逢ったので、それを書かせてください。
つい先日のことです。
私は「とある事件」に遭遇しました。
電車で帰宅中に、私の目の前で、ある高齢のおじいさんが、よろけて動けなくなりました。
立ったまま微動だにできなくなってしまい、前にも後ろにも進めない!
動けなくなってしまいました!
目的地に着いたおじいさんが駅で降りようと思っても降りられません!
すぐ横にいた、おばあさんの介助をもってしても動けません!
…降りられない…
助けてあげたいけど、私一人じゃなにもできないし…
どうすることもできないし…
「あ~(;_:)、どうしよ~」
いろいろ考えている内に、目の前でドアがしまってしまいました。
…プシューッ…
結局、何もしてあげられなかった私…
見て見ぬフリをしてしまった私…
その直後に、私の心には、ものすごい罪悪感が襲ってきました。
「(ごめんなさい。ごめんなさい…)」
罪悪感を消し去るために、私はせめて声をかけたいと思い、話しかけました。
「大丈夫ですか?」
(大丈夫なはずがないのに、出てきた言葉がそんなベタな言葉…あ~情けない…)
「何かチカラになれることはありませんか?」
必死に声をかけるも、気が動転している高齢夫婦に私の声は届きませんでした。
おじいさんの強い要望で、私はなんとか次の駅でおじいさんを降ろしてあげましたが、まったく動けないものだから、困ったものです。
背負ってあげようと思ったのですが、足が硬直してしまい、さらに腕を肩に回すことさえできない!
背負うことができない((+_+))!がーん。
「どうしよ(*_*)!?」
駅では、何人もの人が降りているのに、みんな見て見ぬフリ…
「(みんな薄情やなぁ~(-"-)~)」
私だって、最初は見て見ぬフリをしていたクセに、私たちの横を足早に通り過ぎていく人たちにイライラしました。
そこへ救世主が現れました!
一人の心優しい女性が駈け寄ってきて、介助を手伝ってくれました。ずっとおじいさんの傍に居てくれて、声をかけ続けてくれて、ほっと安心しました。
介助を女性に任せて、私はすぐに駅員さんを呼びに行きました。
背負うことができなかったので、みんな困り果てましたが、駅員さんと私と女性の三人で抱きかかえて、エレベーターの無い、木の駅舎の階段を一歩ずつ慎重に運びました。
ほっと安心…
のはずが…
みるみる内におじいさんの顔色が蒼くなって、意識も遠くなっていって、呼吸も苦しそうになっていきました。
「(やばいっ!)」
駅員さんが救急車を呼んでくれたおかげで、おじいさんもおばあさんも安心して、救助の人たちのおかげで無事に事なきをえることができました。
… … … … …
今回、たまたま素晴らしい女性が手伝ってくれて、駅員さんが介助してくれたから、大事には至りませんでしたが、振り返って私が思ったことは、
私自身が、「助けてください!手伝ってください!」
そう声をあげるべきだった、と思いました。
見て見ぬフリをする人たちにイライラするよりも、まず先に、ひとりで全部を背負うのではなく、手伝ってもらうことを考えて、みんなで助ける、そのことに集中すればよかったと思いました。
でも私は、不安と怖さから気が動転して、「助けて!」が言えませんでした。
気が動転した時の「助けて」…
見知らぬ人に対しての「助けて」…
その一言を言うのが、こんなにも難しいものなのか!?
私は身を持って痛感しました。
「なぜ、助けてって言えないんだろう?」
私は、その理由を、横で震えていたおばあさんから教えてもらった気がします。
そのおばあさんの口からずっと発せられていた言葉は、
「助けて」ではなく…
「迷惑をかけて、ごめんなさい。本当に迷惑をかけて、ごめんなさい。どうしよう?こんなにいっぱい迷惑をかけてしまった…」
迷惑をかけてごめんなさい…
その言葉が繰り返されました!
つい先日、私のブログでも書きましたが…http://ameblo.jp/shrine-hiro/entry-11330388910.html
「よそ様に迷惑をかけないように生きなさい!」
昔から、そんな風に教え込まれた人たちにとっては、迷惑をかけることに対して、凄い抵抗があるようです。でも、人は、やっぱり、迷惑をかけてしか生きられません!
だから、ちょっと気持ちを楽に持って、「手伝ってください」の一言から練習できたらいいですね。
そして、「助けて」が言えない人に気づけるようになれたらいいですね。
人類皆兄弟…
すべてのことを一人で背負わずに、まわりを信頼して、助けてもらいながら、「ありがとう」の中で生きていけたらいいですね。