晴れ「朝日新聞、夕刊」2009.8.17付けより。シャイ家キラキラ

一面のコラム「ニッポン人脈記」では“清張の「昭和」”と題した記事があり、その中のワンフレーズだった。実に何とも重たい訪問だろうと思った次第。作家の森村誠一氏の言葉だった。氏は松本清張さんの家を2度たづねていた。そのどちらもが人生を変えるほどの訪問だったと述懐してる。それはいったいどんな訪問だったのだろうかと気になる。

一つ目は、ホテル勤めのかたわらに書いたエッセーが発売される直前だった。ある人に紹介されて訪問したものの、松本氏は森村さんに目もくれずに、ほとんど紹介者とばかり話していたようだ。約束の面会時間は5分だった。そこで、森村氏は「先生のホテルの描写にはミスがあります」と割り込むと、初めて森村さんに目を向けたという。

そして、ホテルのチェックインの様子などについて、清張さんは森村氏から2時間も取材したという。その後上機嫌で「本を置いていきなさい」と言ったようだ。それから2日後に60字ほどの推薦文が届いたという。その本が売れたことで、森村さんは本格的に作家を志したのだった。

二つ目は、それから4年後に「高層の死角」で乱歩賞を受賞したとき、選考委員の一人だった清張邸をみやげを持って訪問していた。ところが「アポなしのやつには会わん」という声が奥から聞こえてきたのだ。しかし夫人に引っ張られて玄関口に出てきた清張さんは「まあ、頑張りなさい」とひとことだけ言って奥に消えてしまったという。

つまり森村さんのことは眼中になかったのだ。その時、天文学的距離感を思い知らされたという。そして、駅までの帰り道、悔しくて涙が出たと述懐している。それをバネに森村氏は数百冊のベストセラーを生んだのだろう。確かに2回の訪問が人生の節目にかかわっているようだ。凡人の私などにはそんな人生を変えるほどの訪問を思い出すことはできない・・・な。