晴れ「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。ドキドキ

最後の第五章のテーマは「歩いて心のエネルギーを蓄える」となっていた。筆者は歩くことで、自分の中にエネルギーを取りこめそうな場所を紹介していた。

たとえば、チアフルはエネルギーなら繁華街を歩くのが格好だった。それらは銀座、新宿、青山だった。懐かしさなら、浅草、根津近辺、人形町、隅田川沿いだそうだ。また知的な空気なら神保町だという。確かに古書店がたくさん並んでいるからそうだろう。

ここで、筆者の面白い体験が語られていた。それは学生時代、田園調布の豪邸が立ち並ぶ坂道をよく散歩したそうだ。そこで感じたのは、気圧される不快さと同時に、普通の住宅街では味わえないぜいたくさだったのだ。

これは私も何度も歩いたことがあるので、実感としてよくわかる。やはりいったんそこに行ってみなければ感じられないことも多い。
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くもり「人を動かす文章術」齋藤孝著より。アップ

齋藤氏は今までかなりの数の著書を出してきたが、その99パーセントは自分が読んできた本から得た、他者の認識で成り立っているという。

つまり自分自身で、まったくゼロの状態から生み出した認識というのは、ごくごくわずかだと述懐している。

孔子は、自分自身の感覚とは九割以上が過去のものの継承だと知っていたという。大事なことはできるだけ多くの他者の認識を自分の認識として定着させることだったのだ。

あっという間に消えてしまうような情報を追うだけでは、自分を深めることはできないのだった。他人の話を引用し、咀嚼し、文章化して定着させるというプロセスがポイントだろう。齋藤氏は自己を深めるとか磨くより、むしろ広げるものだと考えていた。
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くもり「人を動かす文章術」齋藤孝著より。目

ここで筆者は、講演会で聞いた話、教養番組で見聞きした話を、誰かに伝えるつもりで、文章に再構成することを趣味にしたらどうかと提案していた。そうすることで、知識も身につくということだろう。

また書いた文章もそれだけは張り合いがないので、友人にメールで送ってみたり自分のブログにアップしたりするべきだという。確かにそれは必要だろう。

単に書いただけではせっかくの知識や感動も埋もれてしまう。何らかの形で人に発表することが大事だった。普段自分が触れていない情報を与えてもらえるというのはありがたいことだった。

そういえば、フェイスブックでも、珍しい植物や果物をアップしたときは、初めて見ることができた、または名称を知ることができたというコメントをしばしば書いてくれる。

そういう反応があると写真を撮った自分も嬉しいものだ。知識を誰かに伝えることで、感謝され、人脈を太くすることができるようだ。
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くもり「人を動かす文章術」齋藤孝著より。キスマーク

齋藤氏はこう思っているとあった。そして、受動的知識とは、知っているけれども活用できないものだった。実際われわれの持っている知識のほとんどはこれだった。

しかし、書くという作業を前提として学ぶと、インプットの仕方や気構えは驚くほど変化するそうだ。ネタが外にあっても、自分で文章にまとめることで、自分で活用できるネタにしてしまうことができるという。

さらに、そこに自分の知識や経験を絡めていくと自分自身のオリジナルなネタになってしまうのだった。これが能動的知識だった。まずは書くことを生活に取り入れることがポイントなのだろう。
雨「人を動かす文章術」齋藤孝著より。 メラメラ

ふだん何気なく使っている言葉だが、そういう意味合いがあったのだ。それはささやかなものでもよかった。そして筆者は、その瞬間を拍手で祝う習慣をつけることで、気づき力が上がるという。

文章を書くなら、そこには発見、新しい認識、気づきが盛り込まれた文章であるべきだった。まずは、タイトルも興味を持つものにすべきだった。これはつかみというものだ。

筆者はまた面白いことを言っていた。それはエッセイも企画書と同じ気持ちで書くといいという。そこには、新しい発見や認識をはっきりと打ち出してほしいからだそうだ。日常的にエッセイを書く習慣をつけることで、ものの見方もガラリと変わるようだ。

ここには、話し言葉から文章への訓練というまとめがあった。1、メモ。2、まとめる。3、エッセイ。という手順で書けばいいのだった。
くもり「人を動かす文章術」齋藤孝著より。耳

これはつまり当たり前のことを書いたのでは、人の気持ちをつかめないということでもあった。そう言えば、本のタイトルや雑誌の見出しは、スポーツ新聞のタイトルはいかに読者に関心を持ってもらうかを考えて作られている。

売れるかどうかは、見出しが命だといってもいいのだろう。本の売れ行きもそれで大きく違ってくるはずだ。だから、連載が一冊の本になるときには、改題が行われることもしばしばだ。また単行本から文庫になるときにも、まったく別の本のような題名に変わっていることもある。

内容も最初から腰の引けたような、毒にも薬にもならないような文章を書いてはいけないと筆者はアドバイスしている。こんなことは、決して学校では教えてくれないものだ。
雨「人を動かす文章術」齋藤孝著より。パンチ!

ここでは、おしゃべりと書くことの違いについて述べられていた。書くことは、言い訳がきかないということだろう。しゃべりならかなりいい加減なことでも、すぐに時は流れて曖昧なまま過ぎてしまう。また何の発見がなくてもその場は過ごせる。

しかし、書いたものはそれなりに責任も伴うと思われる。そこはスポーツでの試合と同様だという考え方だった。試合に出ているのに、お腹が痛くてプレーできないといっても許されない。外から見れば常にベストコンディションだと思われる。だれも同情などしてくれない。つまり言い訳はできないということだ。

文章も同じだった。「書く」ということを通して、自分の実力をさらけ出さなければならないのだ。これは厳しいというふうにも考えられる。むしろ、自分の実力を世の中に問うという気構えこそが大事なことだった。

筆者が重視するのは、書き方よりも内容そのものだった。それはものごとをどう捉え、発見は何だったかであった。ここがポイントなのだ。エッセイには新しい発見が必要だった。1、日常。2、観察。3、発見。4構成。という要素で成り立っていたのだ。
くもり「人を動かす文章術」齋藤孝著より。!?

この本のサブタイトルには、“誰も教えてくれない”とあった。つまり学校では習わないという意味でもあるだろう。そうならば、読めばお得かもしれない。

さて、この「書く生活」と「書かない生活」があるとすれば、暮らし方、ものの見方に差が出てくるというのだ。

ここでは、書くとはエッセイと考えていた。そこには、単なる作文ではなく、何かしら発見があることが必要だった。そして、それを意識することで、普段の過ごし方も変わるということだった。

これは確かにそうだと思える。筆者は、エッセイ力の向上と認識力・発見力の向上は連動していると表現していた。それは書く生活を始めると、実感できるという。

そう言えば、かつてエッセイに近いものを12年間ほど書いていたことがある。その時も何について書くかを意識すると、いろいろな書物、新聞、雑誌、フリーペーパーにも目を通したものだった。やはり書いているうちに新しい発見があると嬉しかったことを思い出せる。
くもり「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。アップ

ホメるというのは、技術らしい。つまり練習するほど上達することができるのだった。書道、野球、絵画、楽器・・・すべて練習次第で上達が異なってしまう。ホメることも同じだった。

ということで、相手がいなければ練習できないというわけでもなかった。「無生物」を相手にホメても良かったのだ。身近にいる動物、植物でもよかったのだ。

写真家の篠山紀信さんは、モデルをホメながら撮影を行うそうだ。相手が魚でも風景でもホメあげるというのもすごい。

ホメてのせるというこができればいいのだろう。実際に言葉に出せなければ、頭のなかでシミュレーションをしてみるものありだった。いずれにしても、好かれる人間はホメる人だった。
晴れ「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。ひらめき電球

しばしば、失敗は成功のもとともいわれるが、だれも失敗しようとしてするわけではない。日常では、意外にちょっとした不注意で犯してしまうことも多い。だからこそ、注意が必要だといえる。

悪い成績しかあげられなくても、工夫次第でホメることはできるのだった。マラソンの小出コーチは、選手が思うような成績を出せなかったときでさえ、「いやあ、俺はもっと悪いと思ってたんだ。お前、すごいよ!」とホメるとあった。

こう言われれば、怒るよりも効果があるらしい。「もっとできないと思っていたのに、すごい!」というパターンがホメ方の一つのコツなのだろう。