自己紹介です。
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自己紹介です。
生まれた時から自転車屋です。
自転車に初めて乗れた記憶もなければ初めてパンク修理した記憶もありません(皆さんが歩き始めた記憶と鉛筆を持った記憶がないように)
自転車にマニアックな恋愛経験もなく家族愛の関係。
だから、趣味が自転車などと言う事は恥ずかしくて一度も言ったことがありません。
自分をこくしし黙々とペダルを踏み続けることから努力型スポーツといわれる自転車ですが、私は自分を痛めつける事や苦しい思いをしてまでペダルを回すのは嫌いです。
だから、登り坂は大嫌いです。
自転車の醍醐味(気持ちよさ)はペダルをこぎ終えた後、スィーと惰性で走って風になる感覚だと思っています。
それから、仲間を気にしながら走るグループランも嫌いです。自転車は自分のペースでのびのび走るものだと思っているし、一人で自由気まま、思いつきで走りたいからです。(交通ルールーはきちんと守って)
そんなオーラが店から出ているのでしょうか・・・。
お客様には一匹オオカミ的ライダーが多く、みなさん自分流で楽しんでいます。
はじめての遠乗りはプチ家出
小学4年生の時、親父に叱られカンシャクを起こし自転車で家出をしました。
家出と言ってもガキの衝動で、お金も持たずあてもない無計画なものでした。
怒りが治まり冷静になったら平塚を越え大磯に・・・・・・・・・いました。
近くの公園の水道で腹いっぱい飲んだ水の味は未だに忘れていません・・・。「ああ、水はうまいなぁ」
怖い思いがトラウマとなって・・・
商店の道路端暮らしが良かったのか悪かったのか?交通事故の恐怖と交通安全への意識。
「自転車が左側通行を守れば自転車事故は半分以下に減る・・・・・」
これは私の子供の頃からの経験です。
サイクリストが守ること・・・・キープレフトとロードマンシップ(左側通行と譲り合いの精神)をバカの一つ覚えのようにずーと、繰り返し言い続けてきました。これからも続けます。
実は、小学低学年の時、歩道を逆走(右側通行)していて大通りに出ようとした小型トラックの前方へ転倒しながら突っ込んだ事があるのです。
滝沢床屋さんと広瀬酒屋さんの間の路地です。昔は習字教室とクリーニング屋さんでしたけど・・・。
おもきってバンパーを叩き大声で運転手さんに知らせ事なきを得ましたが、目の前にあった太いタイヤの恐怖は今でも脳裏に焼き付いています。
小学時代の怖い思いはこれだけではなく、逗子海岸から鎌倉海岸へ向かう湘南道路の下り坂トンネルで、両手ばなしアパッチをして(手で口を叩きアバババババ・・)鎌倉海岸への急カーブをオーバーランそのまま海へ落ちそうになったり・・・。
剣崎から金田湾へ下りる急カーブで最高速を出そうとメーターに気をとられ突っ込みそうになったり・・・・・・・・。交通量が少なかったことが命拾い?
安全走行に目覚めさせてくださったのは、鳥山新一さんの本でした。
スポーツマンにスポーツマンシップがあるようにサイクリストにもロードマンシップ(道を愛する人の精神)があることを教えていただきました。
また、三浦半島でトレーニングをしていた競輪選手は走りのお手本でした。信号をきちんと守り、身体がぶれずとてもきれいな走りをしていました。
私がタバコの吸い方を知らないのは自転車界の先人達の教えです。
中学の時、ピスト(競輪選手が乗る競技用)に乗り、競輪選手を真似て三浦半島を走り回りますが・・・・。
私の短足の原因が成長期のピストだったと気がつくのは・・・・・・それから10年後。不入斗中学校で毎年開催されていた自転車競技市民大会でした。
それに引き替え一輪車チームの足長なこと。
中高生の時に乗っていたピストは乗れない状態になっていますが、まだあります。
ブリヂストンのダイヤモンドトラックレーサーでヘッドにダイヤモンドが埋まってました・・・・?
当時は本物だと本気で思っていました。
フェリーボートの船底窓から見た夕日こそ
サイクルキャップにブリヂストンの黄色いジャンバー(当時は黄色に赤文字がブリヂストンカラーだった)を着て、房総千葉をひとりでサイクリングするのが大好きでした。
久里浜から金谷港までのフェリーで始まる日帰りの旅。東京丸、新かなや丸、初代しらはま丸・・・・。
船底の車両甲板には客室へ上がる階段下にオートバイと自転車専用の駐輪スペースがあり、客室へ上がらないライダーやトラックの運転手さんとよく話をしました。
帰りのフェリーは日没の時間と重なったため小さな窓から見える三浦半島に沈む夕日を見て、その美しさに子供ながらに感動。
船底の窓は波が低く見えてとても迫力がありました。
今フェリーはみんな新しい船に入れ替わり、自転車スペースもなく、乗客は全て客室へ上がらなくてはならなくなってしまいましたので、船底窓からの荒波も夕日も見る事はできなくなりました・・・。
そういえば、館山のユースホステルはまだあるのかな?バツとして窓ふきをさせられましたが、なんの罰だったか思い出せません。
伊豆のいろり荘ユースホステルのおばあちゃんは元気かな?お元気ならば120歳をこえているでしょうね。
修行先はブリヂストンサイクル
あまり大きな声では言えませんが、学生時代は自転車屋になろう(親の後を継ぐ)とは思っていませんでした・・・・が、社会人としてのスタートはブリヂストンサイクルでした。
奥多摩の研修所で新入社員研修。
埼玉上尾工場見学、営業所では先輩社員について県内自転車店をまわり、週1回神奈川販売本社で営業部長、販売促進部課長による勉強会。
私だけは将来、店を継ぐということでブリヂストンサイクル県内販売台数№1の横浜洋光台フラワーサイクルさんで週2回研修手伝い。
当時、学んだ事全てが私の自転車屋としての原点でした。
繁栄店には特徴がありました。
1、気軽に空気を入れに来るお客さんが多い。
2、親父は無口でぶっきらぼうな職人気質(正直者)。女将は気さくで明るい街の人気者。
3、サドルをイスと呼び専門用語を使わない。
子供車をちゃんと売っている地域密着店は元気でした。
町の人達に閉店したら困ると言われる店です。
社内トップセールス社員にも特徴がありました。
1、自転車店親父の「あそこに使うあの部品持ってこい!」の意味不明な会話に対応できる。
2、一番早く出社して、一番早く電話に出て、一番早く仕事先へ行って、一番早く会社に帰って来る。(だらだらと仕事をしない)
3、販売店の女将に人気がありもてる・・・。
ちなみに私は劣等社員でした。
初仕事・・・・・
ブリヂストンの営業ノルマは厳しく数字未達成は許されず、恐い営業部長に毎日毎日叱咤激励され、ノルマの為には日曜日も出勤し9時10時まで仕事はあたりまえでした。
新人の私は先輩セールスマンについて配送を担当していましたが、ある日新型子供車コスモスター(鉄腕アトムのキャラクター)が新発売された時「そろそろお前も売り込みをしてみるか・・・」と言われセールス初体験をすることになりました。
ただし横須賀地区は自転車屋である親の顔(ご祝儀?)で買ってくれる店があるだろうから、あえて誰も知らない地区の自転車屋を指定され売り込みにいきました。
新製品の説明をして16インチと18インチの色違いの自転車を店に並べてくれるように一生懸命お願いしましたが、「在庫過剰で置くスペースがない」「資金がないので来月買う・・・」と、どの店もクールな反応、一台も売れずに営業所へ戻りました。
次の日、私の代わりに廻った先輩が約20軒の店から50台以上の注文を受けて営業所へ戻ってきました。
「ハハハ経験の差だよ」と先輩は優しく笑っていましたが、私は自己嫌悪でハラワタが煮えくり返るような思いでした。
プロ野球で打ち込まれたピッチャーがダックアウト裏でカンシャクをおこし暴れまくるように、初めてのセールスが完敗であったことに悔しくて悔しくて・・・・・・。
今、先輩に感謝しています。
知り合いの温情に頼ることないように、あえて横須賀地区を避けた事に、そして自ら手本を見せてくださった事に。
最高の品質で社会に貢献
ブリヂストンサイクルの社訓です。
ブリヂストンの社員時代の事は昨日のように覚えています。
海、恋、友情!青春映画制作に熱狂し、多くの友人達と生意気な学生時代を過ごした私にとって、社会人1年生{ゴミ)は出会うもの全てが新鮮で、大人の顔もよく見えるようにもなりました。
青春、青年期においてゴミの経験(自分の意見が全く通らない1年生)をする事は大切な事だと思っています。
体育会にある4年生神様、3年生人間、2年生奴隷、1年生ゴミの縦社会です。
高校時代は応援団で「女人禁制だぁ~!大団旗は倒すな!目をそらすな!歯を見せるな!学ランのホックを開けるな!ピシッとしろ!正拳!騎馬立ち!押忍!ソ~~~!」
正統硬派の美学というのか封建社会というのか・・・・・・・もうもう、いやいやでしたがトホホ。(でも、3年になって手下どもを締める快感はうっふっふ)
ここで余談です。
応援団の学ランは何故ハイカラーで丈が長いのか?又だぶだぶのズボンをはくのか?
ハイカラーは大声をはりあげる喉を敵の矢から守り、丈の長さは演武の時はみ出すワイシャツを隠すため(真夏でも下に長袖のワイシャツをピシッと着ている)。
ズボンは騎馬立ちの時、単純におケツが破けないようにです。
礼儀を重んじる正統硬派の応援団は学ランのボタンやホックをはずす事を禁じられています。
制服というより礼服ですね。
ボタンをはずしてぶっ座ってる奴らはエセ硬派、そこらの軟弱な不良です。正統硬派は道端でうんこ座りなど絶対しません・・・・・・・男のプライドが許しません。
大団旗(校旗)は試合開始から終了まで旗手によって、ぴくりとも動かさず掲げられ、倒す事は降伏を意味し、もし強風に耐えきれず倒した場合は切腹し、となりにいる直立不動の団員(交代要員ではない!)によって首を落とされる。
プロ野球の外野の応援旗とは意味が違います。
振り回す事は断じて許されない!(最近は1,7,9回に揚げるという軟弱なルールもあるようですが・・・・)
エール交換は導師である応援団長が白い手袋をして、贈られる側は頭と上半身を60°(90°だったかな?)まで下げ団旗は相手高の方向に深くお辞儀する(礼)・・・・・・・・・。
応援団OBが集まって歌う歌は校歌、応援歌、コンバットマーチ。 ジャンケンは必ず正拳グー(最初はグーはここからきてるのかな?)だから応援団はジャンケンに弱い。
ハハハ、ついつい熱くなってごめんなさい。
実は私は高校野球大好き親父でありまして・・・・・高校生達の聖域(自主自立)に絶対入らぬよう静かに見守り、野球場の風にはためく大団旗を見上げて深呼吸するのが趣味なのであります。
ここで、余談は終わります。話を元に戻します。
ブリヂストンの上司は仕事に厳しく近寄りがたい雰囲気でしたが、みな気がいい人で当時の教えは今でも忘れていません。
又年齢を重ねるごとに本当の意味に気がついたり、経験をして理解したりと・・・本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
「仕事は何の為にやるのか?金儲け目的だったら続かないぞ!困ってる人に協力する為にするんだ・・・・・・」
ブリヂストンサイクルで学んだ事です。
品質と技術で社会に貢献、そして本物とは?・・・・・・・・・至誠一貫!