昭和のパチンコ | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

最近、出玉の制限の新しい規制も始まったようで、

一時期相当なギャンブルと化していたパチンコも、昔の

庶民のレジャーに戻っているような気もしますね。
昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

 

戦後、名古屋の華僑が考案したといわれるパチンコはヤミ市で

人気を呼び、またたく間に全国に広まり、第1次のパチンコ・

ブームが起きました。パチンコ店は全国で約3万店、メーカーは

600社にも達したそうです。しかし、当局は庶民の射幸心をあおる

として、一度にたくさん玉の出る機種の開発や新たな開店を厳しく

制限し、業界は大きな打撃を受けました。(1951年のニュース)


昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

 

この当時のパチンコは玉の貸し出しや補給も人の

手でやっていましたから電気もほぼ使っていません。

東日本大震災の時には「電気の無駄使い!」と当時

の石原都知事が非難してましたが、これなら相当な

省エネですね。

私は子供のころ祖父に連れられてよく

パチンコ屋に行きました。足元に転がった球を拾い

歩いてよく怒られていたものです。景品も煙草や缶詰、

お菓子がメインでした。よくチョコレートをもらいました。

 

 

 

 

 

ご一読ありがとうございます!

 

 

 


昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々励ましのclickを是非お願い致します!m(..)m