昭和ダイアリー 昭和42年編⑦ | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

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レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

昭和42年に現在まで5千万体売れたという

【リカちゃん】が発売されました!

 
さらに小麦色を濃くした水着バージョンの「クロンボリカちゃん」も追加発売。
これらピチピチのボディは振り向いたとき首を傾げ可愛く見えるような専用ボディを使用していた。
1970年以降、一人勝ち状態となったことで、競争相手のない着せ替え人形市場は
逆に不活性化してきた。そのため態々競合するドォン人形等を自ら投入する余裕も見せた。
  • 1967年 初代発売。
    昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々
    発売時から約1年間は腰部にジョイントが無く、お腹におへそのあるボディだった。

    この時代のリカちゃん はマニアから「へそつき」と呼ばれている。栗色の外巻きカール。

    瞳の中の星はひとつ。

    自社生産は行なわず、株式会社シバに生産を委託してつくられた。

    初出荷時には、漫画家牧美也子 が表紙イラストを描いたブックレットが封入されていた。

  • 1968年 『リカちゃんトリオ』結成、「初代いづみちゃん」と「わたるくん」が加わる。
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          トリオ発売を機会に腰部にジョイントがあるツイストするボディへ変更された。
  • 1969年 いづみちゃんの妹「くるみちゃん」とわたるくんの弟「ごろちゃん」が加わる。

          続いて「リカちゃんのママ」が登場する。

  • 1970年 「レディリカ」発売。

         通常販売されているリカちゃん(香山リカ)とは別設定の人形。ストレートヘアで     

         北原理香、年齢設定は16歳。翌年、ジュン(花園順子)とアヤ(白川彩)の3人で

         『花のトリオ』を結成する。

  • 1971年 日焼けバージョンの「ピチピチリカちゃん」発売。
  • 1972年  「姉のスチュワーデスのリエ」登場。
    夏向け商品ピチピチリカ、ハワイのお友だち「さわやかリーナ」に続き、夏山バージョンの豪華セットが発売されるも、この年で終了した。
  • 同年 「2代目(ニューリカちゃん)」発売。
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        初めて自社生産により誕生。栗色の外カール。瞳の中の星は三つ。

        顔もヘアスタイルもちょっぴり大人になった。付属品として、バラ型のヘアピンが

        ついていた。ハウス類にも対応させるため靴底に強力な磁石 がつき、

        同時にマグネット・スタンドが付属するようになった。また「おでかけスタンド」に

        立たせると足が動き、歩行できた。

    当時の旧タカラの、変身サイボーグ ミクロマン 等の男の子向け商品のラインナップ拡張と時期が重なったため、付属の説明書の構成がよく似ている。
  • 1982年 3代目発売。
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    ヘッドおよびボディが変更され、初代および2代目よりすらっとした体形になった

        口角があがり、唇が厚くやや微笑んでいるような表情をしている。

    三代目から髪型にバリエーションが加わり、ロングストレートや金髪のリカちゃんが発売された。
    田舎っぽい雰囲気を持つためか、歴代のリカちゃんの中ではマニアの間での人気が低い。
  • 1987年 4代目発売。現在まで発売が続いている長寿のリカちゃん。


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       現在のリカちゃんのバリエーションは、全てこの4代目を基本に作られている。
         
  • 1988年 「レディリカ(2代目)」発売。
    リカちゃんの成長後という設定。
  • 1992年 5代目(ピンキーピンクリカちゃん)発売。


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      色白、小顔で大人びた表情をしたリカちゃん。誕生25周年記念の                                             スポット商品として1年間のみ生産された。販売実績があまり伸びなかったのは、表情が笑顔なのが逆に子供に受けなかったためと言われている。

一般にピンキーピンクは五代目と言われているが、一部のファンの間では実際に
そのように称することに疑問も投げかけられている。

       リニューアルオープン。

  • 1997年 誕生30周年記念として「リカちゃんのアルバム」シリーズ発売。
    0歳、3歳、14歳、23歳、25歳、30歳のリカちゃんと娘の7体入りでリカちゃんの
    30年の成長を描いている。
  • 同年 「アイリッシュドレスデンリカちゃん」発売。
  • 1998年 ご当地リカちゃんの第一弾琉球リカちゃん 発売。
  • 2000年 第26回主要国首脳会議 で各国首脳への贈答品として琉球リカちゃんの

       亜種サミットリカちゃん が贈られた。

  • 2001年 「こんにちはあかちゃん」「マタニティーリカちゃん」発売。
    リカちゃんの成長後という設定。
  • 2002年 誕生35周年記念として2代目「かわいいリカちゃん」が復刻発売された。
    記念ドールとして1億円相当のダイヤモンドをドレスやアクセサリーに散りばめた
    「ダイヤモンド・リカちゃん」が1点物として製作され、一般市販ドールとしても
    ダイヤモンドのネックレスをした「ダイヤモンド・リカちゃん」が発売された。
  • 同年 「アイドルリカちゃん」発売。
    リカ、みい、もえの3人がアイドルとしてデビューしたという設定。
  • 2003年 販売5000万体を記念してヴィネット 化した「リカヴィネ 」発売。
  • 2004年 タカラとサカタのタネ との共同企画「虹色スミレリカちゃん」発売。
  • 2006年 3月1日  タカラとトミーが合併し、タカラトミーとなる。
    少子化傾向の中、純玩具メーカーだった両社が将来を見据えた上での決断だった。
  • 2007年 誕生40周年記念「横浜 元町 リカちゃん」発売。
    元町ブランドを身に着けた1000体限定ドール。『横浜人形の家』で行われた
    リカちゃん&ジェニー 「永遠の夢の世界展」開催記念に発売。この人形はおもちゃ
    鑑定士及び『横浜人形の家』のプロデューサーでもある北原照久 の企画から[6]
    3日で売り切れたとされる[要出典 ]
  • 同年 「プリンセスカールマリアちゃん」発売。
    「女の子のおしゃれ」が基本コンセプト。新素材の形状記憶ポリマーヘアーを
    使用し、髪に熱を加えずにカールやワッフルといった髪型遊びが出来るため
    好評を博し、メーカーとしては異例の追加生産を行なった。
  • 同年 かつて登場したお友達ドール「もえちゃん」を幼稚園の先生という設定で再発売。
  • 2008年 「ビューティーカールマリアちゃん」発売。
    2007年の「プリンセスカールマリアちゃん」と髪型遊びが好評だったため同製品を
    ブラッシュアップしたもの。
  • 同年 「ビューティーカットアリスちゃん」発売。
    この「ビューティーカットアリスちゃん」は髪にエクステンションヘアーを付けたり
    外したりという髪型遊びが出来る。
    リカちゃんも「ビューティーロングリカちゃん」として長い髪のモデルが登場。
    リカ、マリア、アリスの3人で「ビューティーモデルズ」というコンセプトで展開している。
  • 同年 ミスタードーナツ とのタイアップ企画「リカちゃんミスタードーナツショップ」発売。
  • 2009年 1月20日 をもって、オフィシャルファンクラブ「リカちゃんフレンド」の新規会員募    集中止。
2010年1月の年賀状 送付を最後に、活動を停止する予定との告知がされる。

凄い歴史があるものですね!

 

男兄弟には縁が無かったですが、日本の文化ですね。


 

 

ご一読ありがとうございました!


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