さて、何を書こう。
あの人の主戦場が、茶の間に敷かれた布団の上から、徐々に外へ外へと向かいつつある。
長い間潮風に晒され続けた車の運転も、いきなり再開している。
ただ、これで万歳三唱、万事解決かというわけでもない。
「バルプンテがかけられている」と表現すべきだろうか。まだ、これからどういう症状が出るがはわからない。
そして、私はそこに一喜一憂(特に一憂)しないように生きられるか。相変わらず試されている。
試されている中でも、
「あの人を思う気持ちもわかる。家族なのだから。ただ、それだけだと自分自身が参ってしまう。だから自分の時間を持ちなさい」
というニュアンスの医者の言葉を鵜呑みにして、自分のための、自分の時間を持とうと思う。