Romance In February 6 | ショート・ショート・ストーリィ

Romance In February 6

12時25分から始まるたった20分の逢瀬を愉しみに、比奈子が毎日いつものカフェで同じ席に着いていることを豊はきっと知らない。
それを承知の上で、今日も同じ時間に同じ席に着き、読みかけの本から栞を抜く。

「相変わらず早いな。飯、ちゃんと食ってるか?」

目は文字を追うけれど、集中力はずっと聴覚に偏っていた。
だから頭上から声が降り注いでくるより前に、比奈子は豊の存在に気付いていた。
豊のお気に入りの一足であるストレートチップの入ったブラウンの靴が、石調の床を一定間隔で渡ってくるそのリズムだけで、彼の到来を知ることが出来るので。

「こんにちは。お昼なら食べていますよ。読書がしたくて、かき込みがちになりますけど」
「それはよくない。内臓を壊せばここでこうやって優雅に読書なんて出来ないだろう」
「時間に拘束されず、病院のベッドの上で飽きるほど読書出来るって魅力的だと思いません?」

呆れたと一言呟いて、豊は彼女の正面に腰掛けた。

こうやって軽口が叩き合えるようになるまで、そう時間はかからなかった。
今ではもう互いの名前はおろか、職業も年齢も知っている。
メアドを聞き出すにはもう少し時間をおいた方が効果的かななどと、次なる算段を考慮するほど、ふたりの関係は縮まっていった。

「家に積んであった本のストックが底をついてきました。……久我さん、お薦めってありますか」

読書中に話しかけられるのを嫌う人なので、比奈子は少し遠慮がちに問うた。
豊は充分な間を置き、丁寧な手つきで栞を頁に挟んだ後に、ゆっくりと顔を上げる。
その表情は思っていたよりも穏やかだったので、比奈子はこっそり安堵の溜息をついた。

「推理小説しか知らないけど」

黙して頷く比奈子を認めると、豊は顎に手をやって親指の腹で皮膚をなぞる。
それは比奈子が好きな豊の仕草のひとつだ。

「……じゃあ、今日一緒に見に行ってみるか」
「どこに」
「……本屋以外にどこに行くと言うんだ」

今度は比奈子が充分な時間を置いて、ああと短い相槌を打った。
豊はそれを確認すると再び頁を開きながら、じゃあ夕方6時にロビーで、と簡潔に告げた。


真っ先に両の耳を疑った。
次いで、今この状況は夢じゃないかと訝しんだ。

比奈子は大きく目を見開かせたまま、動揺を悟られないように手元の文庫本を開いたがどうもいけない。
すぐにでも視線を上げ、豊の顔を確かめたくてそわそわしてしまう。


――夕方6時にロビーで


豊と比奈子。
ふたりは初めて、意思を持って待ち合わせることになった。


 Romance In February 7 へ



 → index へ
 → ショートショート集 へ






宜しければひと押しお願いいたします