Romance In February 7 | ショート・ショート・ストーリィ

Romance In February 7

程よいざわめきは一種の酩酊感を誘う。
しかし今、比奈子がとろりとした気分に包まれる理由はそれだけではない。

「これはシリーズものだけど、割とすらすら読めると思う」

ノイズを掻き分けるかのように、低音が頭上から響いた。
比奈子の肩越しから長くて逞しい腕が伸ばされ、何の迷いもなく特定の一冊を抜き取る。


ここは駅前の大型書店。
比奈子も勝手知ったる馴染みのある場所だ。
そんな自分のテリトリーとも言える場所で、憧れの男と同じ時を過ごしている。

大きな手が、するりと伸びた長い指が――、本の背表紙をなぞるその仕草。
本を抜き取るそつのない所作。ページを捲る指の動き。

それらは今、比奈子の為にだけにある。


幸せだと気持ちを素直に認めてしまったために全身が弛緩したのだろう。
突然腹部がぐうと鳴ってしまった。
まずいと思って腹に手を当て、上目遣いで豊を見遣るが、彼は相変わらず色とりどりの背表紙に目を走らせている。
変わりない彼の態度を認め、聞こえていなかったのだと比奈子はこっそり安堵した。

途端、もう一度、今度はひと際大きく腹が鳴る。

「……なるほどな。一度ならず二度も鳴るとは。つまり今までの俺の説明は一切耳に入っていなくて、晩飯について想いを馳せていたと?」
「いえ、聞いてました……。腹と耳は別別のセクションですから」

頬を紅潮させながら比奈子はパタパタと忙しく手を振り、不機嫌になっているであろう豊を見上げた。

「別別のセクションって何だよ」

視線の先には破顔した豊。
動揺した比奈子の適当な弁解が彼の心を掴んだらしい。
随分と大人っぽい笑い方をするなあとその笑顔に意識を奪われていたら、では腹ごしらえをしよう、と踵を返された。

「……あの久我さん」
「本は俺がセレクトするから。小早川さんは晩飯を選んで」
「それはいいですけど……」

――それって何だかデートみたいじゃないですか

その科白をすんでのところで飲み込んだ。
こういう類の会話は、何となく彼の好むところではないような気がしたので。


食べたいものを聞いても任せると言われ、料理の系統すら指定されなかった。
それはつまり比奈子の食べたいものを選べと言われていることと同義だったのだが、何の制約もないまま好き勝手にしていいと言われても、やはりそれは相手の好みや気分が気になってしまう。

うんうんと唸る比奈子を不憫に思ったのか、豊は彼女を見据えてたったひとつ、条件をつけた。

「……じゃあ、すごく美味しいところを」


ハードルが上がってしまった。




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