我孫子道院には、禁句がある。
それは「頑張る」の一言だ。
とはいえ、「頑張る」はいまの日本で大変重宝されている言葉なので、
「頑張る」の一言を使わないようにするのは、けっこう骨が折れる。
上記の一行も、気を抜くと『かなり頑張らないと、つい『頑張る』という言葉を使ってしまう』という具合になってしまうぐらい、日常に「頑張る」は浸透していて、これが使えないとなると、一気に不便な思いをする。
しかも、みんなが「頑張る」=いい言葉だと思っているから、タチが悪い。
ワタシが「道場では頑張るという言葉は、使わないようにしよう」というと、
誰もが当惑した顔になる。
ではなぜ「頑張る」を禁句にするのか。
それは「頑張る」が、武道の修行によってたどり着こうとしている境地の真逆を表す言葉だからだ。
「身体からの悟りとは?」の項で書いたはずだが、
「悟り」とは、身心自在の境地であって、
身に危険が迫っているときでも、平常身と平常心を保つのが、武道・武術の要諦、極意とされる。
一方、平常身の対極にあるのが、緊張身、
つまり緊張で筋肉が固まっている状態だ。
そして「頑張る」というのは、
文字通り「頑なに張る」という意味なので、まさに「もっと緊張して、筋肉を固めろ」といっていることと同じなのである。
だから頑張ると、窮地が死地になってしまうのだ。
修行者なら、多くの人が経験があるだろうが、
緊張して筋肉が固まると、動こうとしたときに動けなくなる。
これを武道・武術では「居着き」といって忌み嫌い、それを克服することを課題としている。
なかには、筋肉が緊張したまま居着かないように、
もともと緊張している足に、ご丁寧にさらに予備緊張を加えて、
かかとを浮かせて待機するという荒業に出る人もいるが、
これは本末転倒もいいところ。
かの剣聖 宮本武蔵も足の使い方のことについて
「足の運びは、つま先は少し浮かせて、かかとは強く踏むようにする」と
五輪書でその極意を語っているぐらいなのだから……。
しかるがゆえに、大事な場面こそ頑張ってはいけないし、「頑張れ」といってもいけないのだ。
言葉というのは、非常に強い影響力をもっている。
道場でもみんなで実験したことがあるが、
立位体前屈などのストレッチを行なうとき、
「ガチガチ」「バキバキ」と言いながらやるときと、
「ゆるゆる」「トロトロ」「ダラ~」と言いながらやるときでは、
同じ自分の身体なのに身体の柔らかさが明らかに違う。
このように、人の身心は、自分(あるいは他人)のいった一言に、大きな影響を受けるのだ。
ちなみに生理学的な実験でも、
身体に同じ負荷を与えた状態で、「頑張れ!」と声をかけると、心拍数が上がってパフォーマンスが落ちるというデータが出ている。
(新陳代謝が低下して、疲労が進む)
というわけで、我孫子道院では「頑張れ」は禁句とする。
当然道院長は率先垂範しなければならないので、
このブログの更新も「頑張る」つもりはサラサラない。
断じてナマケモノの言い訳でないことを、ご理解いいただきたい!?
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『117』