身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ


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今日、12月8日は成道会(じょうどうえ)

ブッダガヤの菩提樹の下で禅定していた釈尊が、明けの明星の輝くころ、ついに悟りを開かれたとされている日。釈尊はこの時、35歳。

 

悟りの瞬間、釈尊は

「奇なるかな奇なるかな、一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す、ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」

不思議なことに、不思議なことに、一切の生きとし生けるものはすべて、佛の智慧と徳相を具えているではないか、ただ、煩悩に覆われていてなかなか気がつかない・・・)

とおっしゃったそうだ。

 

釈尊の悟ったことの中身は、

「すべてが、縁よりおこることだという。これを縁起と呼ぶ」

すべてのものが関係しあって、互いの存在を支えている。この世のどこを見ても、一切を縁起の法則=理が貫いている。

このことを悟って、釈尊は「覚者」=仏陀となられた。

 

この瞬間から、仏教がはじまった。

 

開祖は、「釈尊の正しい教えを現代に生かす」ために、行としての少林寺拳法を創始されたわけだが、悟りについては、次のような法話を残されている。

 

「去年の悟りと今年の悟りは違うし、昨日と今日は違うのだ。これが人間でなければならないと思う。

この世の中、本当に日進月歩で停滞はない。また、あってはいけない」

「易筋行の易という字は、変化することである」

「死ぬまでが修行である。これが北禅の基本なのだ」

「禅とは、一瞬一瞬を全力で生きること」

 

成道会の今日も、一所懸命過ごして、何かを悟り、悟りのあとの悟りを求めて、また修行を重ねていきましょう。

 

 

埼玉の矢島隆禅先生から頂戴した、インド菩提樹。

親木はなんと、インドのブッダガヤに生えていた菩提樹だったとのこと!

 

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『100

 

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ワタシにとって、今月は少林寺拳法月間でした。

 

まず11月3日(文化の日)に千葉武専があり、

その週末、浦安での合宿に参加。

 

この合宿では、縁あって、去年からちょこちょこ修練し始めた錫杖伝を、集中的に学ぶことができました。

法器を用いる技法は、徒手の延長と言われていますが、器用とは言えないワタシには、一つひとつの動きが難しく、初心に帰って、基礎からついていくだけでも精一杯……。

しかし、去年の合宿のときは、正直、右も左もわからぬ状況だったことを考えると、少しは進歩していたようです!

 

「できないことが、できるようになっていく」

 

こうした稽古・修行の原点といえる楽しみに浸れて、大満足の合宿でした。

法縁に感謝です。

 

そして、19日・20日は、小教区と県教区の研修会。

この研修会では、学科に加え、整法・圧法・活法(人体のツボ=経絡秘孔を用いた特殊な技法)を含む、高段者向けの実技の時間も設けられました。

これらの技法も、学ぶ機会が限られていて、非常に高度で奥深く、絵にも文にもならず、動画でもまったく伝わらないような体伝体得、口伝の世界。

正師の秘授に因らずしては知ることを得ざる妙諦とはまさにこのことかと。

 

こうした技法を学ぶと、少林寺拳法の修行法は、なぜ「面授面受」でなければならないのかが、理屈ではなく、身に染みてよくわかります。

※面授面受=面で授け、面で受け取る。フェイスtoフェイス、マンツーマンで教わること。

(「面授」が、「面で授かり」だと……?)

 

しかし、ワタシ自身に限っていえば、

先達から教えを受けて、それを後進に伝えていく、パスするような立場なので、どちらかというと、

「面授面受」ではなく、「面受面授」の方がしっくりくるような気が……。

 

いずれにせよ、ワタシは本当に師運に恵まれていると思う。

いつも、秘伝のコツを惜しげもなく教えてくださる先達が周りにいてくださるのだから。

 

というわけで、先賢先達から、「面受」で教わったことは、これからも門下生に「面授」で伝えていきます。

 

今回、ご指導いただいた偉大な先生方に、心より感謝いたします。

本当にありがとうございました。

 

◆宝物がひとつ増えました◆

別件ですが、先日、師父より「道服」を頂戴いたしました。

若い時から、ずっと欲しかった道服!

なかなか縁がなく、これまで入手できずにいたのですが……

師父、いつも甘えてしまってスミマセン。

家宝にさせていただきます。

ありがとうございました。

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『120

 

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我々のセンパイ世代、50代後半から60代、70代の方々は、勤勉でガムシャラな方が多い。

とにかく何をやるにしても、アクセル全開、全力投球!

ワタシはそういうセンパイ方が大好きなのだが、それゆえに心配なことがある。

それは、人一倍パワフルだったセンパイ方も、年齢的にさすがに無理が効かなくなってきたということ……。

 

少林寺拳法を一所懸命修練していたセンパイ世代の仲間が、体調を崩して、稽古を継続できなくなったという話を聞くと、本当にさみしいし、悲しくなります。

 

よく、少年部は「育てる拳法」 青年の拳士には「鍛える拳法」 中高年の拳士には「養う拳法」と言われますが、おじさん・おばさん(失礼!)になってきたら、アクセルをゆるめることも、肝心なのではないでしょうか?

 

レースの世界には、アクセルの「全開率」という言葉がある。

直線区間が長い高速タイプのサーキットなら全開率が高く、クネクネしテクニカルなサーキットは低くなる。

F1でいえば、市街地サーキットのモナコGPが、約40%

もっとも全開率の高い、イタリアGPのモンツァで、68%

日本の鈴鹿サーキットで、61%と言われている。

しかも、全負荷・全開となると、全体のたった10%

今年のメルセデスF1のパワーユニットの最高出力が900馬力だそうだが、

その900馬力のフルパワーを使うのは、レース中の10%だけ……

 

なので、本当に速いエンジンは、全開時の最高出力より、ハーフスロットルからのピックアップ、レスポンス、全体としてのつながり、扱いやすさ(ドライバビリティ)の方が、大事だったりする。

 

人生も同じようなものではないだろうか。

全開ばかりでは、F1だってコースアウトしてしまうし、エンジンもマシンももたなくなる。

抑えるところは抑えないと、トップチェッカーも受けられないし、完走できない。

 

人間も、いつでもどこでも身体を張っていたのでは、身がもたない。

普段はできるだけリラックスして、いざというとき、身体を張る。

つまり、平常身を養って、緊張身とはおさらばするのが、修行者の目指すところだと心得ている。

だから、我孫子道院では、引き続き「頑張る」は禁句とします。

(「頑張る」=「頑なに張る」=緊張し、筋肉の固まった状態=平常身の正反対だから)

 

「修行」とは、「継続」するという意味のインドの言葉が語源で、「続けていくことで、変わること」こと。

 

全開バリバリの人生は、とても魅力的で、ワタシもパワフルな人が大好きなのだが、全開か全閉しかないエンジンなんて、どんなにピークパワーが大きくても使いにくいに決まっている。

 

なので、ワタシも含め、おじさん拳士は、フルスロットルではなく、ハーフスロットルで勝負できる、柔軟で、絶対的なパワーより、フィーリングのいい“エンジン”を目指し、修行を継続し、全うできる道を歩んでいこうではありませんか。

 

もちろん、若者の皆さんは、どうぞ遠慮なく、全開バリバリの少林寺拳法ライフをお楽しみください(笑)。

 

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『102

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少林寺拳法の道場では、実技(易筋行)の稽古に先立って、必ず鎮魂行を行う。

鎮魂行では、全員で、教典(経典ではない!)を奉唱し、座禅を組む。

教典は、聖句、誓願、礼拝詞、道訓、信条の五つで構成されていて、

最後は、信条の第四「我等は、法を修め、身心を練磨し、同志相親しみ、相援け、相譲り協力一致して理想境建設に邁進す」と言って、締めくくられる。

 

つまり、我々の運動の最終目標は、理想社会を実現すること。

 

では、その理想境建設に一番必要なものとはなんだろう????

 

 

それは、理想を掲げ、理想を抱き、理想を追い求めることではないだろうか。

それは、夢と言い換えてもいい。

 

開祖は、敗戦直後の道義も人情もすたれ、秩序も青少年の将来に対する希望も失われた日本の状況を見て、人づくりによる祖国復興を夢見て、少林寺拳法を創始された。

そして、物心両面で平和で豊かな、正直者が馬鹿を見ない理想境づくりに乗り出したのだ。

 

ゆえに、指導者は常に、理想を語り、夢を持ち続ける必要があると思う。

 

皆さんは、いま現在、きちんと理想や夢を持っていますか?

 

えっ、ワタシの夢?

ワタシの夢は、

当然、「達人になること」です。

いつになるかはわかりませんし、達人になる前に、おじいちゃんになってしまう可能性も大でしょう。

でも、そのときは、「達者な老人」=「達人」を目指します!?

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『104』

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毎年恒例の達磨祭。

今年は、我孫子道院に、野田、流山、柏の近隣の道院が集まって、地域合同で10月1日に執り行いました。

 

達磨大師は、いまからおよそ1500年前に、
インドから中国河南省の嵩山少林寺に渡り、
釈尊の正しい教えと、その行法(座禅行・易筋行=拳法)を
伝えたという人物で、金剛禅総本山少林寺の本尊。

 

達磨祭は、その祖師達磨大師の命日(10月5日)の前後に、
達磨大師を礼拝し、その遺徳を偲んで法要を行うと共に、
拳士一人ひとりがいっそう拳禅一如の修行に精進し、
「達磨の子」として七転び八起き、不撓不屈の精神と
本当の強さとやさしさを身につけることを互いに誓い合う行事です。

 

達磨大師の教えといえば、

「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」が有名。

 

今年の達磨祭で、ワタシがとくに強調したのは、

「不立文字」と「教外別伝」

つまり、大事なことは、写真や動画、絵でも文章でも伝わらないということ。

 

今日、情報技術があまりにも発達し、様々な情報が、手軽に、瞬時に、ほとんど無料で入手できるようになった。

それはそれで便利で素晴らしいことなのだが、本当に大事なこと、肝心なことというのは、

「面授面受」、つまり直接手と手を取り合って、フェイスtoフェイス、口伝で伝えるしか方法がないということ。

こんな現代だからこそ、組手主体の少林寺拳法の教えと修行に、価値があることを、伝えたかったのです。

 

 

また、達磨といえば、不撓不屈、七転び八起き。

というわけで、今年も七転び八起きの達磨精神を体得体解するために、

達磨になりきって、七回転がり、八回起き上がる「ダルマ受身」をみんなで実践。

 

ゴロゴロ、ゴロゴロ転がってみると……。

転がっている間は、転がることに“没頭”し、雑念がどこかに消えてしまいます。

この瞬間は、無念無想。

禅の修行僧が求めてやまぬ、無我の境地に達するわけです。

頭でっかちの現代人には、たとえわずかな時間でも、『没頭』し、脳を休ませる時間が、重要。

無念無想は、過酷な修行を積んだ高僧しかたどり着けない境地ではなく、誰もが(一瞬なら)体現できるものであり、決して、手が届かないものではない。

誰にでも可能性があることに気づける、つまり「見性成仏」。

 

精神の深いところにアプローチするには、身体を使うのが近道であるという達磨の教えは、最新の脳科学や身体心理学でも証明されている。

 

達磨大師は、人間完成の行において、拳と禅は離れべからざる修行として、拳禅二道ともに禅門の主行と位置付けられた。

 

そうした理想的な、霊肉一如の修行法、完全なる身心一如の練成法である少林寺拳法を学んでいる拳士は、現代における「達磨の子」。

 

 

ダルマ受身で、一度でも起き上がれた人は、「自分には転んでも起き上がるだけの力がある」と信じて、より強く、逞しくさらに達磨に近づくことができるよう、精進を重ねていきましょう。

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』

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