本展公式サイト http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/

 

美術初心者の私には「小田野直武」も「秋田蘭画」もハードルは高かったのですが、2016年8月26日に「小野田直武と秋田蘭画」プレミアムトークに参加して、ものすごく興味が湧いてきましたので、下記ブログ記事で記載したとおり、「江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴 」、「江戸の好奇心―美術と科学の出会い」、「秋田蘭画の近代―小田野直武『不忍池図』を読む」を読んで準備をしてきました。

http://ameblo.jp/shonan5333/entry-12198353137.html

そして2016年11月15日に、本展内覧会に参加させていただき作品を鑑賞したのですが、その前にちょっと寄り道。

(なお、写真につきましては特別に主催者より撮影・掲載の許可を得ております)

 

レセプションの挨拶で法政大学総長の田中優子さんが本展を契機に「小田野直武」をスターにしたいっておっしゃってました。田中さんの1986年の著書「江戸の想像力」や1992年の連載を加筆してまとめた「江戸百夢」では「小田野直武」、「伊藤若冲」、「曾我蕭白」などが取り上げられていましたが、今や「伊藤若冲」は展覧会で何時間待ち行列ができるほどの人気になったのに対し「小田野直武」の知名度はあまりないっていう状況からなんとか押し上げたいという思いだそうです。それほど「小田野直武」は魅力的だけれど知られていないということでしょう。

ちなみに次女の高校新日本史 改訂版(2009年3月5日発行 山川出版社)で「小田野直武」掲載箇所を確認してみると、平賀源内の弟子で解体新書の挿絵画家として紹介されてます。

「洋学の発展とともに、西洋画の技法が紹介された。最初にとり入れたのは平賀源内で、司馬江漢は源内に学んで銅版画を始め、『解体新書』の挿し絵を描いた秋田藩士の小田野直武も源内に師事した。」と。

 

 

「小田野直武」についての世間の認識は教科書でのこの扱い程度という現実を確認しつつ、会場に入ってて最初に出会う「蓮図」を前にした瞬間、田中優子さんの言葉、「小田野直武の絵には品格がある」が想起され、もうすっかり魅せられてしまいました。「小田野直武」をもっとスターにという思いが腑に落ちました。(この隣に佐竹曙山さんの紅蓮図が展示されているのですが、直武さんの凄さが際立ってしまって曙山さん気の毒かも)

今は盛りと咲きほこる大きな蓮の花の白とピンクの色合い、そして茎の伸び上がるようなS字。まるで白い肌にほんのりピンク色染まった瑞々しく清楚な美女が艶っぽく伸び上がっているかのようではありませんか。中国では蓮花を美女に例えていたそうなので、小田野直武さんはそんな美女を見立てていたのかもしれませんね。

 

蓮図 小田野直武筆、陸雨亭賛 一幅 江戸時代 18世紀 神戸市立博物館 【展示期間:11/16~12/12】

無断転載禁止

 

さて、前述のとおり、本展の予習として3冊の本を読みましたが、特に今橋理子さんの「秋田蘭画の近代―小田野直武『不忍池図』を読む」が抜群に面白かった。単なる作品解説ではなく「不忍池図」に隠された謎を読み解いていく、それは極上のミステリーの如く様々な仮説、推理と検証によって事件の手口だけでなくその人間をくっきりと浮かび上がらせるように、「不忍池図」に込められた小田野直武の意図を解いてみせるのです。

 

 

 

重要文化財 不忍池図 小田野直武筆 一面 江戸時代 18世紀 秋田県立近代美術館

【展示期間:11/16~12/12】無断転載禁止

 

謎と言っても、この絵を見て何が謎だかさっぱりわからないのが正直なところ。絵としては手前の芍薬が南蘋風の描写に陰影をつけて写実的に描かれていること、背景の不忍池が銅版画風の緻密な描線で描かれていること、近景と遠景の絶妙なバランス等、西洋と東洋絵画を融合させ独自の表現を生み出そうとした直武さんの思いを汲み取ることはでき、そもそも画力の凄さは実感できても、謎があるとは思えないのです。

 

その謎と謎解きは詳しくは本書を読んでいただくとして、ここではちょっとネタバレでかつかなり端折ってまとめてしまいます。

簡潔に言えば風景画というか名所絵として変ということです。

この不忍池のあたりは学術文芸出版の中心でかつ出合茶屋(ラブホテル)が乱立するあたかも「神田駿河町」と「新宿歌舞伎町」が混ざったような場所で、不忍池は蓮の名所だったとのことですが、この絵には「不忍池図」といいながら、蓮も池の端の茶屋もそこに集う人びとも描かれていないのです。名所絵として蓮花が描かれていれば合理的に説明がつくのですが、ここには意図的に鉢植えの芍薬が持って来られている。

今橋さんはまず直武さんの住まい(アトリエ)が不忍池のほとりの池之端仲町にあったと推定。秋田藩や出羽の高僧了翁道覚関連の資料でその推論を裏付けてます。高度な文化的活況と猥雑性の中で暮らしていた直武さんがその不忍池という画題を意図的に選んだなら、そこに置かれた芍薬とは何なのか?

 

今橋さんの文を引用します。

「不忍池図」を構成するモチーフのうち、とくに前景とされた「芍薬」の花について、古代中国以来の文学的言説を踏まえて、背景の「池」との関係で考える。すると、驚くべきことに「花」は植物としてではなく、伝説的な美女ー具体的には、唐詩世界の中でしばしば題材とされる、 「班婕妤」の見立てとして選ばれ、背景の「池」とともに計画的に配置されたことが明らかとなる。つまり「不忍池図」は、<風景画>の相貌を私たちに示しつつ、実は同時に<美人画>でもあったということなのである。

従来では、風景画あるいは真景図としての評価の方が、優勢を占めてきた感のある「不忍池図」だが、本章において提示するこのような図像解釈の方法は、従来の秋田蘭画研究では用いられてきたことが全くない。伝統的に<花鳥図>の一類型と見徴されてきた絵画作品が、実は何あろう<人物画>をも意図されていたと知ることは、江戸時代絵画における写生や現実的表現とは一体何であったのか  ということを、根底から理論的に再考する契機を拓くことに他ならない。江戸時代花鳥画が、極端に言えば西欧におけるジャポニスム以降の「装飾画」的鑑賞を、 根底から拒否するような複雑な意味体系を時に隠し持っていることに、私たちは今こそ自覚的になるべきであろう。 現代の私たちの想像を遥かに超えて、花鳥画と人物画(とくに美人画)の境界が、江戸時代においては極めて暖昧 だったという驚くべき事実を、本書において新たに確認したいと思う。

(本書P28-29)
 

今橋さんは、芍薬の花が美人の例えであること、秋田蘭画派の美人画から彼らが中国の歴史や詩文に深い造詣があったこと、不忍池を中国の西湖と見立てていたこと、不忍池について「柳の前」等の悲恋伝説があったこと等を積み重ね、直武さんの「芍薬」が中国の美女「班婕妤」を見立てたものであることを説いていくのです。

 

ところで情けないことに班さんのことも全く知らないのでWikipediaより抜粋。

中国前漢の成帝の側室。班況の娘で、婕妤とは女官の名称。
成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた婕妤は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。

 

ということで、実際に「不忍池図」を目の前にしたとき、今橋さんの影響が強すぎるのかもしれませんが、池之端仲町の出会茶屋が立ち並ぶ男女の出会いの悪所の雑多な音に混じって怨歌行の詩が聞こえてくるような気がしたのです。

  【怨歌行 班婕妤】

  新裂斉紈素  新に斉の紈素を裂けば
  鮮潔如霜雪  鮮潔にして 霜雪の如し
  裁為合歓扇  裁ちて合歓の扇となせば
  團團似名月  團團として 名月に似たり
  出入君懐袖  君が懐袖に出入し
  動揺微風発  動揺して 微風発す
  常恐秋節至  常に恐る 秋節の至りて
  涼風奪炎熱  涼風 炎熱を奪ひ
  棄捐篋笥中  篋笥の中に棄捐せられ
  恩情中道絶  恩情 中道に絶えんことを

  (新しく斉の白絹を裂くと、鮮やかな色は雪のよう。それを裁ってあわせ張りの扇を作ったところ、

   丸々とした満月のように見えます。扇は天子様の懐に出入りし、動かされるたびに微風を発します。

   でも、やがて秋が来て、涼しい風が炎熱を吹き去り、この扇も必要が無くなって箱の中に捨て置かれて

   しまうように、私への天子様の愛が消えていくのが辛いのです。)

 

不忍池のほとりに佇む班婕妤(芍薬)。いまだに恋心は紅く燃えているのに相手の愛はすっかり冷めてしまってそんな恨みとも諦めともいまだ心が落ち着かず煩悶する様が見えてくるのです。なんと寂しくて胸が苦しくなるような情景なのでしょう。

 

嬉しいことに本展ではその婕妤を描いた美人画そのものも見ることができます。唐美人図(伝小田野直武、神戸市立博物館)と卓文君図(田代忠国 個人蔵)ですが、どちらも12月14日から展示予定なので、また足を運んでみるつもりです。

 

ところで今橋さんの著書にはさらにスリリングな後半があるのですが、その醍醐味は、紙を丸めて望遠鏡のようにして「不忍池図」を見てみること。直武さんが絵の見方の革新にもチャレンジしていたという仮説には、とても勇気づけられたことを付言しておきます。(実は内覧会でこれできなかったので12月12日迄に再訪してやってみるつもりなんです)

 

その関連で眼鏡絵について。

小田野直武さんは江戸に出てきてからの7年という短い期間で西洋の技法を取り入れ東洋の美と融合させた新しい表現を追求したとのことですが、平面をあたかも奥行きがあるかのように見せる眼鏡絵というものも描いていたようです。眼鏡絵は凸レンズを通じて見る風景画でより深い奥行き感を感じられるもの。本展では江戸名所を描いた作品を見ることができます。

手前のが眼鏡絵で、「品川沖夜釣」(小田野直武、柴花江氏)。夜の海の暗さの微妙な濃淡、篝火が海面に反射する光などうまいなぁと思います。

 

梅屋敷図(小田野直武 歸空庵)。亀戸天神の梅の花の名所静香庵ですね。確か広重の絵が有名ですが、直武も負けてません。精密に描かれた梅の前を歩く二人組の男と僧。梅の香りが漂ってくるようでこの場所に行きたいって思わせる力があります。

 

ということで、私がとり急ぎそのエッセンスだけでもと思い書き上げた記事ですが、とにかく本展に足を運んで現物を見てください。「不忍池図」の大きさを体感してみてください。直武さんの写生帖の緻密さを、佐竹曙山さんとか佐竹義躬さんとかお殿様の手慰みどころではない素晴らしい絵を、お殿様の友達つながりでの細川重賢さんの博物学的興味の凄さを、秋田蘭画派の画家たちの人物画を、見てください。

繰り返しになりますが、「不忍池図」は12月12日迄、そして班婕妤と思われる美人画は12月14日からなのでご留意ください。

 

【開催概要】

会場:サントリー美術館

    東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3F

会期:2016年11月16日(水)~2017年1月9日(月・祝)

    展示替えあり
入場料:一般=1300(1200)円 大高生=1000(900)円

      *( )内は20人以上の団体料金 *中学生以下は無料

      *障害者とその介護者1名は無料(要提示)

休館日:火曜日、年末年始(12/30-1/1)(ただし、1/3は開館)

開館時間:10時~18時(金曜日・土曜日、12/22、1/8は20時まで開館)

       *入館は閉館の30分前まで