常陸国風土記を歩く
エリザベスでぇすっとっても楽しい風土記の世界
常世の国行方市の風土記伝説よ
常陸の国は常陸国風土記から常世の国とも呼ばれていて、
その語源は「面積はすこぶる広大で、境界もまたはるかに遠く、
土壌は肥えに肥え、原野はゆたかなうえにも豊かである
耕し墾かれた処と海山の幸にめぐまれて、人々は心やすらかに
満足し、家々は充ち足りて賑わっている
いわゆる、海の宝庫・陸の宝蔵、膏したたる物産の楽土である
ゆえに、常世の国と言われた」 と言われている
神の国日本のヤマトタケル
風土記(ふどき)とは、奈良時代初期の官撰の地誌
全国で5つの国しか残っていない
出雲国 がほぼ完本で残り、播磨 (兵庫)、肥前(佐賀、長崎)
なんと 行方はスゴイ
行方郡は省略なしで欠如しないで完全に残っているのです
貴重なものです
713年「風土記」編纂から2013年で1300年を迎えました
「常陸国風土記」で唯一省略されていない「行方条」の
遺称地の中心として行方市では編纂1300年を迎える
2013年まで「風土記1300年日本源流の祭典」として
様々なイベントを行いました
一緒に行方の風土記の世界へ
行方市内にはたくさんのヤマトタケルノミコトの遺称地があります
そこには力強い若々しい彫刻が建っています。
藝都里(きつのさと)の伝説
化蘇沼稲荷神社にある寸津毘古・
きつひこ・きつひめ
茨城県行方郡北浦村蘚沼。昔、国栖(土蜘蛛の類)の
きつひこ・きつひめという二人がいた
命令に背き教化に従わず、たいへん無礼であった。
そこで御剣を抜いて、すぐに斬り殺された。
そこできつひめは恐れおののいて、白旗を掲げて
お迎えして拝んだ。天皇は哀れに思って恵みを垂れ
住むことをお許しになった
化蘇沼稲荷神社に建立しています
化蘇沼稲荷神社の奥にある化蘇沼は、水が枯れていました
ここは、古から大切な水だったのでしょう
化蘇沼稲荷神社の夏祭は、盛大です
(けぞぬまいなり)
奉納相撲が行われています。
このとき、当番地区の女の子による巫女舞も奉納され、
雅楽の調べにのせて古式ゆかしい舞が披露されます
巫女の登場優雅だわぁ
うわぁ~巫女
観客も巫女の登場に感激
厳粛な雰囲気と緊張気味の巫女
巫女さま~可愛い
巫女舞と稲荷の相撲 うふっ
来年、来てくださいね
彫刻家 宮路久子さんの力作ですよ
常陸国風土記の行方郡の旅
(なめがたのこおり)
鹿児島県出身の宮路さんは、行方市沖洲玉造に住んで約30余年。
二科会会員常陸国風土記に記された行方郡玉造地方の
ヤマトタケルノミコト伝承を彫刻作品で表現しています
網状の銅メッシュで銅の原型を作り、その上から直に銅線を
細かい点の集合体として溶接していく技法で、行方の風土記
一緒に行方の風土記の世界へ
行方市内にはたくさんのヤマトタケルノミコトの遺称地があります
そこには力強い若々しい彫刻が建っています。
8月25日(土)開催しました
寸津毘古・