おびんずる様あ~
おびんずる様の体に触ってその手で自分の体をなでれば、病気が治り、頭も良くなれば節々も軽くなる云うおびんずる様の霊験(不思議なご利益)が、尚深く信仰されています
(なで仏)西蓮寺のおびんずる様は、大勢の人に撫でられますので、木造の表面が摩滅したおびんずる様なのです
おびんずる様は お釈迦様の十六人の偉いお弟子(十六羅漢)の一人で 本当の名はビンドラパーラドバージャと申します若い頃は勝手気ままな暮らしをしていましたが、お釈迦様にめぐり合って発心し、出家修行して神通力を得 阿羅漢(世に尊き人)となりました。それからは、その神通力を用いて、病気の人や体の不自由な人を助け、欲の深い人や意地の悪い人を懲らし、心に悩み事を持つ人の為には仏様の教えを説いて、多くの人を救われました
ひえぇぇぇ~
最初はこわかった
西蓮寺 『常行三昧会』ココ
9月24日(木)から9月30日(水)七日七夜の読経三昧が行われている常行堂は、すごい人
~日本唯一 七日七夜の読経三昧~
じつは・・・・すごいことが
おびんずる様は、西蓮寺ばあさんとも呼ばれていますそれは なぜ
むか~し~むかし
平安時代後期のこと
源 義家(みなもと の よしいえ)八幡太郎の通称でも知られる。が奥州征伐の折、この地に立ち寄り唐ケ崎長者(現在の行方市行戸)の家で、お昼を振舞ってくれとお願いしましたが、お武家様に食べされるようなごちそうはございませんとお断りされましたとさ
それなら 出来合いでいいから
それは それは、素晴らしいごちそうがでた
こんな力のある長者を残しておいたら謀反の恐れがあると、唐ケ崎長者の家の者を皆殺しにしました
神様のお告げで酒となる湧水を売った親孝行息子は,後に鹿島へ向かう大道沿いに唐木造り白檀の門構え,三百間四方を土手で回すほどの長者となった。
その時、病弱な小さな女の子がひとり生き残りましたそして、西蓮寺に預けられました薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来を安置して西蓮寺を再興比叡山より,常行三昧会を移し一族の供養に一生を捧げました
ある時、西蓮寺が火事になって、新しい寺院を棟上する時に、大工さんの手違いで日が落ちてきました
西蓮寺ばあさんが、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来にお願いしましたところ、にわかに西のほうが明るくなって無事に棟上が終わったという言い伝えがあります
富豪ゆえ源義家に滅ぼされながらも,一人この難をのがれた長者の娘は,西蓮寺ばあさんと呼ばれ、木彫りの像となり、今も私達を温かく見守ってくれています
西蓮寺ばあさんありがとう
稀有な仏会 常行三昧会を伝える 西蓮寺
西の比叡山東の西蓮寺
常行三昧大法要を修行する常行堂には、明治17年(明治16年全山の建物焼失のため)以後奉建にかかる20万霊以上の信徒各位の祖霊が安置されております
千年以上の歴史がある
日本国中どこにもなく、当山のみに伝わる独自のもので、いかに尊い有難い法事であるか
常行三昧とはココ
天台宗独特の法儀で、古の唐の天台大師の流れをくみ慈覚大師によって比叡山に渡り、後に当山に移されて、千年の歴史を持っています
はじめの9月24日から30日の結願に至る7日間20名以上の僧侶が交代奉仕され、西蓮寺独自の節回しによるお経を昼夜一刻の休みもなく、立行誦経する大法要であって、日本国唯一のものがこの西蓮寺にあります
常行堂にある観音様です
ここで昔から仏立てが行われ、亡き仏様には最上の追善供養と考えられて、各地の信者の方々が年々多くの新霊を奉安して冥福を祈念されています
僧侶が読経しながらお錬行列
お練行列
中 回 向 27日(日) 12:00~
常行堂から客殿へのお練行列がありました
24日(木)~30日(水)
(9:00~20:00まで出店)
エリザベス
ここにくると、気持ちが清清しくなるの
もうすぐ、フィナーレですよ
初日、中日、末日には、境内で学頭寺の名残を彷彿、雅な籠行列がみられます。また、「常陸高野」と呼ばれるように、この法要は「仏立て」と言われ、宗旨の別なく近郷近在はもとより遠隔地から新仏の供養に参詣人が訪れます。
人間は、大自然の中で生きる知恵を育み、心豊かに生きるための術を創り上げてきました小さな脳に大きな夢を膨らませて大願成就に向けて努力してきたのでした
また、人々は自然の驚異に脅かされ見えない霊力や魔力を信じ、怯え、不安の時を過ごしてきたのでした
西蓮寺 客殿(法華堂)
金木犀の匂いがあたり一面に
87坪、明治43年建立 本尊釈迦如来安置法華経読誦の道場で普通一般の法要を行うのはここである
西蓮寺ばあさんの祈り
人がこころ動かす時、祈りが生まれ、ひとからひとへ、親から子へ、師から弟子へ
祈りを満たし希望を叶える聖地
西蓮寺へいらっしゃい