エリザベスです
うふっ
わーい
ココ
今日は、鹿島、香取両神宮とともに「東国三社」と呼ばれ、古くから信仰を集めてきた神栖市の息栖神社に初詣に行ってきました二の鳥居の脇には「東国三社 息栖神社」の石塔が立っていました
鳥居の前に立つと真っ直ぐに拝殿まで延びる参道が印象的な神社
多くの文人・墨客もやってきたココ
俳人・松尾芭蕉の句碑が立っています
「此里は気吹戸主の風寒し」俳聖といわれた松尾芭蕉が、水郷地方を訪れたのは、貞享四年(一六八七)八月十四日で、親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで、鹿島の月を眺めるためであった
(このいわれにあやかって、この神域に身をひたしていると、身も心も洗い浄められて、何の迷いも曇りも、わだかまりもなくなり、体の中を風が吹き抜けるほど透き通って、寒くなるくらいである。といった、息栖神域の醸し出す風趣・威懐といったものを詠みあげたものであろう)
楼門をくぐると 参拝客で賑わっていました関東以北の人達は、伊勢参宮をしたら必ず『下三宮詣り』として、鹿嶋神宮・香取神宮・息栖の三社へお参りする習慣がありました
現在もブームになっているらしい
拝殿ですお正月の雰囲気を満喫
境内には昔の碇や芭蕉句碑、力石などがあり、社殿から少し離れた利根川川岸には日本三霊泉の一つがある
息栖神社は岐神(くなどのかみ)を主神とし、住吉三神、天鳥船神を相殿の神として祭られてあります岐神は除厄招福の神であり、住吉三神は海上守護に、天鳥船神は交通守護の神です
一の鳥居と忍潮井社前の水中(川岸)に日本三霊水の一の忍塩井がある。俗に女瓶男瓶と云って、水中(川岸)の鳥居の中(一の鳥居の両側)にあって、この瓶から清水の湧き出でるが男瓶は銚子の形で、女瓶は土器に似て、一説には神代のものと云うが、常に水底に沈んで居り、晴天水澄む日でなければ見えない
看板(碑文)によれば「忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸であり神功皇后の三年(194年)に造られたものと云われあたり一面海水におおわれていた頃、真水淡水の水脈を発見しこれを噴出させ住民の生活の水としたもので海水をおしのけて清水が噴出しているところから、忍潮井の名が付けられたと伝えられている。水と人類のかかわりの中で最も古い形の井戸であり、日本三霊泉の一つとされております」だそうですうううー古い
明治から大正にかけてかけて利根川を利用した水上交通が発達しました。江戸時代も農産物や水産物の多くは舟運により運ばれました。その集散地が河岸でした。町内には、高浜、萩原、日川、等の河岸が有りました。息栖の河岸は物資以外に人の往来も多く、息栖神社の参拝の人々で賑わいました。木下茶船と呼ばれた東国三社めくりの遊覧船も有りました。それにともない息栖神社も有名になり、多くの文人、墨客も多く訪れました江戸中期には一日平均十二艘、年間約一万七千人あまりが利用したということです
水中にある二つの鳥居が神秘的
「忍潮井」の縁結びえ
日本三霊水の1つに数えられる「忍潮井」伊勢(三重)の「明星井(あけぼののい)」、山城(京都)の「直井(なおい)」と並び、日本三霊水の一つに数えられているすごいわ
大鳥居の右側の小さな鳥居の下にあるのが男瓶、左側が女瓶
「男瓶は径2m弱、白御影石で銚子の形をしている。女瓶はややこぶりで土器のかたちをしている」のだとか
これが男瓶で千葉県の銚子の形
忍潮井は、もともと遷座前の土地にあったのだそうですが、男瓶女瓶が神を慕って三日三晩泣き続けた挙句、自力で川をさかのぼってここまで来ちゃったと言う伝説があるのです 日川地区には瓶の泣き声『ぼーぼー川』という地名に由来した名前が残っています
この聖水にはうれしい御利益があるとか「女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと二人は結ばれるという言い伝えもあって、遠方から来る人もいる」男女の縁を取り結ぶ効能があるか、試してみてもいいかもね
しまった
一人で飲んではダメなのね
利根川から見た現在の神栖市ココ
これは、去年の10月に麻生港からクルーザーに乗り込んだエリザベスとその一行の映像です
Oh
ココ
潮来高校ボート部が練習ココ
全国でも強い頑張ってね
素敵でしょ
霞ヶ浦から利根川へ
水郷地帯ならではの情緒ある風景
東国三社巡りの旅