もうすぐ お正月
時代は 移り変わっても・・・・・・・・・
変わらない お正月を思う日本の心
稲作民族の日本人のこころ
お正月の神様へ
エリザベスの自宅の神棚に 柳町忠衛門さんからいただいたお正月の宝船を飾りました
神聖で 豪華絢爛な 神棚になりました
行方の宝船
豪華絢爛な行方の宝船
宝 船 の 匠 この道30年
宝船製作者の 行方市粗毛の
柳町忠衛門 さん
いばらき わいわいスタジオ
地上デジタル放送にもTV出演しました
うわあ~すんごく 可愛いぞ
生中継で行方に来たリポーターさん
菊池 真以(きくち まい)リポーター
茨城県竜ヶ崎市出身 ココ
気象予報士の資格あり
真以ちゃん
新たな気持ちで輝かしい新年を
迎えられそうです
な め が た の
お正月の宝船
艶やかな行方の縁起物
五穀豊穣・家内安全・商売繁盛・交通安全
大漁航海安全 祈願など
私は痩身小食がいいなあOH
柳町さんのご自宅の隣は上羽神社
境内には、明治三十四年建立の、霞ヶ浦、北浦沿岸における佃煮創業者である奥村吉郎兵衛をたたえる碑がある。
吉郎兵衛はここ粗毛の人で明治初期、東京にでて佃煮製法を学び、郷里に帰り、奥村謙蔵の協力を得て『ハゼ』の佃煮製造を試み、これに成功した。
明治十年 西南の役が起ると将兵の食料として脚光を浴び、その後、佃煮製造は周辺に広まり産業として定着し発展した。その後も品質改良に努め,南北戦争のときには,軍用の食料が腐敗する中,吉郎兵衛の佃煮だけは,味がかわることなく,副食品としては以後「兵站(へいたん)第一之要品」となったという
佃煮創業者である奥村吉郎兵衛の碑
WAO行方の原風景なの
お正月のおせちには、霞ケ浦の佃煮
八郎潟に伝えた佃煮
国民的歌手の坂本九さんの祖父である坂本金吉は、霞ヶ浦の漁法である帆曳漁(帆引き船による流し網漁)を八郎潟に伝えた人です佃煮も伝承したのではないかと言われています ココ
第31回特別展「帆引き船と坂本九
-八郎潟へ霞ヶ浦漁業を伝えた坂本家
会 場 かすみがうら市郷土資料館ココ
期 間 平成20年11月1日(土)~平成21年1月12日(祝・月)
入館料 一般210円、小中学生100円
◎展示構成 ココ
◎エリザベスの記事 ココ
霞ヶ浦の佃煮は歴史の産物です
坂本金吉は、一八六四(元治元)年に坂部五衛門の二男として田伏村(かすみがうら市田伏)に生まれました。後に坂本滝衛門の長女はまと結婚し、婿養子となって坂本姓を名乗ります
金吉は、明治三十年代に妻のはま、長男の寛(坂本九氏の父)、長女のちよを連れて霞ケ浦から八郎潟へ移住するのでした
八郎潟の佃煮操業は一八九九年ごろとされます。それは八郎潟に坂本金吉が移住する時期であり、この地域では金吉が霞ケ浦佃煮の技術を伝えたとも伝えられています
先人の皆様の努力で今の私達がいる
きゃあ
早く こいこい お正月