むかし、むかーし エリザベスがこどもの頃、おばあさん
から子守唄に聞いたはなし
『むかーし 関が原の戦いのあと、ここを治めていた佐竹のお殿様が秋田にこのへんの別嬪 さん(美人)を ぜーんぶ連れて行っただ! 』
『ぎゃあー
じゃあ 茨城に残ったのはブスなの?私たちはブスの子孫なの
』
『んだー
だから、はなぺちゃで色黒でブスだっぺ
』
『ぎゃあー
じゃあ 秋田美人の元祖は茨城なのね
』
『んだー
』
『ぎゃあー
じゃあ そのあと麻生は誰が来たの!』
『近江の国・琵琶湖のほとりから新庄さまが大勢の家来とやもり
を連れてきただ!』
『ぎゃあー
信じられないわ! 本当かしら?』
真相を確かめるために立ち上がった美しい・気高いエリザベス と、いうわけで///
『江戸時代の麻生を知るセミナー』 開催いたしますわ
◆開催日 8/24(金)・8/31(金)・9/7(金)・9/21(金)・9/23(日)
9/23(日)は午前10時から市街地を巡ります
◆開催時間 8/24(金)・8/31(金)・9/7(金)・9/21(金)は午後7時30分から9時
◆開催場所 行方市麻生商工会館2F
◆参加費 500円 ◆講師 植田敏雄 茨城地方史研究会顧問
◆申込み 行方市麻生商工会 地域資源∞全国展開プロジェクト
℡0299-72-0520
■ 麻生藩家老屋敷記念館
江戸時代 、現行方市麻生小学校の場所に麻生藩陣屋があり、その周囲に藩士の屋敷がならんでいた。その一つが藩の家老職を勤めた畑家(現麻生藩家老屋敷記念館)である。
■畑 家(現麻生藩家老屋敷記念館)の 表 門
薬医門に属する。
建造年は不明であるが、主屋敷とともに昔日の影を残し、今日まで維持されたのは、福田家及び後継者がその保存に尽力されたからです。
■ 麻生藩について
麻生藩は慶長9年(1604)新庄直頼が常陸、下野両国に3万3百石を与えられ、麻生を治めました。
関東内に配置された外様の小藩で、一度の移封もなく、明治の廃藩を迎えた麻生藩は特異か存在
でした。