【龍蛇の神】第3話 〜民の鎖〜
【龍蛇の神】目次
時は鎌倉時代末期。
シンは弟の三郎に、大和国を支配する
それは、勝ち目のない戦の始まりを意味した。
親しき南都の遊女・
シンの生滅は…
あの時とおなじか。
飲みこんだ水に飲みこまれ、身体はただただ、抗うこともできずに深い闇へと沈んでゆく。
世界は音を失った。
この身をえぐる痛みも、突き刺さる冷たさも、恐れも、苦も、嘆きすらも……。
すべて幻だったかのようだ。
——俺はこんなところで死に絶えるのか。
いや、ひとたび死した命なのだから、これまで生きていたことのほうが不思議だ。
——なぜ、神は俺を生かしていたのだろうか。
無我の下、シンの意識だけがそう語りかける。
ふと気づけば、我が身は消えていた。
真っ暗で大きな海の中に浮かんでいる。
されども己の身体はどこにもなく、意識だけがこの
ここは玄天、宇宙というヤツだろうか。
やはり死んでしまったのか。
いや、この俺はたしかに生きている。
——天とひとつになったのか。
星のない夜空にとろけてゆく意識。
これは夢でも幻でもなく、むしろ今まであった死への恐怖、
これこそが幻想だったのだ。
安らかな心に立つ命、それこそ真理か。
いつしか、虹色の雲が浮かんでいた。
お膳立てしたかのように、雲はたちまち開け、まばゆい朝日に照らされて、龍蛇の黄金に輝くいくつもの鱗が、シンのまぶたを細めさせる。
——ずっと護ってくれていたのか。
龍蛇はなにも語らずとも、守り神だったことを身をもってシンに知らしめた。
心を塞ぎこんでいたのは自分だったのだ。
閉ざしていた〝眼〟が
意識はやがて、我が身に引き戻される。
とても暖かい…。
「しっかりしてよ…シン!」
女の声が聞こえたかと思えば、横になっている我が身から、かすかな痛みが取り戻される。
どうやら、また生かされたようだ。
「大丈夫? 寒ない…?」
背後から、この聞き覚えのある声は伝わって、わずかにシンのまぶたを開かせた。
人肌のぬくもり、日差しの薄明るさ、見知らぬ屋敷の
そして声の主は、
彼女の身につけている黄色い
なにがあったのか、なぜここにいるか。
シンの一点の曇りもない面相に、雪の不安げな表情が上から覗きこむ。
シンはかすれた声をふり絞った。
シン
「ゆき…」
雪
「よかった〜! 死んじゃったと思った… シン…ごめんね… ほんまにごめん…」
寝起きの幼子のようなシンに、雪はやるせないといった声色で許しを乞うた。
だが、シンはいきなり目を見開いた。
シン
「わかったぞ雪。この世は全て夢や」
雪
「えっ、どういうこと?」
シンは雪に身を抱かれたまま、天井を見上げ、場違いなほど清々しく言葉を発したが、すぐにそれがひどく素っ頓狂なことだと気づいた。
シン
「いや、なんでもない…」
雪
「…そんなに殴られたん?」
雪がいたく心配したような物言いだったので、シンはようやく〝現実〟に引き戻されたということを実感した。
池に投げこまれ、あの大男に殺されたらしい。
いや、何故かまたこうして息をしているので、正しくは殺されかけたのか。
そして気を失っている間に、あの夜空のようなところに漂って、龍蛇の背に乗り…。
日頃、身体から意識が抜け出すことはよくあるシンにとっても奇々怪々な体験だったが、
そしてここは、あれこれ荷駄や雑具が置かれた見知らぬ屋敷のなかである。
いつの間にか、この身に覚えのない衣に着替えさせられていたことに気づくが、シンは改めて雪に面し、いつになく由々しい真顔を見せる。
シン
「聞かせてくれ。あの大男のことを」
雪の塞がれた口が、ゆっくりと開いた。
雪
「…うん。あの人は
シン
「衆中やと…!? 名は?」
雪
「
熟々と問うシンと、伏し目がちに答える雪。
衆中とは、南都の治安を任された興福寺の
だが、まさか自分を襲った凶漢どもがその衆中だということを知ってシンは怒りを覚える。
シン
「あのならず者…。衆中くせ、銭を貸し付けて
(土倉=金融業者)
雪
「そう…」
鎖の猿轡をほどいてゆくように、雪は今までの経緯や生い立ちについてシンに明かした。
窮民の生まれである雪とその妹の
だが、四年前の興福寺の騒乱のとき、
雪と咲とその一族は、かろうじて山へと走って難を逃れたが、残ったのは灰と化した住処。
興福寺の一乗院と大乗院による争いは、単なる派閥争いや内輪揉めでなく、民をも巻き込んだ〝宗教戦争〟だったのだ。
住む場所を失った雪と咲は、呆然として南都を彷徨っていたが、そこで衆中の巌玄と出会い、銭を貸すと勧められ、
(百貫=約156万円)
しかし雪と咲は、その銭百貫という重さを理解してはおらず、陶器市で働けど働けど日に日に利息だけが増えていくばかり。
これぞ狙いどおりと巌玄は、姉妹ごと
そうして雪は遊女として買われ、日銭の大半を巌玄にかすめ取られ続けている。
まだ全ての民が銭を使いこなせた訳でもなく、浸透もしていなかったので、無知な者から銭を掻っさらうような
巌玄はそんな無知な民を狙って、法外な利息で銭を貸しつけ、己のほしいままに弱者を操り、骨の髄まで搾取する高利貸だったのだ。
シン
「お互い、知らんことだらけか」
雪
「黙っててごめん」
シン
「しかし災難やな…」
雪
「うん…。でもうちが悪いの…」
今にでも泣き出しそうな雪の顔のかたわらで、シンは思案を巡らせた面様を覗かせる。
重苦しい話は避けられないようだ。
「おぉ、気ぃついとったか」
足音もなく、男が現れた。
細い目に笑みを浮かべ、どっしりとした図体で構え、戸口にそびえ立っている。
シン
「誰や、アンタ……?」
人の気配に鋭いはずのシンでも、この見知らぬ男にはなぜか気づくことができず、戸惑う。
男
「いやいや、驚かしてすまなんだな」
男はいかにも気の良さそうな佇まいで、つねに翁の面をつけているかのような笑みを浮かべ、シンをとらえている。
(六尺=約182cm)
腰には、大きく反った太刀をはいている。
シン
「何モンや…?」
雪
「助けてくれた人ね。旦那様のお知り合いで、シンの居たところを教えてくれたんよ」
すかさず、雪がこの男の素性について語った。
それに続き、男は笑い顔のまま口を開く。
男
「あぁ、
(河内国=大阪府東部)
男は商人で、雪のいる遊女屋の主人の知人で、しかもシンを助けたという。
商人は米俵に腰掛け、やや前のめりになって、シンと向かい合わせになった。
シンはまだ構えつつ、商人の姿を目で追う。
シン
「…ここは?」
商人
「顔なじみの
(問丸=物流業者)
シン
「なんで俺を助けた?」
商人
「ハハハ! これも流れやろな」
探るようなシンの問いに対して河内の商人は、明朗きわまる高笑いで応えてみせ、先刻までの深刻な気配を吹き飛ばした。
シン
「流れ?」
商人
「そうや〜。偶然、いや必然かのぅ。昨日から南都に来たばっかりでな。そしたらこれや」
シン
「なるほど…。かたじけない」
シンは改めて背筋を伸ばし、板床に拳をつけて商人に一礼をした。
商人
「かまんかまん! 助け合いや」
商人は謙遜しながら手を振って笑う。
たいして裕福ではなさそうだが、その素振りはいかにも河内商人らしい。
商人
「ところで〜、兄ちゃんはどっかええところの御曹司かな?」
シン
「まぁ、そんなところや」
商人
「さよか。銭の揉めごとには気ぃつけなな〜」
今置かれている状況を商人が言い当てたので、思わずシンと雪は顔を見合わせる。
この頃やけに興福寺の門徒たちは、貸し付けた銭の取り立てに焦っている。
巌玄がいつもに増して雪に苛立っていたのも、咲が巌玄の子分らに返済を急かされたことも、そのせいなのだろうか。
しかし、巌玄がシンを殺そうとしたことには、それだけではない理由があった。
初め、シンと咲は銭と体だけの間柄だったが、やがてただの遊女と
そのことを知った巌玄は、シンのことを妬み、昨夜のような凶行に及んだという訳だ。
商人
「巌玄な… あの男のタチの悪さは、ここらでもよう耳にするな。兄ちゃんは知っとたんか?」
シン
「少しはな。名前からして人相が悪い」
事情を聞かされた商人は、憐れみを含んだ目でシンの意を汲むように話す。
シンはすこし眉間にシワを寄せ、商人に内情を吐露したのだった。
すると、床から慌てふためいた足音が伝わり、息を荒くした若い男が居間まで入ってきた。
「兄貴! またやらかしたんか!?」
シンの弟の三郎だった。
おそらく、咲にでも居場所を聞いて駆けつけて来たのだろうか。
シン
「やらかされたんや! クソ坊主らにな」
シンは間を置かずに切り返す。
三郎
「ちょっと来いや!!」
シン
「手当ならいらんぞ」
三郎
「いいから! 話聞かせろ!!」
三郎はやけに声に角を立て、雪や商人などには目もくれずに、シンの袖を掴んで屋敷の外へと連れ出した。
怒っているのか、案じているのか定かではない三郎の様子に、ため息をつきながらもシンは、むくれた顔で起き上がって下駄を引きずる。
外はすっかり斜陽で、物干し竿にはシンの紫の
シンはうつむいて西陽に目を細めて、ひしひと伝わる身体の痛みを振り払う。
三郎
「聞いたぞ! なんでまたこんな時期に、あんな厄介な相手にケンカ売ったんや!?」
シン
「いや、ただの成り行きや」
三郎
「ならなんでや? 興福寺を怒らせたらホンマに次は命ないぞ!! 俺も殺される…」
シン
「狼狽えんなや! アイツらが勝手に夜討ちして来よっただけのことや。それに俺は、興福寺の動き探っとっただけやゆうとるやろが」
三郎
「はぁ…!? 探っとったやと…!?」
久方ぶりの兄弟の言い合いのようになったが、今回ばかりはすこし事情が違う。
終始、ふて腐れたような態度のシンだったが、三郎の中途半端な詰問に痺れを切らしたのか、ことの成り行きを自ら暴いた。
シンが遊女屋に入り浸っていたのは、単に遊びほうけるだけではなく、遊女たちから興福寺の門徒の内情を聞きだすためだったのだ。
元より、坊主は色情を禁じられているのだが、興福寺の門徒どもはそんなことはお構いなく、遊女を相手にしては機密さえ漏らした。
雪に近づいたのも、一番人気の遊女だったので誰よりも内情を知っているからという理由で、銭を渡して機密も買っていたということだ。
されど、流れというのは面白いもので、やがてそのような関係だけに留まらなくなったのが、男女の
三郎
「勝手にいろいろと探りやがって…。いっつも俺にはだんまりかよ…」
シン
「興福寺が
冷や水でも浴びせられたかのように熱を失った三郎を横目に、シンは事の顛末を言い果つ。
大和の一大勢力である興福寺が、
まず勝ち目はないだろう。
三郎
「親父と
シン
「俺の話なんぞ誰も耳を貸さんやろな。それに遊女から聞いたゆうても土産話にもならんわ」
三郎
「じゃぁ、どうすんや……」
シン
「なんか証しか裏付けがあればええがな…」
事の重大さをよくやく理解した三郎は、急激に胃でも痛めたかのような顔になって、シンより声が小さくなってしまった。
しかしなぜ巌玄は、シンがただ雪を連れ出していたことだけではなく、興福寺の内情を探っていたことも知っていたのだろうか。
少なくともシンは、巌玄のことを聞いたことはある程度で、詳しく知らなかったというのに。
雪
「あの… ちょっといいかな…」
細心の注意を払うかのように、こちらの様子をうかがう雪が戸口から姿を覗かせた。
大きなシンと三郎の体躯が、小さな雪の背丈を俯瞰している。
雪
「まだ話せてなかったことあって…」
シン
「言うてみ」
シンの目は、しっかりと雪をとらえる。
雪
「実は…巌玄さんにシンと一緒におったことが知られて、あの男のこと教えろ言われたから、シンがいろいろ探ってることも言った…」
三郎
「あぁ!? オマエ、兄貴のこと売ったんか!!?」
三郎がまた目を丸く剥いて、うつむく雪の頭の上から突っかかる。
シンは色の塗られた立像のように動かない。
雪
「ごめん…でも、素直に話したらシンのことは許すって言ってくれたし、もし話さんかったら咲のこと殺すって…」
三郎
「…」
さすがに咲という名を持ち出されては、三郎も太刀打ちできずに目線を逸らす。
咲は巌玄に脅迫されて、興福寺の内情について密かにシンに話していたことを吐いた。
巌玄は雪に謀ったうえで、恋敵であり興福寺の探りをはたらくシンを生かしてはおくまいと、昨夜のような襲撃を働いたのだ。
雪「シン、ごめんなさい… うちのせいで…」
雪は涙目になって、前髪で見え隠れするシンの目の表情を伺おうとする。
だがシンは、涼しげなのか冷え切っているのかよくわからない目つきで、何も言わず、早足で屋敷の中へと退散してしまった。
雪
「怒っちゃったかな…」
三郎
「あんなん怒った内に入らんわ。ただ兄貴は、どっか心閉ざしとるところがあるだけや」
雪
「そうなん…」
陽は、
三郎は咲のもとへ、雪は遊女屋へと帰った後、シンは問丸の主人から拝借している屋敷にて、河内の商人と飲み交わしていた。
なぜ、商人はこうも懇意にするのか? シンには見当もつかなかったが、その気さくな計らいに乗ることにした。
商人
「ささ、遠慮なく。どうせタダ酒やからな〜。ハハハ!」
シン
「あぁ、痛み入る。それにしても澄んだ酒や」
相変わらず笑い顔の商人に勧められ、高燈台の薄明かりを頼りに
この商人は何者なのか? なぜ俺を助けたのか?
顔は広そうだが、俺に振る舞うぐらいなので、おそらくよほど暇なのだろう。
あれこれと憶測はしてみたものの、今さら名を尋ねるのも気がひけることで、我が名や素性をひけらかすのも面倒ゆえ避けておきたい。
互いに名前すら知らず酒を飲む二人だったが、商人もいちいち詮索する気もなさそうなので、これが河内人の気質かとシンは帰結する。
シン
「すべて銭が生んだ
商人
「銭っちゅうもんは諸刃の剣やな。巧く使えば揉めごとせんで済むが、下手したらその逆や。まぁ、でも本質は〝気と力〟なんやろな」
シン
「どういう意味や?」
シンは思わず、酒を飲もうとした右手を止め、商人の言葉の真意を知ろうと凝視する。
商人
「銭はそういう目に見えん力や気が、人の手にとれる形に顕現したもんやとワシは思っとる。やから人の業の映したのが、銭なんかもな」
シン
「たしかに…銭に清きも穢れもなしか…」
商人
「うんうん。それに水とよろしく銭も滞ったら澱んでくるっちゅう質がある。やからどんどん世に流したって回さなアカンのやな」
シン
「銭を分捕っては私腹を肥やす興福寺なんぞ、もってのほかっちゅうことか。アイツらこそが悪業の権化かもな」
シンは勢いづけて、山盃にある酒の残りの一滴まで飲み干し、眉を寄せて眼光を鋭くした。
商人
「そうじゃそうじゃ。果てに苦しむのは民や。誰そが銭を隠し持っとったら、それ補うために民に重い税がかけられるからな。ムチャやで」
シン
「まったく。今となっては銭が民の
両者とも酒に強いのか、まったく酔った様子は見せずとも、熱をこもらせて世を論ずる。
すると、商人は上体をシンに近づけて、耳打ちでもするような素振りで言い放った。
商人
「ここだけの話な、帝がまた北条に戦仕掛けるっちゅう噂もある」
(北条=北条氏、鎌倉幕府)
シン
「…どこで知った!?」
まさしく、シンが予見していたことをそのまま商人が言葉にしてしまった。
飢饉をきっかけとして戦が起き、それに乗じた後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すために、さらなる大きな戦を引き起こすという懸念である。
商人
「風の噂や。しかもな、帝は民と悪党ら率いて戦するとかよう聞こえてくるわ。そりゃ飢饉も起これば戦になるわな」
シン
「悪党やと? ゆうて烏合の衆やろ。
悪党とは、鎌倉幕府に抗する者たちのことで、商人や武士や民など、さまざまな層からなり、貨幣経済を基盤とした勢力である。
土地経済を基盤とした鎌倉幕府と、悪党たちが対立するのは必然的なことであった。
また、悪党とは悪人集団という意味ではなく、幕府打倒という〝革命〟を旗印とした、いわばレジスタンスの意味に近いだろう。
商人
「大っきいもんが強いとは限らんで。実はな、小っこいもんほど強いこともある。ゆうたら、針の先っぽも小さいからこそ痛いんやろ?」
シン
「
商人
「そうそうそう! よう知っとるやん。下手し、民と悪党が巧みにやりよったら、あの北条でも倒れるかもしれんからな」
後醍醐天皇が再び幕府打倒を画策することは、文観から聞かされていたが、悪党まで加勢することはシンにとっても初耳だった。
やはり銭を扱う商人は、くまなく根を張って、裏の事情まで仕入れているものなだろうか。
いっそ北条さえ滅んでくれたら、それと蜜月の興福寺も共倒れし、大神神社がふたたび大和の要石となれるのに…とシンは思いを巡らす。
シン
「ホンマにそうなったら面白いけどな。まぁ、北条は銭の扱いが下手すぎるんは明々白々や。それに、民が飢え苦しんでも知らん顔…」
商人
「世を支えとるのは、武家でも寺社でもなく、民やねんから、そろそろええ思いさせたっても構わんとワシは思うねんけどなぁ〜」
シンは思わず、雪の顔を思い浮かべる。
身分が異なるとはいえ、なんとかしてやりたいという想いは、雪の過去や実情を知ったことで確かなものとなった。
シン
「救民か」
商人
「まさしく!」
シンの的を得た一言に、商人は指を差し向けて念を押すように賛同した。
商人というのは、もっと銭に汚い連中ばかりと思っていたが、どうもこの河内から遊びにきた商人はその真逆のようだ。
商人
「ほな、ワシはそろそろ宿に戻るわ」
シン
「そうか。なかなかいい語らいができた」
商人
「そうやな! 兄ちゃんとは気が会うわ〜。またどっかで飲んで話そうや」
意気投合。
このほかに相応しい言葉は見当たらなかった。
シン
「あぁ、そうしよう。
商人
「いやいや! ええよええよ〜。もし良かったら、いつでもワシの館に遊びに来てくれ」
商人は謙遜しつつ、懐紙と矢立筆ですらすらと
シン
「
商人の館の所書きと、その字の達筆さにシンはついつい見入っていた。
ふと顔を見上げると、すでに商人の姿はなく、残っているのは床にある酒器のみ。
どうやら商人は、ふとした隙に帰ったようだ。
シン
「変なオッサンやな…」
シンは一人、居間のど真ん中で棒立ちになり、戸口の向こうにある星々を眺めて呟く。
縁側に腰かけ下駄を履き、とっくに乾いていた狩衣を物干し竿から降ろし、ようやく着替え、そのまま板間に伏せって眠りに就いた。
明くる朝、シンは
賑わいと喧騒の向こう、忌々しいほどに大きな巌玄の巨体をとらえ、シンは
シン
「おい巌玄!! 俺と勝負せい!」
巌玄の四角い頭がゆっくりと振り向き、声の主であるシンの立ち姿が目に飛び込むやいなや、あの禍々しい形相を剥きだしにした。
巌玄
「あぁ!? オマエ…! 死んどらんかったんか!?」
シン
「あんな甘噛みじゃ手慣らしにもならんわい!! さっさと倒したるから、かかって来い!!」
巌玄
「畜生が!! 今度こそぶっ殺したるわい!!」
巌玄は野太い怒号を発し、腰の太刀を思いきり抜いて、仰々しく振りかざす。
シンは口元に笑みを浮かべ、
つづく。