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2017-02-20 13:37:08

【龍蛇の神】第5話 〜春の餞〜

テーマ:小説




第0話
第1話 ~神の子~
第2話 ~銭の世~
第3話 ~民の鎖~
第4話 〜法の末〜










元徳げんとく3年3月9日(1331.04.16)
大和国やまとのくに南都なんと(奈良県奈良市)




雪はシンの名を春の空に響かせるように放ち、駆け寄ってシンに抱きついた。

シンの右手が雪の頭を包む。




そんな高貴な人やったなんて…。それやのにうちなんかと?

シン
ただの拝み屋や。南都一の傾城けいせいのくせして、なにをへり下っとるんや



貧民の雪には、社家の次男坊と公家の御曹司の分別ふんべつもつかないのだろうが、それでもたしかに雪との間には厳然たる身分の差はある。


しかし…。


はじめは大して好いてる訳でもなかったのに、なぜ重ねあった体から伝わる温もりはこうも、寂しい春を予感させるのだろう。




シンのこと、厳玄がんげんさんに言ってごめんね…

シン
いずれバレてたわ。俺が自分でき散らした厄介の種を、自分で拾い回っただけのことや。それに、女に責めは負わせん


そんなことないよ。だって、先に惚れたんわうちのほうやもん



己を突き動かしてきたのは、雪への哀れみか、雪よりも恵まれていることへの後ろめたさか、いや、両者はきっと紙一重なのだろう。


南都の風は、いらぬ感傷を誘ってくる。



その時、足元からぱらぱらと、幾つかの小さな玉たちが転げ落ちては、土芥どかいを身に浴びつつ、生まれたばかりの子蜘蛛のように散らばった。


雪に貰った、この水晶の勾玉まがたまの首飾りが、遂にその役目を終えて千切れてしまったようだ。



勾玉に連れ添っていた小さな玉は、放し飼いを喜ぶように地を這ってゆき、親玉である勾玉と紐だけが力尽きて倒れこんでいた。




大丈夫かな…、こういうの不吉っていうし

シン
大丈夫や。むしろこういうのは吉兆なんや。身代わりになってくれたんやろな。土に還してやれば清められる



凶兆というのは実は間違いで、本当は持ち主の気を吸ったことで、首飾りや腕飾りが事切れるものなのである。



シン
自分の命を拾ってるみたいやわ



わざと明るい口ぶりで戯けて雪を笑わせつつ、一緒にひとつひとつの水晶を拾って手にとり、柔らかな旭光きょっこうでそれを透かして浄化する。


池に沈められても無謀な勝負を申しつけても、今こうして生かされているのは、この首飾り、いや、雪のおかげなのかもしれない。




拾っても拾いきられへんよ。でもよかった



すでに失ってしまった、自分のなかの純粋さや素直さが、雪のあまりにまぶしく、屈託のない笑顔に映されているようで、少し胸が痛い。


自ら死を招くように、再び波乱の渦に身を投げ込もうとしているのは、生きることへの執着が蘇ってきたからなのか… それとも…。



今までずっと、心の奥底で凍てつかせていた、〝かなし〟という深い業に火がつき、今になってけ始めているからなのかしれない。


封を解くことよって、また新たに何かを失ってしまいそうで、少し尻込みしそうだ。



三郎
まずい! いのししどもや!!



三郎の一声が、物思いの霧を破いた。


見れば北御門の方から、裹頭かとう姿に長巻ながまきを携えた幾人の僧兵たちが、何やら怒号を上げながら、高下駄の音を乱暴に響かせているではないか。



おまえか狼藉者はッ!! 誅罰じゃ誅罰!!



興福寺の大衆だいしゅ、俗に奈良法師と呼ばれる剣難な坊主どもが、十人ほどで迫って来ている。


言ってみればこの僧兵たちも厳玄の一味だが、どうやら、逃げた厳玄の子分どもに呼応して、シンを捕らえようと躍起のようだ。



シン
クソッ! 法難を引き当てたな

三郎
どうする!?

シン
諸共もろとも、馬駆けでイサや!

三郎
おうッ!!



使い古した合図が、すんなりと口から出た。


敵わぬ相手だと悟れば、どの道筋でどうやって逃げるかを咄嗟に見定めて、三郎や仲間たちに伝えていたあのころと感覚が重なる。


胸懐が身体を突き動かした。



さすがに僧兵に来られては太刀打ちは叶わず、馬で身寄りの社まで逃げ出すほかない。


気がつけば、盗っ人のように厳玄の懐にあった幾つかの書状を雑に掴みとり、人さらいのように雪の手をひいて市を駆けずり回っていた。



深い闇から抜け出すため、ひた走る。



道行く人を避け、かつて何度も通った抜け道を潜り抜け、邪魔するものは払い除けた。


三郎も同じように、鈍足ながら咲の手を引いてシンの背中を追っかけている。




シン! 逃げて良いん!?

シン
大丈夫や! 今までより悪いことは起きん!



重鈍に見えるが、思いのほか追っ手は素早く、空き家で身を隠しつつ、常に様子を伺いながら僧兵たちを遠ざけてゆく。


危険だが、いやそれ故これほどたのしさを覚える遊戯を他には知らない。



東大寺中大門なかだいもん近く、やっと馬駐うまどめが見えてきた。

周りに僧兵はいないようだ。



繋ぎを解き、呪縛の籠を突き破るような一心で愛馬に飛び乗り、闇から救い上げるつもりで、息を切らしている雪に手を差し伸べる。



シン
行くぞ! こっから出るんや


…うん! そうする!



雪は一瞬の戸惑いを帯びさせながらも、すぐに覚悟を決めた目になって強く頷き、シンの手をふたたび握りしめた。


雪を馬上に引き上げ、後ろに乗せる。



馬の両腹を突いて手綱を握れば、時は勢いよく前に向かって進み出し、激しく泥を蹴り上げて進むべき道を創ってゆく。


激しく揺れながらも、背中から抱きつくように雪が懸命に掴まっているのがいじらしい。



向かう先が、波乱でも修羅でも本望である。



先ほどまで目の前にあった光景が、つぎつぎと背後に流れてゆき、時は容赦なく動き出す。


この瞬間がずっと続いてくれるのならいっそ、永遠に立ち止まることなく、時の風に吹かれるというのも悪くはないと思った。



咲を乗せた三郎の鹿毛かげ馬が、やけに大きくひづめをかき鳴らして隣に迫ってきた。


雪は何度も同乗させているので慣れているが、咲はやはり不慣れで、音を上げながら命懸けで三郎にしがみついているのも無理はない。



南北に伸びる京路を下っている最中、目紛めまぐるしく人や物が往来しているのに、向こうにある雲は微動だにしていないような錯覚に襲われた。


牛車を避け、米俵を運ぶ者を避け、広々とした道をたった二人と二人だけで駆け出してゆく。



あえて興福寺の南の三条通を走り抜け、因縁の猿沢池を横切る坂を駆け下りれば、馬を遅めて歩かせる程度に落ち着いた。


もはや敵陣の背後に回り込んでさえしまえば、僧兵といえども追っては来れまい。



三郎
すっかり敵に回してしもうたな!



さすがの三郎も吹っ切れた面持ちで、清々しい青空を背にして笑っている。


朝の市の賑わいと雀の鳴き声が、三郎のひどく楽しげな様子を彩っているようにも思えた。



シン
出奔しゅっぽんでもするか?

三郎
悪ぅないな。でもどうすんや? 中立なかだちの事は

シン
重い税納めといて、中立もクソもないやろ。興福寺に歯向かってこそ、中立が成就する



三郎のいう〝中立〟とは、これまで大神おおみわ神社が守ってきた方策のことで、政においていずれの権勢にもらないことを貫いてきた。


昨今の趨勢で例えるならば、天皇にも北条にも肩入れはしないということだ。



しかし、興福寺に重税を納め、法度はっとに縛られ、荘園を奪われ、祭祀や神事を抑えられ、媚びることを余儀なくされきたという経緯がある。


そう、元より中立というのは形だけのもので、実のところ隷属に甘んじていただけなのだ。



それに今、興福寺が着くのは天皇側ではなく、北条側であると分かった以上、興福寺に盾突くことになり、大和国における均衡は崩れる。


だが、それは却って大神にとって好機であり、それなくして真の中立はありえない。



三郎
けどよ、ホンマに中立ってもんはあるんか? みんなどこぞの権門けんもんに従っとるやん。帝でさえ北条の顔色を気にしてはる世の中や



珍しく三郎が鋭いことを言った。

たしかにこの世では誰一人、中立や独り立ちを成し遂げた者などいないのかも知れない。



シン
中立を決めこんだら、それこそ世捨て人や。でも黙って言いなりになるより、一回ぐらいは歯向かって己の意地見せるんも必要やろ



口から出任せだが、それらしい答えを吐く。


そうこうしている間に、身寄りの社の近くまで迫っていた。









ここどこ? 転害てがい?


率川いさがわ社ってところやで



咲は、佐保田さほだ郷と北市からは出たことがなく、まだ南都の真ん中だというのに、三郎の後ろで異郷に来てしまったような顔をしている。


姉の雪が、咲に正しい場所を教えたところで、我々を乗せた馬は、すでにその場所の手前まで蹄の音を弾ませていた。



三条通を曲がり、小路に繰り出してすぐに姿を現したのがこの率川いさがわ神社で、閑散とした町屋のなかにおいて、境内の森が異形を呈している。


ここは大神神社の摂社で、昔から寝床や逃げ場として使わせて貰っており、ここの禰宜ねぎがまた随分と融通が利くことに甘えているのだ。



それぞれ馬を降りて、杉で出来た簡素な鳥居を潜り、社の者を呼んで馬を繋がせて、ひとまず社殿に潜んでおくことにした。


どうやら禰宜は、用向きがあって不在らしい。



小さな社だが、それ故に気が休まるし、ここはもうひとつの故郷と言って良いだろう。


さすがの興福寺の連中も、境内まで押し寄せるなどという罰当たりな真似はできる筈もなく、この上ないほど隠れ場所としてふさわしい。


板間に腰かけて、所望した湯をすすりながら、四人でこれまでのことを語り合い、ひとときの安寧を過ごした。



三郎
この間、良円りょうえんと話してんけど、大神も戦備えせなあかん言うてたわ。俺もそう思うけどな。兄貴は?



良円とは、シンと三郎の異母兄弟のことだが、大神もかつてのように軍制を整え、力を強めるべきと、会うたびに三郎と語り合っている。



シン
それは危ない考えやな。死人が出るぞ

三郎
なんでや? ガラに合わんな



図らずも飛び出た言葉に、三郎が首を傾げた。


情勢を鑑みれば、大神は天皇にくみすると約し、そして興福寺が敵であるとわかった以上は、再び軍備を進める必要があるのかもしれない。



しかし、大和の泰平を祈ってきた大神自身が、大和を戦場に陥れてしまうことになり、まるで本末転倒ではないかという憂慮もある。



シン
なんのために大神が神事だけに徹したか

三郎
さっきの歯向かうゆう威勢はどこいってん? 俺は壬申じんしんの乱のころの大神が好きやけどな

シン
あれは朝廷の内輪揉めやったからええけど、それを今また繰り返すのはあかんやろ

三郎
まあな!



三郎はそう言い放ち、冷めた湯を飲み干した。


壬申の乱においては、祖である三輪高市麻呂みわのたけちまろ天武てんむ天皇につき、大友皇子おおとものみこに大勝したことで、三輪氏(今でいう大神氏)の誉れとなった。



されど此度の敵は、北条と興福寺。

戦う価値すらないほど卑小な敵であり、こんな輩を相手にしていれば、大神の値打ちをひどく損なうことになるだろう。



それにしても三郎は、人の言うことにすぐ左右され、兎にも角にも人に流されやすい。


まあなと言って、考えを容易く覆す頓珍漢さがさすがである。



搾り取られたまま従属し続けるのは論外だが、血気にはやって、国や社を戦火に巻き込むようなことがあっては、それこそ愚の骨頂である。


権謀術数けんぼうじゅっすうを使ってでも、まずは戦を未然に防ぐことに執心する、それこそ兵法の前提なのだ。




ねぇ、また戦が始まるん? また走りまわって逃げなあかんの?



雪は不安げながらも、考えを見透かしたように問いただしてきたが、それにつられた咲は今にも千切ちぎれそうな心の細さでこちらを見ている。



シン
起こらんように全力は尽くす。いざ起こってしもうても、南都が火の海になるようなことはもうないやろうから大丈夫や


そうなん? ならいいけど…



気休めで宣してしまったが、正直、確証もないことを言ってすぐに後悔した。


我々のような戦に参ずる者のせいで、雪や咲のような最底辺の民が苦しむのである。



なにも救うことはできないが、無責任なことを言って風任せ、というのはあまりに酷だ。


しかし、戦を起こす連中が居るとはいえ、結局戦とは、起きるものでも起こすものでもなく、起きてしまうものなのだ。



気を紛らわせるために、巌玄からっさらった書状の山を物色してみる。


無我夢中だったとは言え、なんでこんなものを奪い取ったのかは自分でもわからない。



調べてみると、そのほとんどが起請文きしょうもん訴状そじょう、これを持ち歩いていた巌玄の無用心を叱りたくなるほど、重要な書状ばかりだった。


だが、歩く土蔵どぞうとも言うべき巌玄の図体では、迂闊に僧房そうぼうへしまいこんで置くよりも、むしろ持ち歩いたほうが無難なのだろう。


塩をかけられ、不意を打たれない限りだが。




あ、これ…



紙切れが散乱しているなか、雪がとある書状を指差したうえで手に取る。


改めると、雪と咲が巌玄から銭を借りたことを証明したふみである「借書しゃくしょ」だとわかった。



シン
うむ…。こりゃまたエラい掘り出し物やな

三郎
なんでや?

シン
決まっとるやろが。借書があってはじめて、銭の貸し借りの証となる。つまり…

三郎
そうか! 借書なくして借銭なしや!



三郎の歓声を合図に、社殿の外に飛び出した。


この借書を焼いてしまえば、雪と咲の理不尽なまでに膨れ上がった借銭は水に流れ、いわゆる「私徳政しとくせい」による債務破棄が成立するのだ。



そう決まれば、境内の隅に焚き火を用意させ、真っ白な煙が立ち上るなか、一同がその周りを取り囲んで〝儀式〟が始まった。



シン
姉妹の借銭、そして雪とその一族の身売りもこれで帳消しや


ホンマにええの?


まだうちら返せてないのに…

シン
おまえらはもう十分に償った。いや、むしろ興福寺に償われてええぐらいの身やろ。今まで厳玄の〝おためごかし〟に騙されとっただけや


騙されてた…



雪と咲の姉妹の素直すぎるが故の危うさ、その危うさ故の闇をシンは気にかけていた。


このくらさを照らす一心で、言葉を投げかける。



シン
そうや。おまえらはなんも悪ない。罪の念を持ってもええことないぞ。呪縛から抜け出せ



そうして、借書を炎のなかへと投じた。


めらめらと、災厄が燃え上がっていく様子は、この目にもはっきりと映っているのだろう。



シン
高天原たかまのはら神留坐かむづまります。皇親神漏岐神漏美すめらがむつかむろぎかむろみの…



ほんの心慰めにすぎないが、大祓詞おおはらえのことばを唱えて雪と咲を安心させ、勝手に拝借した祓串はらえぐしを振ることで、心置きなくはふりという素性を明かした。



シン
これからは自分の足で立って歩いていける。好きに生きろ。そのはなむけみたいなもんや


…ありがとう!


ありがとうございます!



雪と咲の目には涙が浮かんでいたが、なんだか首筋が寒くなる思いがしたので、晴れ空と雲の合間を眺めて目をらした。


厄祓いのために、ほかの見知らぬ借書や証文も燃やしてやることに。



三郎が書状を丸めて、焚き火に放り投げれば、勢いを増した白煙が風に煽られ流れてゆく。


しかし、一枚の借書に、ふと見覚えのある名が目に入ったので、丸めようとしていた三郎から横取りしてシワを伸ばした。



シン
見ろ、この借書…。これもまたとんでもない稀物やな。これが流れゆうやつか…。タダより高いもんはないというが…

三郎
おいおい、どうしたんや??



只事ではない様相を、三郎が感取した。



シン
裏取れたぞ。これで蜜月みつげつの証になる

三郎
はっ? この借書がか?

シン
そうや。ほれ、借主のところ見てみ



そこには「河野こうの九郎左衛門くろうざえもん通治みちはる」の名が。



三郎
河野ってあの伊予の…? 北条の手下やんけ! 厳玄はコイツらに銭貸したんか?



河野通治こうのみちはる——

伊予国いよのくにの武士、鎌倉幕府の配下である。



シン
あぁ〝銭貸す代わりに、興福寺に与力よりきせい〟とでも迫って、河野に約束させたんやろうな。興福寺と北条が通じとる、確かな裏付けや



思わぬ収穫となった。

この借書さえあれば、文観もんかんの嘘、興福寺の嘘、大いなる策謀を明かし、真相を父や兄、そして大神の者たちに報せることができる。


なにより、戦うべき相手を見誤らずに済む。



シン
三郎、今すぐこれを大神、いや親父の元まで届けてくれ

三郎
おうッ! …えっ、兄貴は?

シン
俺にはまだ御用ごようが残されとる。終わり次第、大っきい土産を抱えて大神に帰る



生ぬるい春風が、境内の御神木をかき鳴らし、登っていた狼煙のろしのような白煙の筋を乱した。



つづく。















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