いつも「もう一度授かった命」をご拝読下さいましてありがとうございます。
当ブログの執筆者、麦島昭平の長男です。
突然のご連絡で皆様を大変驚かせてしまうかとは存じますが、
父・麦島昭平が去る2008年5月16日19時38分に
急性骨髄性白血病の再々発およびその合併症により他界いたしました。
この場を借りまして、父に代わって皆様へご報告させていただきます。
今回が3回目の移植手術となりました。
3回目の事例数・移植成功率は全国でもきわめて少なく、
当初は当時入院していた名古屋市内の病院にて
余命宣告を受けておりました。
一旦はこれを受け入れ、退院後の自宅療養を続けておりましたが
「少しでも可能性があるならば、生きたい」という本人の強い希望もあり、
ご友人の方からご紹介いただき東京の病院でセカンドオピニオンを
受けることとなりました。
日本でも有数の移植技術を持つ病院ですが
3回目の移植が極めて厳しい事実には変わりはありませんでした。
それでも、本人の意思は非常に強く、
病院の先生方も最大限のご協力をして下さいました。
術前・術後の経過は非常に厳しく、
見ている方が苦しくなってしまうほどでしたが、
家族に看取られて安らかに永眠いたしました。
最期には遠のく意識の中で、
「ありがとう」と何度も繰り返しておりました。
声も発することができず、聞き取ることはできませんでしが
確かに、「ありがとう」と言う父の姿を見ました。
結果的には今年で50歳を迎える前に他界する形となってしましましたが
最後の最後まで父は生きる希望、生きることの大切さを伝えてくれました。
本来であれば、皆様お一人お一人に詳細をご連絡させていただく
べきかとは存じますが、
まずはブログで取り急ぎのご報告とさせていただきたく存じます。
最後になりましたが、父の生前は皆様方に心強い励ましと
お見舞いを賜りまして本当に有難うございました。
心より、感謝いたします。
当ブログの執筆者、麦島昭平の長男です。
突然のご連絡で皆様を大変驚かせてしまうかとは存じますが、
父・麦島昭平が去る2008年5月16日19時38分に
急性骨髄性白血病の再々発およびその合併症により他界いたしました。
この場を借りまして、父に代わって皆様へご報告させていただきます。
今回が3回目の移植手術となりました。
3回目の事例数・移植成功率は全国でもきわめて少なく、
当初は当時入院していた名古屋市内の病院にて
余命宣告を受けておりました。
一旦はこれを受け入れ、退院後の自宅療養を続けておりましたが
「少しでも可能性があるならば、生きたい」という本人の強い希望もあり、
ご友人の方からご紹介いただき東京の病院でセカンドオピニオンを
受けることとなりました。
日本でも有数の移植技術を持つ病院ですが
3回目の移植が極めて厳しい事実には変わりはありませんでした。
それでも、本人の意思は非常に強く、
病院の先生方も最大限のご協力をして下さいました。
術前・術後の経過は非常に厳しく、
見ている方が苦しくなってしまうほどでしたが、
家族に看取られて安らかに永眠いたしました。
最期には遠のく意識の中で、
「ありがとう」と何度も繰り返しておりました。
声も発することができず、聞き取ることはできませんでしが
確かに、「ありがとう」と言う父の姿を見ました。
結果的には今年で50歳を迎える前に他界する形となってしましましたが
最後の最後まで父は生きる希望、生きることの大切さを伝えてくれました。
本来であれば、皆様お一人お一人に詳細をご連絡させていただく
べきかとは存じますが、
まずはブログで取り急ぎのご報告とさせていただきたく存じます。
最後になりましたが、父の生前は皆様方に心強い励ましと
お見舞いを賜りまして本当に有難うございました。
心より、感謝いたします。