「もしも明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植えるだろう。」
"Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen."
よく引用される言葉だけれど、そもそも誰の言葉なのか。
日々様々なところで引用されるのに、もはや諺化して、出典が明らかでない、
という言葉は多い。この言葉もその一つ。
今のところは、確証はないものの、ルターの言葉に帰せられている。
ということでいいのだろうか。
その間、ルーマニアの詩人コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウが
その著書で、マルティン・ルターの言葉として引用し、
開高健が度々〈あなたは植えるとして〉引用し、石原慎太郎が引用し、
高木彬光がリルケの言葉として引用し、
寺山修司が、よく似た名前の革命家ゲオルグ・ゲオルギウ・デジの言葉として
紹介し、(こちらは「種子」、《もし世界の終わりが明日だとしても
私は今日林檎の種子をまくだろう》)(『ポケットに名言を』(寺山修司 角川書店)
テレビドラマ『僕の生きる道』で、癌告知をする医者が、
死期近い患者(草薙剛)を慰めようと引用するということもあったらしい。
(また最近では、映画『感染列島』でも。〉
♯
「死は、人生の終末ではない、生涯の完成である。
希望は、強い勇気であり、新たな意志である。
たとえ明日、世界が滅びようとも、りんごの木を植えよう」
マルティン・ルター
♯
「どんな時でも人間のなさねばならないことは、
たとえ世界の終末が明白であっても、私は今日林檎の木を植える」
((マルチン・ルターの言葉の引用として。)
コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ著『第二のチャンス』(『二十五時』ではない。)
★
・革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ /塚本邦雄『水葬物語』
"Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen."
よく引用される言葉だけれど、そもそも誰の言葉なのか。
日々様々なところで引用されるのに、もはや諺化して、出典が明らかでない、
という言葉は多い。この言葉もその一つ。
今のところは、確証はないものの、ルターの言葉に帰せられている。
ということでいいのだろうか。
その間、ルーマニアの詩人コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウが
その著書で、マルティン・ルターの言葉として引用し、
開高健が度々〈あなたは植えるとして〉引用し、石原慎太郎が引用し、
高木彬光がリルケの言葉として引用し、
寺山修司が、よく似た名前の革命家ゲオルグ・ゲオルギウ・デジの言葉として
紹介し、(こちらは「種子」、《もし世界の終わりが明日だとしても
私は今日林檎の種子をまくだろう》)(『ポケットに名言を』(寺山修司 角川書店)
テレビドラマ『僕の生きる道』で、癌告知をする医者が、
死期近い患者(草薙剛)を慰めようと引用するということもあったらしい。
(また最近では、映画『感染列島』でも。〉
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「死は、人生の終末ではない、生涯の完成である。
希望は、強い勇気であり、新たな意志である。
たとえ明日、世界が滅びようとも、りんごの木を植えよう」
マルティン・ルター
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「どんな時でも人間のなさねばならないことは、
たとえ世界の終末が明白であっても、私は今日林檎の木を植える」
((マルチン・ルターの言葉の引用として。)
コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ著『第二のチャンス』(『二十五時』ではない。)
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・革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ /塚本邦雄『水葬物語』