辛いことがあった時、厳しい現実に直面した時などにふと思い起こす詩があります。それはある展覧会で出会った星野富弘の次の詩です。


 幸せという花があるとすれば

 その花のつぼみのようなものだろうか

 辛いという字がある

 もう少しで 幸せになれそうな気がする


 たったこれだけの短い詩ですが、いつも私の心の奥に残っている詩です。


 星野富弘は若くしてその体の自由を奪われました。体育教師として夢ふくらませて赴任した早々、跳び箱から墜落して手足の自由を失いました。

 以来、その絶望的な日々に光をさしたのは口に筆をくわえてえがく詩画の道でした。必死に障害と戦い、自己回生の道を求める姿が多くの人に感動を与えました。そして、生み出された作品には不自由であればこその大切な気づきがありました。


 「辛」と「幸」の字は、一見よく似ています。「辛」に少し手を加えれば「幸」になります。同様に「辛さ」を「幸せ」に変えることもちょっとした工夫で可能かも知れません。時々目線を変え、価値観を変えて考えてみると、意外に「幸せ」は近いところにあるのかも知れません。


 よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が

 幸せに近いような気がする

 強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が

 真実に近いような気がする

 幸せが集まったよりも 不幸せが集まった方が

 愛に近いような気がする


 時折、この詩を読み返し、自らの目線や価値観を見直していきたいと思っています。