空気人形 | 空想俳人日記

空気人形

虚空の心に あなたの空気 入ってくる



 是枝裕和監督の「空気人形」を観た。いや、厳密に言えば観てしまった! 私は、この映画が、どんな批評を受けようが、観てしまったという精神的かつ静的感触を受けてしまった限り、言葉の理屈でああだこうだ言いたくはない。とにかく、あるストーリーのあるシーンで涙が止め処もなく流れてきて仕方がなかった。この世界に生きるとは、観てしまったのだ。教えられたのだ、ダッチワイフ=ラブドールから。そのノゾミちゃんを演じるのは、韓国の女優ペ・ドゥナ。そう、ソウルの中心を東西に貫く大きな河、漢江(ハンガン)の河川敷で売店を営むパク一家、家長のヒボン、長男カンドゥ、次男ナミル、長女ナムジュ、そして彼らの愛情を一心に受けるカンドゥの娘ヒョンソの5人家族が登場する「グエムル -漢江の怪物-」。その長女パク・ナムジュ役が彼女だ。
 彼女を中心に、物語の中では、さまざまな普通の人々が登場する。テレビニュースを見ながらメモを取る千代子(富司純子)、彼女は全国で凶悪犯罪が起こるたびに「あの事件の犯人は私よ」と轟に名乗り出る。その轟とは、交番勤務の警官(寺島進)、警官の汚職が描かれた映画ばかりを好んで鑑賞するためにレンタルビデオ屋を訪れる。そのレンタルビデオ屋の店長(岩松了) は、日課が卵がけご飯。しかし、その日常は極めて薄氷の上。そして、そのレンタルビデオ屋の従業員・純一(ARATA)と心を持ってしまった空気人形は恋に落ちる。けれど、もともと、彼女は、ファミレスの従業員をしている秀雄(板尾創路)の持ちもの。彼は自分も人間であるのに人間が面倒になった。そのため、彼女を購入した。確か、5,980円だったか。そう言えば、最後までかかわりのないOLの美希(星野真里)、家に帰ると過食と嘔吐を繰り返す。けれども、彼女は、秀雄がノゾミに語る言葉をラストシーンで吐くんだよね。
 何故に周辺から話したかって言うと、みんながみんな抱えている問題なんだから、空気人形は空気人間なんだから。それと、「Happy Birthday To You」なる場面。はじめは、ちょっとしたシーン。でも、次には、ノゾミにとって重要な、周辺の登場人物から「Happy Birthday To You」を受けるシーン。
 是枝氏は、明らかに心の中の虚しさを埋めるのは自分だけではできない、そんな人間関係論をこの映画で語っている。ある意味では、実存主義的哲学や構造理論にも繋がるものだ。それを難しい哲学や心理学の視点で描くのではなく、性欲の代用品でしかないダッチワイフへ心を落とし込む、そんな原作からのヒントを得て成し遂げたのだ。だから、ノゾミと交流をする元高校の代用教員(ノゾミと同じ代用品)である老人(高橋昌也)から教えられた詩が生きてくるのだ。
 吉野弘の詩。思い出した、彼の詩は、学生の頃、図書館でいくつか目に触れた。思潮社か青土社の詩集。これは覚えてはいないが。
「生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい・・・(以下、省略)」
 おそらく、この詩が重要なテーマに繋がるとは思うけど、先に語った涙が止め処もなく出てきたシーンとは・・・。
 彼女を創りたもうた神、いや失礼。会社の人形師(オダギリジョー)との再会。彼は彼女に聞く。心を持ったことで、この世界で少しでもいいことあった? というような問い。それに彼女は、首を縦に振る。そしてだ、彼女ノゾミは、そこを去る際に、彼に言う言葉・・・。
「私を生んでくれて、ありがとう」
 私にとって、この何気ない台詞が、この作品の全てに思えて仕方がない。もう、ここから、彼女の結末、 最後までかかわりのないOLの美希が窓から覗いたゴミ置き場に横たわる彼女を見て「きれい」というシーンまで。私は、人間が生きるっていうことを、あの愛する人の息を体内に出し入れする官能的かつ生存欲的本能も含め、これほどにも天真爛漫かつ悩ましくも虚しく思い知らされたことがない。
 私は、是枝氏の作品を「誰も知らない」よりも以前から、「「幻の光」から鑑賞させていただいているが、彼のメッセージは、いつも心の中に存在する空気を震わせてくれる。この作品は、まさに、その私自身の空虚な空気の隙間に新たな呼吸を吹き込んでくれた。感謝である。


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