2012-02-14 05:30:57
映画「ふるさとがえり」
テーマ:映画
咳してもひとつと生きるひとりなり
映画「ふるさとがえり」を観ました。自主上映会があちこちでも開催されてますね。ここ、半田市でも半田市消防団後援会が主催で半田市・知多中部広域事務組合消防本部が共催という形で上映会がアイプラザにて行われました。
さて、一口にして言えば「地域の絆ってなんだろう」それを問い直す映画であります、この映画。言い換えれば、自分の人生の物語を、その生命や社会との繋がりの中では今を生かさていることでもあることを捉え直させる映画なのですね。つまり、自分という「ひとり」の存在でありながら、社会の中の「ひとつ」という存在でもあるわけです。
舞台は、平成の大合併で近隣市町村も一緒になった岐阜県は恵那市。その映画のモチーフには、題材のひとつである「消防団」の現状が描かれ、それを通して「つながりとは何か?」を私たちに問いかけています。また、上映会の趣旨・目的の一つに消防防災活動の啓発や消防団PRを図る上映会、としても位置づけられております。
とはいえ、今回の上映会の終了後のアンケートに、「消防団に入りたくなりましたか、お子さんや知り合いを入れたくなりましたか」という問いがありました。私は、迷いながら「知り合い」のところに○を付けましたが。
マルをつけながら、冒頭でも述べたような映画であり、この映画のテーマは、けっして「消防団に入ろう!」なのではないのですね。いや、半田市の場合、主催の方々の意図が消防防災活動の啓発や消防団PRであり、上映会の趣旨には間違ってはおりませんが、映画開始前のご挨拶で、「少年時代の主人公たちと大人になってからが行ったり来たりしますので少々分かりづらいでしょうが」という解説とは正反対に、それがこの映画の大きな目論見であり、それによってこそ伝わる「つながりを求める時代」への共感が私のように感じられた方には、私と同様、このアンケートには、ちょっと戸惑ったのではないでしょうか。
私が、やむなく「知り合い」に○をつけたのは、地域社会に対して全く無頓着で仕事以外は何も活動していない知り合いがいるので、たまたま、○つけたのですよ。
そう、今、地域活動や市民活動は、様々な形で多様化し繰り広げられています。けれど、いつのまにか、ここで描かれている消防団と同様な、ある意味、結束力のために閉塞的にならざるを得ず、余計に人が離れていってしまう、そういうケースも多いのではないかと思うのです。ほら、「よそ者はいらん」とか、「ほかゴトやるなら、やめちまえ」とか、そんな萎縮的な結社的な活動団体、ありませんか?
もっともっと、様々な団体や組織、ボランティアが気軽に、オープンに、お互いが連携し、もちろん行政もその活力を肥やしにしながら、壁を取り払う活動が必要となっているのではないでしょうか。壁が取り払われれば、様々な交流が生まれます。交流は和をつくり、輪を広げていきます。
それは、「ひとり」という人間本来の孤独感という壁をも、です。いや、プライベートをなくせ、そんな意味じゃないですよ。自分らしさは、大切です。その自分ならでは、を活かすのは、一人ではできませんよ。社会の中で、オリジナリティは見つかるのですよ。
ところで、都会を見てください、独居老人の多いこと。そして、少子化で子供会がなくなるばかりか、どんどん増えている老人たち、特に団塊の世代層が突入するのに、そこには老人力はないのでしょうか。老人会という地域活動にも面倒くさがってしまう。そんなビジネス優先の日本を作り上げてきたみなさん、今一度、顧みませんか。
今そんな時代こそ、もっともっと、ひとり一人が、社会が心の奥底から問い直し、縛るための縄でなく、心を解放するための絆づくり、それが未来の可能性を限りなく拓いていける、これからの市民力、地域力じゃないでしょうか。
それにしても、和尚役の鶴光さん、いい役柄してましたねえ。それと、加藤百合役の少女時代の佐藤初さんがよかったですねえ(大人役の佐藤仁美さん、ごめんなさい)。ま、簡単に言ってしまえば、これからの社会活動は、自己実現の場でもある、ということです。


映画「ふるさとがえり」を観ました。自主上映会があちこちでも開催されてますね。ここ、半田市でも半田市消防団後援会が主催で半田市・知多中部広域事務組合消防本部が共催という形で上映会がアイプラザにて行われました。
さて、一口にして言えば「地域の絆ってなんだろう」それを問い直す映画であります、この映画。言い換えれば、自分の人生の物語を、その生命や社会との繋がりの中では今を生かさていることでもあることを捉え直させる映画なのですね。つまり、自分という「ひとり」の存在でありながら、社会の中の「ひとつ」という存在でもあるわけです。
舞台は、平成の大合併で近隣市町村も一緒になった岐阜県は恵那市。その映画のモチーフには、題材のひとつである「消防団」の現状が描かれ、それを通して「つながりとは何か?」を私たちに問いかけています。また、上映会の趣旨・目的の一つに消防防災活動の啓発や消防団PRを図る上映会、としても位置づけられております。
とはいえ、今回の上映会の終了後のアンケートに、「消防団に入りたくなりましたか、お子さんや知り合いを入れたくなりましたか」という問いがありました。私は、迷いながら「知り合い」のところに○を付けましたが。
マルをつけながら、冒頭でも述べたような映画であり、この映画のテーマは、けっして「消防団に入ろう!」なのではないのですね。いや、半田市の場合、主催の方々の意図が消防防災活動の啓発や消防団PRであり、上映会の趣旨には間違ってはおりませんが、映画開始前のご挨拶で、「少年時代の主人公たちと大人になってからが行ったり来たりしますので少々分かりづらいでしょうが」という解説とは正反対に、それがこの映画の大きな目論見であり、それによってこそ伝わる「つながりを求める時代」への共感が私のように感じられた方には、私と同様、このアンケートには、ちょっと戸惑ったのではないでしょうか。
私が、やむなく「知り合い」に○をつけたのは、地域社会に対して全く無頓着で仕事以外は何も活動していない知り合いがいるので、たまたま、○つけたのですよ。
そう、今、地域活動や市民活動は、様々な形で多様化し繰り広げられています。けれど、いつのまにか、ここで描かれている消防団と同様な、ある意味、結束力のために閉塞的にならざるを得ず、余計に人が離れていってしまう、そういうケースも多いのではないかと思うのです。ほら、「よそ者はいらん」とか、「ほかゴトやるなら、やめちまえ」とか、そんな萎縮的な結社的な活動団体、ありませんか?
もっともっと、様々な団体や組織、ボランティアが気軽に、オープンに、お互いが連携し、もちろん行政もその活力を肥やしにしながら、壁を取り払う活動が必要となっているのではないでしょうか。壁が取り払われれば、様々な交流が生まれます。交流は和をつくり、輪を広げていきます。
それは、「ひとり」という人間本来の孤独感という壁をも、です。いや、プライベートをなくせ、そんな意味じゃないですよ。自分らしさは、大切です。その自分ならでは、を活かすのは、一人ではできませんよ。社会の中で、オリジナリティは見つかるのですよ。
ところで、都会を見てください、独居老人の多いこと。そして、少子化で子供会がなくなるばかりか、どんどん増えている老人たち、特に団塊の世代層が突入するのに、そこには老人力はないのでしょうか。老人会という地域活動にも面倒くさがってしまう。そんなビジネス優先の日本を作り上げてきたみなさん、今一度、顧みませんか。
今そんな時代こそ、もっともっと、ひとり一人が、社会が心の奥底から問い直し、縛るための縄でなく、心を解放するための絆づくり、それが未来の可能性を限りなく拓いていける、これからの市民力、地域力じゃないでしょうか。
それにしても、和尚役の鶴光さん、いい役柄してましたねえ。それと、加藤百合役の少女時代の佐藤初さんがよかったですねえ(大人役の佐藤仁美さん、ごめんなさい)。ま、簡単に言ってしまえば、これからの社会活動は、自己実現の場でもある、ということです。




















































































