幸せの1ページ | 空想俳人日記

幸せの1ページ

幸せなど いらんと思う 幸せ




 幸せになりたいな、そう思って観に行った映画。でも、なんか自分が願っている幸せってジョディ・フォスター演じる人気小説家アレックス・ローバーの引きこもりかもしれないぞ、そう知らしめさせてくれた映画。
 これまでは守るべきものがあったから、守らねばならないと思ったから、今を死守しようなんて思ってただけなのかもしれない。まもるべきものなど何もない。守られているなどと押し付けがましい行為で嘯くな、そういう真実が見えれば、守ろうとしていること自体、ドアノブを引くことができない引きこもりと同じなんじゃないかな、と。
 な、なに、私のこの夏休みの、思い切っての一人旅とよく似ていはしないか。彼女の場合、無人島に住む親子の娘ニムからのSOSに旅に出た。私には誰もSOSを呼ぶものはいない。むしろ、私自身がSOSだ。でも、ここでも、ほんとのSOSは、アレックス・ローバーという冒険者の仮面を被った臆病なアレクサンドラだ。
 臆病なShisyunよ。お前は、旅でニムにもジェラルド・バトラー演じる父親ジャック・ルソー(小説の主人公アレックス・ローバーも演じている)にも会わなかったけど、引きこもって守ることだけでは得られない心の支えを得られたではないか。だから、今のままでいることへのこだわりから抜け出せたではないか。ペンを捨てよ旅に出よう。
 誰だって自分を変えるなんてことはできない。概ね、変わることを願いながらも、変えようとするのは自分をでなく、身の回りたちをだ。そんなずっこい自分になりたくない。人を謗って、蹴落として、幸せを守るなんて、ああ浅はかなことよ。見よ、アビゲイル・ブレスリン演じるニムを。救われるべき彼女を救おうとしたアレクサンドラが彼女に救われたではないか。
 私は「タクシードライバー」や「ダウンタウン物語」からジョディを知っている。でも、こんなジョディは初めてだ。なんて楽しそう。幸せってもんは、人から盗み得るものなんではないのだ。愛は惜しみなく奪うことかもしれないが、それが幸せの全てに繋がるなんてありゃしない。覚悟しなけりゃならない、不幸とともに愛を得ることにもなることを。むしろ、奪われることからヤケクソでもいい捨て身になって、まさに見る前に跳ぶこと、なのではなかろうか。とんで火にいる夏の虫でも。
 多くの先人は、格好いいことばかり言っているとは限らない。ただ、見るからには滑稽でしかないかもしれないけれど、そこには捨て身だからこそ得られるものがある。ペンも財産も名誉も地位も捨てても。
 幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだって、誰か言ってたじゃないか。