スパイダーウィックの謎 | 空想俳人日記

スパイダーウィックの謎

妖精の 見えた人よ 何をか得ん



 ここんとこ「ネバーランド」に「トゥー・ブラザーズ」、「チャーリーとチョコレート」や「アーサーとミニモイの不思議な国」、そして「プロヴァンスの贈りもの」と超人気者のフレディ・ハイモア。彼のファンならば、今回の映画は、二度おいしいから見逃しちゃ損だね。主人公ジャレッド役と双子の兄さん(あれ、弟?)のサイモン役。一人二役。しかも性格の違いを旨く演じてるよ。
 制作国はアメリカだし、監督のマーク・ウォーターズもオハイオ州クリーヴランド出身。でも、アメリカ臭くない映画。どちらかっていうとイギリス臭い。派手じゃないし、静かだし、こじんまりしてるし、ちょっと異様だし。絶対的な大笑いでない、ほくそ笑みのお誘いも、やっぱりイギリス癖な気がする。
 夫婦関係が悪化(これ、少しテーマ性で時々鼻につくけど、きっと大国主義・資本主義の格差の中で現代社会が来たしている病だから、今きっと必要なんだろうけどね)したことから母親に連れられてフレディ兄弟と姉とが移り住むの家、これが恐るべき舞台。父不在の四人家族で一番のアウトローがジャレッド。いたずらや困りごとは、みんなジャレッドのせい。可哀相。まあ、本人がそういう態度をしてきたから仕方ないっか。
 でも、実は、この恐るべき家、森の奥にひっそりと建つ、大叔父アーサー・スパイダーウィックやその娘である叔母のルシンダも住んでいた古い屋敷で、「決して読んではいけない」とメモが貼られた一冊の書を発見するんだね。さて、そこからジャレッドの視野がぐぐぐんと広がっていく。見えないものが見えてくる。いないはずのものがいたりする。妖精たちよ、ぼくはずっと信じてたよ。うれしいな。
 家族の中で反抗勢力だったジャレッドが家族を守る役割に変身する。みんなが彼を、嘘つきの空想壁の悪戯者の食み出し者の彼を、頼り始める。この家族のテーマ性は、先に時々鼻につくと書いたとおりだから、とっても分かりやすい。しかも、大叔父アーサー・スパイダーウィックとその娘の関係までがラスト近くで明確に演じてくれる。風の精のおかげで空想世界の方へだが、親子の関係の再生の道を用意してくれる。
 だから、単に一大アドベンチャー・ファンタジーを期待していくと、大損した気持ちになる。特に、悪の権現(ゴブリンだっけ)とジャレッドとの戦いの結末が鳥大好物の妖精によって、ありゃりゃん、いともカンタンに。。。これにはあきれる、と言う人も多かろう。でも、そうじゃないのよねえ。そんなもんなのよね。悪の本質なんて。人間が勝手に大きく膨らませて、仮想敵国とか仮想独裁者なんかを想定するけど、ひょっとして、そんな大それたところになく、自分の内の奥深いけど小さなところにあるものかもね。だから、逆に、いいね、この大団円、そう思った。これが大笑いではなく、ほくそ笑みでもあるのだね。
 そうそう、まさか、あほうどりさながら最後も空中を展開する存在に対し、奴を倒すべき続編を馬鹿にしながら期待するのはお門違いであること、釘刺しておこう。あれは敵ではない。
 とにかく、この作品、ここんとこ、たくさんのライラとかナルニアとか、そんな一大叙事詩のもぬけの殻とは一緒にされては困る作品であることは分かってあげたい。それが、どう違うか、あんなに私からすれば、鼻につくテーマ性なんだけど、それも匂わない観客は、果たして銀幕に何を観ているのか、少々不安になってくる。