マイ・ブルーベリー・ナイツ | 空想俳人日記

マイ・ブルーベリー・ナイツ

サンク ソーブルー ベリーマッチ



 ウォン・カーウァイ監督さんと言えば、「恋する惑星」や「天使の涙」、そして私のお気に入り「2046」の監督さん。自身初の英語作品に挑んだラブ・ストーリーと言うから、ちょっと英語圏受けを狙ったかな、と思ったのですが、ううん、ちょっとあるかな、それ。よく言えばシンプルと言うか、単純、画一的、そんなコトバも思い浮かびますが、やっぱ、お気に入りの「2046」と比較しちゃあ酷と言うものでしょうかねえ。
 でも、この作品、まんざら悪くもありませんよ。というか、そんじょそこらの英語圏監督さんの作品よりも繊細なんじゃないでしょうか。特に、彼が大好きなスローモーション多用のカット割り、意外や功を奏していると思いますよ。ほら、挿入物語のひとつ、ギャンブル依存症なるレスリーを演じたナタリー・ポートマン。彼女のラストの表情。スローモーションでの微妙なニュアンスの間に、私たちの心がバイブレートしますね。もちろん、それに耐えうるナタリーの表現力もよろしいのでしょう。うん。
 ところで、これが映画デビューとなるノラ・ジョーンズを主演に迎えたあたり、いかがでしたか。愛に傷ついたヒロインの心の彷徨を優しく見つめられましたか。これまた、彼女は失恋の痛手を抱えての傷心旅行中に出会う二人の女性、先のナタリー・ポートマンとレイチェル・ワイズからすれば、ううん、ちょっと田舎娘(失礼)? そんな風にも思われがちかも。
 でもね、これ、おそらく輝き勝る二人の女優に対し、ちょいとは田舎娘でも初々しいノラ・ジョーンズ、そういう狙いがあったんじゃないかな。そう思うと、適役でしたよ。というのも、役柄自体が、恋の初心者というか、失恋初心者役、ですよね。ほりゃあ、旅先で学ぶ先生二人が光っていなきゃ、お話になりませんもの。特に、レイチェル・ワイズ演じるスー・リンと、その旦那(元?)役でデヴィッド・ストラザーンが演じるアーニー、いやはや、よくあるパターンとは言え、まことしやかに、その崩壊した人間関係を演じてくれました。
 私たちにも、リジーの学習が伝わってきます。そう、もう分かったでしょリジー(ノラ・ジョーンズ演じるエリザベスの愛称)。あんただけじゃないのよ。みんなみんな誰だって、心の中に淋しさを飼って生きているのよ。しかも、失わなければ気づかない、失ってから初めて気づく、そんな、みんなアンポンな人間なのよ、とね。でも、この映画を観た私たちも、この輝く女性から学びましょうよね。きっとリジーと五十歩百歩なんじゃないかな、私たちも。失う前に気づきましょ、気づきましょ。
 このお話は、ま、一言で言えば「急がば回れ」でしょうか。失恋したリジーの相手の部屋の鍵、無用の長物って、旅から戻って気が付きますよね。彼の部屋がもぬけの殻、RENT看板。そりゃそうですよ、時間が過ぎてるんだもん。でも、急がば回れ、いろいろお勉強ができた旅、一回りも二回りも成長してジュード・ロウ演じるジェレミーのところへ戻ってきたんですもんね。よかったじゃん。
 えっ? 何? 「急がば回れ」だけじゃない、ですって。「残り物には福がある」も。ああ、売れ残りのブルーベリーパイですか。まあ、それは・・・。
 そんなことよりも、旅に出る前から、既に新しい恋が始まってたわけですしね。ほら、それが、そのブルーベリーパイの食べカス。唇につけて酔いつぶれた時からのこと。そのシーンが再び詳細に流れた時、あああ、「急がば回れ」って確かにあるんだねえ、と。実は旅の前から、私たちはとっくに気が付いていましたよ。だから、安心して見てられますね、どんなに遠く離れていても。
 でも、きっとジュード・ロウのファンからすれば、この映画、物足りないかもしれませんね。彼の存在感、ちょっと薄いですよねえ。やっぱ失恋初心者の相手役だからかなあ。まあ、ジェレミーも失恋組みなんだから、きっとエリザベスとの、もっといい関係を想像して、その展開は胸にしまっておきましょうか。
 えっ? 誰ですか、そんな二人にも、また隙間風が吹くかもしれない、鍵を誰かに預けて扉を開けなくなるかもしれない、なあんて野暮なことを言うのは。そんなミライの事なんか誰だって分かりゃあしませんよ。それよりも、今目の前にする瞬間の想い、大切なんですよね。