トリコロールに燃えて | 空想俳人日記

トリコロールに燃えて

空想よ 風前の宿命に 灯をともせ 



 1930年代のパリと言えば、様々な芸術家たちが集う革新的な街であるが、私にとって馴染み深いのは、やはりシュルレアリストたちだな。画家ではピカソやダリ、マグリットはベルギーに引き篭もったかな。写真家で有名なマン・レイもいたよね。主人公のシャーリーズ・セロン演じるギルダが、パトロンを得て写真家としての活躍シーンにそんな匂いが立ち込める。
 そんなパリを1940年代に入るとナチスが襲う。第二次大戦であるが、その前に、ギルダと同居人のスペインの内戦を逃れてきたペネロペ・クルス演じるミア、そしてギルダとの運命的な出会いにより愛し合うスチュアート・タウンゼント演じるガイ。ギルダは、この三人でずっと暮らしていたかった。なのに、ガイとミアは、ガイは、内戦の激化するスペインへ。
 第二次大戦の前哨戦とも言われているスペイン内戦が色濃く描かれている。フランコ将軍率いるモロッコ駐屯軍の蜂起によって口火を切られたスペイン内戦。1936年末までに反乱軍はスペインの大部分を手中に収める一方、共和党政府は市民軍を組織し軍装備させた。ファシズム国家イタリアとナチス・ドイツは反乱軍を支援、ソ連は共和党政府の側につく。それに加えて各国から駆けつけた義勇兵が国際旅団を形成し共和党政府の支援にまわったが、この映画でのガイは、まさにその一員と言える。1937年にはドイツ軍が無防備都市ゲルニカの無差別爆撃を行い、怒ったピカソは「ゲルニカ」を描いた。結局、共和党政府が大敗で終結となるが、ミアはその内戦の被害者となったわけである。
 イギリスに戻ったガイは、再びパリへ。戒厳令が敷かれドイツ軍が駐在するパリ。パリ在中のユダヤ人はアウシュビッツに収容されたが、市民の大半はドイツ人と友好関係を築き、闇市で成功を収める者も。やがて拡大する抵抗勢力は米軍と共に激しい市街戦の末にドイツ軍は降伏する。喜びに舞い上がる市民たち。しかし、多くは法を勝手に執行するようになり、ドイツ人の協力者たちに私的制裁を加えた。特に標的にされたのはドイツ人と関係を持っていた女性たち。その一人として、ここではギルダがいる。実は、ミアやガイと同様、彼女は直面する現実に対し、ガイと同様の役割を担う存在になっていたのだが・・・。それにしても、冒頭、ギルダは14歳の時に占い師から「あなたの34歳以降の人生が見えない」と告げられたてはいるが、まさに、そのラストが、そういうことであったとは。ふと、ナチス・ドイツ占領下のオランダ、カリス・ファン・ハウテン演じるラヘル(ユダヤ人であることを隠すため髪をブロンドに染め、名前をエリスに変えドイツ将校に接近が)を思い出した。ポール・ヴァーホーヴェン監督の「ブラックブック」という映画。
 それにしても「スタンドアップ」「イーオン・フラックス」のシャーリーズ・セロンは美しい。しかし、この映画では、ただの美しさではない。享楽の中で生き急ぐギルダ。彼女のガイ、そしてミアへの愛情。そして、別れ。さらにガイとの再開後の彼女、相変わらず自分の幸せだけを追い求めているかに見えたが・・・。戦争が彼女の人生にもたらしたものは。そんな中でのギルダの生き様を演じるシャーリーズの美しさは、単なる美貌などではない。
 原題は「head in the clouds」。「うわの空のアタマ」とか「空想にふけって」とか「世事に超然として」などと訳せばいいのだろうか。邦題の「トリコロールに燃えて」は、頭の中がトリコロールカラー(フランスの国旗の三つの色)に燃えていると考えればいいのだろうか。まあ、題名はどちらにせよ、あまり言及すべきではなかろう。次第に世の空気が厳しくなる中、運命というか宿命から、もがいてでも解き放たれようとし超然として生きる彼女。現実を超えて生きる人生、それこそ彼女自身がシュルレアリストか。
 バスタブの中で、シャーリーズとスチュアートが戯れるシーンが、私のin the cloudsなる頭から離れない。