レミーのおいしいレストラン | 空想俳人日記

レミーのおいしいレストラン

おいしいは うまくやるで 舌なくし 



 ちょいとミルキー(観る気)はなかったが、時間の都合で観ただけよ。素直に楽しみゃそれでいい。なのに始まるマーケの眼。
 家族みんなで大笑い、その後は親が子を思え。そんな中でのタラトゥーユ。これが原題、紐解けば、南仏家庭料理だよ。
 トマトを基本が材料よ。ナスにピーマン、ズッキーニ。香草などもオリーブ油で、炒めるだけよ、水いらず。野菜の水分だけで煮る。そのまま食べるか、パンのおとも。はたまたパスタにかけてもよし。
 ラタトゥーユは、RATATOUILLE。語彙の分解、仏和辞典。ネズミに刺青、毒なるの? RATは確かにネズミなり。TATOUはなんと、よろいねずみ。刺青ならばTATOUAGE。OUILLEは同質の酒の補充。TATOUILLEになると、めった打ち。
 レミーが尊敬、今は亡き、名シェフさんのグストーの、料理哲学ステキだね。誰でもおいしい料理は作れる。なるほどネズミにも作れたね。遺伝の息子はただの人。ネズミの方が料理人。二人三脚いいコンビ。人がネズミのガンダムに。
 おいしいことより儲かること。レストランより大量消費。レトルトなんかで出荷しろ。日本もスーパーコンビニに、なんたらシェフがオンパレード。耳が痛いね、耳ふさぐ?
 さてさて話はスープから。誰が作ったこのスープ。見習いシェフのリングイニ、誰が作った、この息子。そして、最後にゃラタトゥーユ。
 左岸の職人、右岸の批評。間に大きな川流れ。批評家イーゴは憎たらしい、いつでも左岸を潰せるの。でもでも、このイーゴさん、右岸の批評家気がついた。左岸がいなけりゃ右岸もない。気がついたのはラタトゥーユ。批評のよろいが崩れ去り、味がオフクロ思い出す。日本で言えばおふくろの味。今でもあるんか、そんな味。肉じゃが、酢の物、おみおつけ・・・。
 おいしいって何だろう。おいしいってチャレンジか。かつて私も挑戦者。おべんと自分で作ったのよ。得意は卵の出し巻き風。食べさせたくって、あげたりも。「えっ何これ、かわってる」。パセリにセージの、ローズマリーあんどタイム? いえいえ、それはありません。溶いた卵にぱらぱらと、おやつにカールのチーズ味、粉状にして入れてみた。我が挑戦は、アンビリバボー。誰でも挑めば料理の達人。私は前衛好きだけど、「何入ってるの」もお楽しみ。味は二の次、散々よ。
 スープで目覚め、ラタトゥーユ。批評家イーゴも反省の弁。そこには名言ばかりかな。書き留められずに残念賞。
 リングイニとレミーの二人三脚。これも人間関係よ。アメリカでもフランスでも、ないよ、この映画、日本的。日本人に感じやすい、そんなお話。私もよ。みんなもきっと、そうでしょう。
 ええっ、ちっともわかんない? ああ日本にはラタトゥーユ、もうないのかもしれません。おいしいって、いまどきは、「うまいことやりやがった」って、味のことじゃないもんね。懐かしさを求めずに、新しきを追うばかり、そんな日本は残念賞。