LIMIT OF LOVE 海猿(反宣伝として) | 空想俳人日記

LIMIT OF LOVE 海猿(反宣伝として)

 確か映画館で「海猿」観た気がします。その時は、それなりにできている映画だなと思ったはずです。その後のテレビ版が第2章で、この劇場版が最終章ということらしい。劇場へは行ってません。
 テレビの地上波で放映されてましたので、ちょいと観ました。第1章からすれば、皆さんご存知の、ということでしょう故、のっけからハラハラどきどきワクワクなパニック映像なる展開。ポセイドンアドベンチャーかタイタニックか。
 ちなみに、私は今、本作品を映画レビューとして採り上げようとしているのではありません。どんな映画もそれなりに面白いと思う私ですが、この作品は映画というよりも余りにもプロパガンダの要素が鼻についてしまって、映画的鑑賞が拒絶されているんです。いわゆる海上保安庁の宣伝。なので、その宣伝に対し揚げ足を取るような反宣伝をしようと思います。
 前作はまだ、海上保安庁にこんな連中がいるんだ、という認識もあり、おそらく抵抗感が少なかった模様。しかし、この「LIMIT OF LOVE」、題名のとおり、「愛想尽かしの、もう限界だよ」です。えっ、そういう意味ではないですか。おそらく人気に博してよりエンターテイメントにヒーローもの、そう作り手の思いというか、思い込みが伝わってきます。登場人物もスケール拡大か、やたら多い。どうでもいいほど陸の上に人間がいる。
 そう、海猿なのに、陸の上の海上保安庁の人物の多さ。海上保安庁って現場の海よりも陸の上にいる人のほうのが多いんだ、と認識させられました。現場で事故が起こっているのを、遠く離れた陸の安全な建物の中でさしてたいした任務もなさそうで、ただぽけた~んと突っ立っているお役所の人々よ。
 管理職なのであろうか、こんなに余剰人員抱えていて、民間なら人件費の肥大で経営悪化、先は倒産するしかありませんね。ただ海上保安庁は営利団体ではありません。国家予算、ようは国民の血税でしっかりと働く(それにしても、ただ立っているだけで働いていないように思える)人が守られているから大丈夫。
 私は海上保安庁をよく知りません。そういう意味では始めての「海猿」劇場版は、それを教えていただいたことの認識があったんでしょうが、本作では、人命救助に対する意気込みよりも、この過剰人員ばかりが伝わってきちゃったんですね。「あんたら、泳げないのか知らないけれど、陸の上で何をぽけた~んと指を加えながら、税金の無駄遣いに明け暮れているの」そういうことばかりが伝わってきたんですね。
 ところで、こんなこと言っては、ますます申し訳ないのですが、こういう事故、日常茶飯事におきているんでしょうか。そして毎日、伊藤英明のごとく仕事されているんでしょうか。むしろ、彼のような一大事なる経験を一生されない職員の方も多いんじゃないでしょうか。
 さらに、この映画から逸脱しちゃいますが、海上保安庁に対し、消防関係や警察の方でも、こういうの作って国民を味方につけよう、なあんてね。あっ、警察は、あの有名な織田くんの湾岸署がありましたね。でも、あれ、わかりやすいですよね。「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ」って。ひょっとかして、あれと同じことが海上保安庁でも言えることを言葉に出さずに暗黙のうちに伝えたかったのかもしれませんね。おおお、風刺ドラマだったんですね。

 あのフェリー、もしかして、少数精鋭で頑張っている国際救助隊に連絡すれば、調査のサンダーバード1号、4号を運んだ2号、それだけで救助されたのではないかな、そう思うのは私だけ?
 ところで、海上保安庁はまだ庁だけど、最近、庁から省に格上げになったたくさんの軍備抱えているところがありましたね。省になった分、より一層の現場に無頓着な余剰人員が認められているなんて事はないでしょうね。


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