トランスアメリカ | 空想俳人日記

トランスアメリカ

認められ 認める自分 存在の鏡 



 人間は、自分の性が何であるかを認識しています。男性なら男性、女性なら女性として多くの場合は確信しているはずです。そして、通常は身体の性と完全に一致しているのですが、どうやらその確信は身体的な性別や遺伝子的な性別とは別個に考えるべきであるようです。
 そんなジェンダーパターンや性役割・性指向のいずれからも独立している主人公が登場する、この「トランス・アメリカ」、このタイトルの「トランス」は意味深長ですね。男としての自分がある女性と性交渉をして出来た息子との旅、ロードムービーという定義があるとすれば、このタイトルの「トランス」は、トランスポーテーション(transportation)、輸送とか運送とか。あるいは、トランスファー(transfer)、移転とか移動とか転移、乗換えに乗継ぎ。おやおや、転移ですか。なあるほど、トランスセクシアル(transsexial)、いわゆる性転換者が見つかります。
 さらに、先ほど言いましたが、旅をともにする相手は、初めは自らの正体を隠していますが、女性ブリーになる前の男性スタンリーであった時に愛する彼女を孕ませて出来てしまった息子ですね。そう、つまり父親なんですね。息子に対して、いくら自認したい性が女性であっても、息子にとっては父親。この、主人公の二つのアイデンティティ。性同一性障害としてのジェンダー的存在と息子にとっての父親としての存在。
 そしてそして、さらには映画作りにおいて、このキャスティングを男性でなく女性を使った、なんとも、用意周到の意味深長。そう、ゲイならまだしも、彼は彼女なのですね。いや、結構、心の中は奥深い。
 ところが、それをいともあっさりと軽妙かつコミカルに描いているところが、さらにさらに奥深い。これを余りにもシリアスに描いてしまったら、行き着く先は袋小路でしょ。それを、しっかりと現実の中、日常の中でユーモラスに、深さを感じさせないタッチ。
 はい、思い出してみましょう。私たちの人生の中で、悲劇って絶えず喜劇と同居していると思いませんか。ほら、かのシェイクスピアも、そんなスタンスで人生の悲喜劇の抉る作品を一生懸命書いておられた。例えば、フランスでは、モリエール。笑いの中に、鋭い風刺と心の葛藤が見て取れます。
 少し物語を追いましょう。ずっと男として育ててきた親に対して女性でありたかった主人公は、自らのジェンダーを自立とともに獲得しようとします。そうしながらも若き日に、男としてした行為、愛した女性との間に出来た息子に対し、父として接するべきであろうジレンマが生じます。
 でも、アイデンティティとは、自己を自分だけで確立するわけじゃない、例えば自立が出来ていなければ、親や兄弟、家族、様々な人たちから認めてもらう、そういう自認とは反対の他認も大きな要素。彼が身体的にも見かけ的にも女性となろうとするのは、そういう面もあるから。
 そんなときに、女性にという方向とは全く逆の、オレはおまえの父親だ、と言わねばならない息子が登場するわけです。言わねばならないのは、自認だけでなく、他認もアイデンティティには重要だからなんですね。それを、彼だからこそ、よ~く分かっている。自分さえ納得していれば、他人はどうでもいい、もし、そう思う人がいれば、アイデンティティの確立で悩んだことがない人でしょう。
 さて、息子が独り立ちしていくプロセスの中で、一人の人間として、なんとか認めようとする成長があります。親からすれば、ろくでもない仕事かもしれないけど、夢見た映画俳優の片鱗的仕事に没頭する息子。
 ほら、そんな息子だから、まだ未成年かもしれないけど、ある場面でのソフトドリンクを奨めるのに対し、息子がビールくれ、ということに文句を言わないんですね。まあ、一人前とはいえないけど、自認と他認が親子の中で合意成立する場面でもありましょう、とってもいいですね。ふんでも、そうしながらも、靴を履いたままテーブルに足を載せる息子。オヤジのお気に入りのテーブルのようで、そんな息子に「その足を下ろせよ」と言います。その捨て台詞のような文句こそ、二人の新たに築かれた関係を象徴していますね。
 トランス・・・、旅の移動と性転換、そんな両面を引っ掛けたんでしょうタイトル。自分を獲得しようとする明日と自分が生きてきた過去を見事に同居させている、素敵な作品。でも、トランスはいいけど、アメリカは? どうでもいいかあ。おそらく、この軽業、あっさりアメリカン、思いつめなさんなよ、がアメリカなのかなあ。そういうことなら、なかなかよろし。
 そうそう、ところで、トランス。トランスレーション(translation)って、ありますね。違う言語の人々に対し、理解できるように翻訳すること。うん、なるほど、ですね。
 それにしても主人公の女性ブリー兼男性スタンリーを演じるフェリシティ・ハフマンは、もう恐ろしいほどにいい役者。