理由 | 空想俳人日記

理由

理由はと 問われて悩む 世の中よ 



 なんで私はこの講義をとったんだろう。
 単位は取れているけど、たまたま映画概論、夏の集中講義しかない。しかも「日本映画と大林の世界」というタイトルに魅かれた。私は大林監督のファンなのだ。
 しかし、なんでとったんだろう。
「ということでえ、彼の作品は尾道三部作と新尾道三部作を背骨にして表側と裏側に分かれている。表はいわゆるイメージ伝達の美学であり、裏側はテーマ重視の作品だ」と先生。
 なるほどごもっとも、と首を縦に振っている学生たちは、きっと私と同じようにタイトルに魅かれたんでしょうね。
「さて、ところで、彼は、宮部みゆきの『理由』を映画化した。これをどう位置付ける。もちろん尾道ではない。かといって、表へも裏へも行かない。この作品は、映画というよりも、ケーブルから出てきた。その出所もさることながら、キャスティングの人数、友情出演や準友情出演の量的パワーを借りて、しかも宮部みゆきの名を借りて撮っただけの映画というよりもテレビドラマじゃなかろうか」
 なんか、むかついてきた。批評しづらいと、つい自分の論評を守るために批判的に枠外へ位置付ける。
「さて、みんなからも意見を聞こうか。ほい、この映画、観たことある人は?」
 凄い。殆ど全員が手を挙げた。とはいえ、大教室なのに出席者は15名くらいしかいないか。
「ほい、きみ、どうかね」
「あれは、大林作品の中では、『北京的西瓜』や『水の旅人』じゃないでしょうか。何故なら政治的メッセージを帯びています」
 ど、どこが政治的なの? 
「ううん、いい見方だね。高層マンションが描く反社会的構図かア」
 なんだ、反社会的構図って。
「じゃ、きみ」
「私は映像的に初期の『ハウス』そして『異人達との夏』の、アバンギャルドな映像の系列だと見ます」
「ふうん、面白い見方だね。いわゆる背骨の表側へ無理やり持ってちゃうんだね。宮部原作はどうでもいいかあ」
「先生、例えば、幽霊的という切り口で、系列をががんと変えられるんじゃ」
「なに、それ、どういうこと」
「えっと、例えば、『さびしんぼ』『ふたり』『異人達との夏』、これ、みんなお化け登場です」
「あはは、お化けか。いやあ、表層的だなあ。そうすると、尾道シリーズという背骨が砕ける。きみは間違ってるよ」
「すいません」
「もっと、大林の作品をじっくり観よう」
 なんか、もう帰ろうかな。こんなとこにいるより、1本でも2本でも面白い映画観に行った方がいいわ。
 こそっと教室を抜けようとしたら、
「ああ、キミキミ、どこへ行くの。トイレ?」
「あ、いえ、映画を観に」馬鹿正直に応えてしまった。
「ははーん、キミ、大林の映画、あんまり観ていないんでしょ。それで、ついていけなくなった」
「そんな・・・。結構、観てるつもりですけど。ただ、みなさんのような批評家精神っていうものに乏しくって」
「いいのよいいのよ、思ったとおりのことを言えば」なんか、先生、女性っぽくなってきた。
「私、『おかしな二人』って作品、好きなんです」
「ああ、あれ。劇場にかかったかしら」
「いえ、そんなことより、いい映画でした。監督の思いがでんこもりに詰まった作品だなあって」
「てんこもりって言っても、今回の『理由』よりも短かったんじゃない?」
「量的長さじゃなく、密度」
「物理学の授業みたいね。で、系列的には?」
「系列化しなくちゃいけないんですか。『北京的西瓜』でも『水の旅人』でも、系列に上手く収まらなくて、いろいろ批判もあったって聞いてます。でも、今では、それもひっくるめて大林ワールドですよね。『理由』だって、どう位置付けるかなんて、くだらねえ作業じゃないでしょうかねえ」
「く、くだらねえって・・・。監督の思想を台無しにする忌々しき発言だわア」
「思想なんて後からついてきます。監督の撮りたいと思うエネルギーが大事なんです。この『理由』は藪の中です。先生は、芥川の『藪の中』をご存知ですか」
「映画が専門だから、芥川賞はちょっと分野外」
「芥川龍之介」
「ああ、はいはい。『蜘蛛の糸』とか『杜子春』とかね。あまり詳しくないわね」
「じゃあ、黒澤の『羅生門』」
「あ、それ、芥川の『羅生門』が原作よね」
「時代背景はそうですけど、プロットは『藪の中』。それと似てます。でも、原作自体はミステリー、解決させなくちゃいけない。物語的には解決されるけど、その途中のわくわく感は、あれかなって」
「へえ、それ、どこの批評家の見方?」
「私の自己流な解釈です」
「これまでの作品の系列には属さないの?」
「じゃあ、人間とは何ぞや、共に生きるとは何ぞや、家族とは何ぞや!で、どですか」
「えええええ」
「これまでの作品の集合体!ってのは」
「ま、まさかあ。それは安直なくくり方」
「あのお、系列系列って、そんなにくくるの大切なこと? 私は、彼のファンです。ファンって、すべてを許す気持があると思います。どんな系列に入らなくても、ファンである限り、どんな作品を創っても許しちゃうんです。だって、可能性を私に見せてくれるから。監督自身、試行錯誤だったかも知れません」
「そんな不確かな作品作りに、よくもあれだけ大勢の友情出演に近いキャストが確保できたわね。なんか理由ありよね」
「たいした理由なんかないでしょ。みんなが大林作品が好きなんですよ。みんな大林映画が楽しいんですよ、わくわくして、何が起きるか。先生みたいな杓子定規な議論しか出来ない人が、もし映画撮るって言っても誰も集まってきません。」
「失礼な」
「はい、失礼でした」
「杓子定規な講義で悪かったわね」
「はい、失礼します」そうして、私は講義の途中で退席をした。
「なんなのよ。あ~た。どうせ尾道も行ったことないんでしょうが。私なんか三度も行ってんだからね」罵声が背中に響いた。
 なあんだ、先生は尾道が心の支えなんだ。自分の背骨が尾道シリーズなんじゃない。きっと尾道に第二の故郷を想っているのじゃないかしら。素直に、そう言えばいいのに。

 しっかし、私も、よく先生に向かって、減らず口叩けたもんだわ。もう出れないな、あの講義。
 なんか、批評家よりも、作り手のがいいなあ、なんとなく、そう思った私は、ふと学生会館の掲示板で「キミもいっしょにSF映画を作らないか」という文字と、灰皿をひっくり返したビジュアルで構成されている手作りポスターに目が留まった。
 こんな同好会、あったかしら、と思いながら、私は、サークル棟のSF映画同好会の扉をたたいた。

 つづく(どこへつづくの?)。