障がい者殺傷事件から1年 | 次郎とマーマの なんじゃこりゃ日記

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知的しょうがいA1判定=次郎 
その次郎がマーマと呼ぶ私とのなんじゃこりゃな日々

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、

 

被害にあわれた方が心身ともに回復されることをお祈りします。

 

 

この一年、重度知的障がい者の親として、思うことはいろいろありました。

 

もっと、発信しなければ!と思う日々でもありました。

 

 

改めて、今、思うことは、容疑者の主張をこれほど、報道された事件があっただろうか?ということです。

 

 

どんな事件でも、「なぜ、そんな事件が起こったのか?」ということは、追及されるべきだし、

 

二度と起こさないために、検証されるべきです。

 

なのに、ほとんど、報道されることはありません。

 

たとえば、社会に不満をもち、重大事件を起こしたとしても、

 

それは、犯人の個人的な問題としてしか受け取られません。

 

 

障がい者殺傷事件に関しては、

 

かなり早い時期から、その主張が繰り返し繰り返し報道されたことは、驚きでした。

 

もし、これが、「人を殺してみたかった」というような動機だったとして、

 

それに同調する意見を、拾い上げるなどということをしてきたでしょうか?

 

「どうして、人を殺してはいけないのですか?」という意見もあるでしょう。

 

でも、それは議論するまでもなく、『人を殺してはいけない』という共通認識があります。

 

あたりまえです。人は殺してはならないのです。

 

 

なのに、障がい者が殺されたこの事件に関してはどうだったでしょう?

 

「容疑者の意見に賛成!」なんて意見は取り上げるまでもなく、

 

間違っているのに、どうして、議論になるのでしょうか?

 

まさか、「障がい者は殺してもいい」という意見は、言っていい社会に私たちは生きているのですか?

 

 

なんなら、せっかく共謀罪が成立したことだし、

 

「障がい者は死ね」とか「殺せ」とか思っただけで、逮捕してくださいませんか?

 

 

私は共謀罪に反対ですが、もし、犯罪を未然に防ぐことがこの法律の目的ならば、

 

今現在、ネットに、そのような書き込みをしている人を取り締まってくださいませんか?

 

 

ヘイトを野放しにすることなく、憎悪が蔓延することを止めたいと思うばかりです。

 

 

 

憎しみあうことは、きっと一番簡単なことなのだろうと思います。

 

だから、簡単に、憎しみを作り出されて、殺しあう戦争だって人間はするのだと思うのです。

 

人を信じるより、疑うほうが簡単です。

 

生活が苦しくなると、余裕をなくして、疑いあい、憎みあうようになるのだと思います。

 

煽られれば、なお簡単に。

 

 

さっき、私は取り締まってほしいと書きましたが、

 

実は、そんなことで、解決するとは思っていません。

 

ただ、ヘイトは犯罪だという認識を持ってほしいのです。

 

 

 

私が思う、憎悪に対する、一番の対抗策は、

 

 

愛です。

 

 

そして、武器は、

 

 

笑顔です。

 

 

 

愛を教えられることなく育った人に、

 

愛を教える先生を紹介します。

 

やはり適任なのは重度障がい者でしょう。

 

なにしろ、愛だけで生きていますから。

 

 

一クラスにひとり、

 

なんなら、マンツーマンで、愛を教わってください。

 

 

障がい者を気持ち悪いと言う人が居ますが、

 

気持ち悪いのは、障がい者ではなく、愛、なのだろうと思います。

 

 

なにしろ、愛なんて、一度も、見たことも、触ったこともないのですから。

 

 

愛のあふれる社会を作りたいと思いませんか?

 

安心して暮らせる社会を作りましょう。

 

信じ合える社会を作りましょう。

 

一緒に、笑って、生きていきましょう!

 

 

私は、社会の一員として、二度とこのような悲しい事件を起こさないことを誓います。