自分で確かめた東北被災地の現状:その1

 昨年11月末の平日、わが榛東村の社会福祉協議会が主催する「東日本大震災復興支援研修会」に参加させて頂きました。
近現代史とソバとお花さんを主眼とする当ブログではありますが、今シリーズでは自分で確かめた東北被災地の現状について、読者の皆さんと話題を共有し、原発に対する私見を精一杯語らせて頂きます。


1 無関心ではいけない!

 昨秋、いつも通り自宅に届いた回覧板を何気なく開いた途端、私の目に飛び込んできたのは、村の社会福祉協議会が発行した、一枚の簡素なパンフに書かれた次の文言でした。

「東日本大震災復興支援研修会 参加者30名程度募集します。」
 
 それは、村に講師を招き、被災地の現状や課題などを語ってもらう、ありきたりの講演ではなく、村民が自ら被災地に赴き、そに現状を視察するというものでした。

 費用は交通費(貸切バス)と昼食代込みで5000円ポッキリ。

 
これはもう、お願いするしかない!

 誇り高き日本男児として、自分が生きた時代に遭遇した未曾有の国難に対し、無関心ではいけない!

 そんな単純な経緯で、東北行きを決断。折角なので職場の同僚をお誘いしました。


2 東北を目指して暗闇の榛東村を出発

 ただし、当日の日程は貸切バスで村を午前5時に出発し、そのままノンストップで東北被災地に入り、視察終了後は間髪入れずに村に午後9時頃にUターンするという、極めてハードなものでした。つまり、一日の大部分をバスの車内で過ごすことが予め分かっていました。

 でも、それは覚悟の上、当日4時半起床。集合場所のしんとう温泉ふれあい館へ。外は真っ暗闇でしたが、すでに村内の老人たちで車内は賑わっていました。

 さすがに、老人は毎日が日曜日。うらやましい限り。ただ、後から知ったことですが、今回参加された老人たちは、震災直後から復興ボランティアとして現地に入り、被災者たちのために尽力された、志の高い方々ばかりでした。

 参加者全員の乗車が確認された直後、社会福祉協議会の世話人の方々から研修資料が配られました。そのタイトルは、次のように書かれていました。

 ~決して風化させない~ 東日本大震災復興支援研修会」

 今回の研修が陳腐な物見遊山ではないことを改めて実感した瞬間でもありました。


3 初めて目にした被災地の現状とは?

 バスは前橋ICから高速道路に入りましたが、さすがに朝が早すぎるため、車内は睡眠タイム。もちろん、私もしばらく仮眠状態。次に気が付くと、外はすでに明るく、バスは常磐道の日立中央PAに停車中でした。駆け足で軽めに朝食を摂り、再びバスの車内へ。

 目指すは東京電力福島第一原子力発電所の周辺各市町村。初めての訪問に心が躍りました。

 バスは常磐富岡ICで常磐道を離れ、まずは富岡町内へ。

 すると、たちまちその沿道には異様な景観が広がって参りました。私にとって、それは初めて目にする東北被災地の現状でした。 


 富岡町の景観(1) 
常磐道常磐富岡IC付近。どこかしこも田畑に雑草が伸び放題でした。
 


 富岡町の景観(2)
 左折して県道36号に入り、浜通りを北上しました。



 富岡町の景観(3)
 青地に「除染作業中」と書かれた、目立つ幟が路傍のあちこちに並んでいました。

 


 富岡町の景観(4)
 黒くて大きなビニルシートに包まれた塊が田畑にいくつもに並んでいました。中身は除染作業で回収された汚染土です。



 富岡町の景観(5)
 県道36号の路傍にも汚染土の塊がたくさん並んでいました。

 


 富
岡町の景観(6) 県道や国道に通じる大小の道路はバリケードで完全に封鎖され、「帰宅困難区域」として立ち入りが禁止されていました。



 富岡町の景観(7)
 県道や国道の路傍の先々でこうした看板がいくつも立てられていました。

 
 富岡町の景観(8)
 規模の大きな農家を沿道でたくさん見掛けましたが、どの家も主はなく、周りの田畑も荒れ放題でした。

 


 富岡町の景観(9)
 手前は単なる原っぱのように見えますが、元々は田畑でした。原発事故は福島浜通りの農業・農村の平穏な日常、つまり日本の古き良き伝統社会を破壊しました。
 



 そして、同町から国道6号をそのまま北上し、その沿線の市町村を視察・車窓見学。なお、それらの市町村を訪問した順に並べると、次の通りです。併せて、Wikipediaを参考に、それぞれの地域を簡潔に紹介させて頂きます。


 磨人メモ:浜通り沿線の東北被災地各市町
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(1)  
富岡町
 
東京電力福島第二原子力発電所がある。東日本大震災が誘発した福島第一原発事故による甚大な被害を受け、役場機能は郡山市に移転中。


(2)  
大熊町
 東京電力福島第一原子力発電所(以下、「福島第一原発」と略す)の1号機から4号機の所在地であり、平成23年3月12~15日にかけて発生した同原発事故の爆心地
 幕藩体制下では、浜街道(現・国道6号)の宿場町(熊川宿)として繁栄。
高度経済成長の昭和42年に福島第一原発が着工して以来、大熊町は東日本における「エネルギー源地帯」の北限となった。かつては福島第一原発を描いた「原子力もなか」が大熊町の土産として販売されていた。
 平成23年3月11日の東日本大震災で震度6強を記録する被害を受けた。この震災に誘発され、同12日15時36分、福島第一原発1号機で、白煙をともなう水素爆発が発生。翌日以降、住民の退避が必至となり、仮役場が設置された田村市総合体育館に多くの住民が移動・避難した(現在、役場機能は会津若松市に移転中)。以後、平成
24年12月9日まで、除染や瓦礫の撤去作業を行う作業員以外の町民の立ち入りが全面禁止される「警戒区域」に指定されていたが、翌日以降町域は「帰還困難区域」(従来通り作業員以外の住民の立ち入り・一時帰宅を禁止:全体の96%)と「居住制限区域」・「避難指示準備解除区域」(日中の時間帯のみ、町からの許可を得ることを前提に立ち入り・一時帰宅できるが宿泊不可:全体の4%)に再編された。

(3)  
双葉町
 浜街道(浜通り)の中部にあり、福島第一原発の5号機と6号機の所在地福島原発事故を受けて住民の避難が必至となり、約1200人の被災住民は役場機能ともにさいたまスーパーアリーナに集団避難(現在、役場機能はいわき市に移転中
)。
 現在、町域の大部分は「帰還困難区域」に指定されており、日中の立ち入りが許される「避難指示解除準備区域」は全体の4%に過ぎない。除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は一時帰宅を含めた町内への立ち入りが厳しく制限されている。

(4)  
浪江町
 浜通りの北部に位置し、従来より過疎と財政難に悩まされていた浪江町は、昭和35年頃、福島県が原発を誘致するに当たって候補地とされたが、同じ双葉郡の双葉町と大熊町にまたがる地域に原発(後の福島第一原発)が開所することが決まり、その建設地から外された。さらに宇宙開発事業団のロケット発射場の候補地にも浪江町は立候補したが、原発の近郊に発射場を建設するのは危険と判断された。
 平成12年に日本テレビ系列のバラエティ番組『ザ・鉄腕DASH!!』の企画として、「DASH村」が浪江町の西部に作られ、人気を博した
 平成23年3月11日にM9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。大津波によって町の沿岸部は壊滅的被害を受けた。それに加え、隣接する大熊町域で福島第一原発事故が発生。以後、放射能漏れによって浪江町も多大で長期的な影響を受けることとなった。
 同年3月14日に原発事故による放射性物質の漏洩が深刻化し、同日午前原発からの距離が半径10km圏内の全域、同日午後には浪江町東部全域が含まれる半径20km圏内の全域に避難指示が公示される。これを受け、二本松市内に仮役場が設置され、翌15日以降、約8千人が移動・避難。さらに同年4月11日、原発より半径30km圏内にある地域(西部の大部分)が「計画的避難区域」に指定され、半径30km圏外にある地域(西部の一部)は「緊急時避難準備区域」に指定された。

(5)  
南相馬市
 いわき市と仙台市のほぼ中間に位置。国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追は有名。また、北泉海岸はサーフィンがさかんで、夏場に世界大会が開催される。
 平成23年3月11日14
時46分18秒、M9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。この地殻変動が引き起こした大津波が海岸線から約2km付近までの地域を呑み込み、壊滅させた。目撃証言によれば、とくに津波の第3波は大きく、海岸線に設けられた高さ十数メートルの防潮林を越えたという。原町火力発電所も大津波の直撃を受け、死者1人、火災発生、機器損壊、8万トン級の石炭船沈没等、多大な被害を受けた。

(6)相馬市
 浜通りの北部に位置し、とくに江戸時代には中村藩6万石の城下町として栄えた。二宮尊徳が飢饉に陥った各地の村々に仕法(村おこし)を行った土地としても知られている。平成23年3月11日、東日本大震災によって沿岸部を中心に壊滅的な被害を受けた。

(7)新地町
 相馬郡北東部にあり、浜通りの最北部に位置。藩政時代は、現在の福島県内において唯一仙台藩領であった。現在でも、隣接する相馬市と同様に仙台大都市圏に含まれ、仙台市のベッドタウンと見なされることがある。
 東日本大震災により発生した大津波が襲来。死者116名、住宅全半壊577戸。JR常磐線新地駅や史蹟・観海堂が流失するなど、沿岸部が甚大な被害を受けた。

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 総じて言えば、浜通り一帯は、同じ東北太平洋岸にあって、天然の良港(リアス海岸)に恵まれた三陸海岸とは異なり、漁港・漁業が発達せず、農業に代わる産業が乏しかったことから、福島第一原発、同第二原発、広野火力発電所など、国内有数の電力供給地としての役割を担ったきた地域。つまり、浜通りは。地域振興のためにやむなく原発を許容し、約半世紀前から国家の電力政策に積極的に貢献してきました。

 ところが、浜通り一帯は、おそらくチェルノブイリ原発と同様、人類の過ち・教訓として世界史に深く刻み込まれるであろう、未曽有の原発事故に遭遇。

 
原発事故は絶対にNGのはずではなかったのか?

 爆心地となった浜通りが負ったリスクはあまりにも大きすぎないか?

 安全性が担保されない原発。J民党はそれでも原発にしがみつくのか?



 とりわけ、上記7市町村のうち、南相馬市と新地町については、地元の社会福祉協議会の方々に現地の被災・復興状況を詳しく説明・案内して頂きました。その内容は、次回紹介させて頂きます。


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