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問い直すべき12月8日の意味 ~知られていない「開戦の詔勅」~

 

 12月8日。大東亜戦争が始まった、いわゆる「開戦の日」。今年も普段よりも早く自宅を出発し、出勤前に松竹院さん(前橋市本町)にお邪魔させて頂きました・・・

 

 今から75年前の今日、12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩(たくみひろし)陸軍少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始。ここに大東亜戦争の火ぶたが切って落とされました。

 

 さらに、その約2時間後の同3時19分(日本時間)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「ト・ト・ト……」(ト連送)、すなわち「全軍突撃」を下命。日本海軍はハワイ・オアフ島の真珠湾に展開していたアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に奇襲攻撃を敢行。

 

 同3時22分、淵田中佐は旗艦「赤城」に対して「トラ・トラ・トラ」(トラ連送)を打電。これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する暗号略号でした。

 

 とりわけ真珠湾作戦における米国側の被害は甚大で、犠牲者は2413名(民間人68名を含む)にも及びました。合掌 

 

 こうした非常事態を受け、12月8日12時29分(ワシントン時間)にF.ルーズベルトは連邦議会でアメリカ国民に向けてラジオ演説を行い、日本海軍の攻撃により真珠湾に展開中のアメリカ海軍が壊滅的な損害を被った12月7日(アメリカ時間)を「アメリカにとって恥辱の日」と表現し、奮起と団結を呼び掛けました。

 

 一方で、日本軍側の損害も決して忘れてはいけません。

 

 作戦成功を派手に宣伝された真珠湾攻撃は奇襲作戦の成功を過剰に宣伝されましたが、実際には64名もの日本軍将兵が散華されました。祖国の平和と発展を願い、その礎となられた誇り高き先人たちに対し、深く哀悼の意を表します。合掌

 

 その64名の中には、前部に45センチ魚雷発射管を備えた特殊潜航艇「甲標的」で出撃して真珠湾内で散華され、後に「九軍神」として顕彰された9名の海軍将兵も含まれています。それは事実上の水中特攻の先駆けであり、後に大本営は5隻の甲標的で編成された部隊を初めて「特別攻撃隊」と命名しました。

 

 そして、その特別攻撃隊の指揮を執った人物こそ、わが郷土群馬県が生んだ至尊の英雄、岩佐直治海軍中佐(前橋市天川原ご出身)です。

 

 つまり。私にとって12月8日は、尊敬する岩佐直治海軍中佐の御命日。毎年欠かさず、岩佐中佐の御墓所である松竹院さん(前橋市本町)にお邪魔させて頂いております。(参照:12月8日は特別な日なんです!12月8日は特別な日なんです! (2) )・12月8日は特別な日なんです! (3) 12月8日は特別な日なんです!(4) )。

 

 岩佐直治中佐のお墓 到着したのは8時前でしたが、すでに墓前にお花がたくさんお供えされてされていました。合掌 以下、掲載写真は全て平成28年12月8日に松竹院さんで撮影させて頂きました。

 

 岩佐中佐の御尊名が刻まれた墓石 岩佐中佐は大正4(1915)年5月6日に前橋市天川原でお生まれになり、昭和20年12月8日にハワイ真珠湾で散華されました。合掌

 

 持参したキクのお花 白と黄色のものがそれぞれ1輪ずつ入っているものを2束持参しました。

 

 お供えしたキクのお花 これと同じものを墓前の左右に2輪ずつお供えしました。

 

 「軍神岩佐中佐」の歌詞が刻まれた石碑 戦終戦から38年が経過した昭和58年に御遺族が建立した石碑です。墓前の左側に立っています。

 

 柑橘系の果実 「軍神岩佐中佐」の歌詞碑の真上にぶら下がっていました。真ん丸の果実が優しく私をお出迎えしてくれました。

 

 

 さて、「終戦の詔勅」、すなわち玉音放送に関しては、日本国民であれば誰もがご存知かと思います。しかし、「開戦の詔勅(正式には「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」)」については、ほとんど知られていないのではないでしょうか?

 

 というか、わが国の歴史教科書では、そもそも大東亜戦争は「太平洋戦争」などと表記され、同戦争を取り上げる際、その結末、すなわち連合国側がわが国に押し付けた「ポツダム宣言」ばかりが小・中・高とも強調されがちです。

 

 それって、歴史学習のあり方としておかしいのでは?

 

 日本人をあたかも米英の奴隷民族とみなしがちな、自虐的な歴史教科書なんて要らない!

 

 日本が米英との開戦に踏み切った、いや踏み切らざるを得なかった背景こそ、しっかりと学ばせるべき!!

 

 大東亜戦争の大義とは?

 

 その明確な答えが、「開戦の詔勅」に記されています。

 

 難解な字句が多く登場し、おそらく首をひねるであろう読者さんのために、極力簡略化させて頂いた現代語訳も併記しておきます。

 

 

米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

 

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々
東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ

皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

 

御名御璽

昭和十六年十二月八日

 

内閣総理大臣兼内務大臣陸軍大臣 東条英機
文部大臣 橋田邦彦
国務大臣 鈴木貞一
農林大臣兼拓務大臣 井野碩哉
厚生大臣 小泉親彦
司法大臣 岩村通世
海軍大臣 嶋田繁太郎
外務大臣 東郷茂徳
逓信大臣 寺島 健
大蔵大臣 賀屋興宣
商工大臣 岸 信介
鉄道大臣 八田嘉明

 

 

【現代語訳】
   天の助けにより万世一系の皇位を受け継いできた大日本帝国の天皇が、忠誠にして武勇に富む国民に示す。

 

  私はここに米国及び英国に対し、戦いを宣言する。陸海の将兵は全力を奮って戦いに挑み、武官や役人たちはその職務に励み、国民もそれぞれの本分を尽くし、心を一つにして国家の総力を挙げて戦いの目的を達成してほしい。

 

  そもそも東亜の安定を確保し、世界の平和に寄与することは、明治天皇から大正天皇へと受け継がれてきた将来への配慮であり、私が常に心に留めてきたことである。そして、各国との友好を大切にし、全ての国がともに栄える喜びを分かち合うことも、日本が常に外交の大切な柱としてきたことである。今、不幸にして米英両国と戦いを始めるに至ったことは、実にやむを得ないことであり、私の意志ではない。
  中華民国の政府が日本の真意を理解せず、みだりに事を構え、
東亜の平和をかき乱し、ついに日本に戦いを始めさせてから4年余りが経過した。幸い国民政府は新たに生まれ変わり、日本はこれ(=汪兆銘政府)と友好関係を結び、ともに提携するようになった。ところが、重慶に残存する政権(=蒋介石政府)は米国、英国にかくまわれ、仲間内の争いをやめようとはしない。
  米英両国はこの残存政権を支援し、東亜の混乱を助長し、平和の美名にかくれて東洋を制覇しようという忌々しき野望を達成しようとしている。それだけではなく、その同盟国に働きかけて日本周辺に軍備を増強して我々を挑発し、さらには日本の平和的な通商にあらゆる妨害を加え、ついに経済断交まで行い、日本の生存に重大な脅威を与えている。
  私は政府に(こうした悪しき)事態を平和的に解決させようとし、(米英両国の横暴に対して)長らく我慢してきたが、彼らは全く譲り合う気持ちは寸分もなく、いたずらに解決を先延ばしにし、経済上や軍事上の脅威を一段と増強し、日本を屈服させようとしている。事態がこのまま推移すると、東亜の安定に向けた日本の長年の努力はことごとく水泡に帰し、日本の存立も危うい。ここに至って、日本は
自らの存立と自衛のために勢いよく起ち上がり、全ての障害を打ち破るしかない。
  皇室の祖先や歴代の天皇が天から見守ってくださるであろう。私は国民の忠誠や武勇を信じ、歴代の天皇の遺業をおし広め、速やかに禍根を取り除き、
東亜に永遠の平和を確立し、日本の光栄を守りたい。
 

 

 いかがでしょうか? 

 

 大東亜戦争が東亜(アジア)の安定、そして日本の自存自衛のための戦いであったことは、この「開戦の詔勅」を読めば一目瞭然ではないでしょうか。しかも、米英との開戦に踏み切らざるをえない状況に日本を追い込んだ張本人は米英両国であり、日本が好んで米英との開戦に踏み切ったわけではないこともキッパリと明記されています。

 

 大東亜戦争に関する歴史認識問題で他国と折り合いが付かない日本ですが、安易に譲ってはいけません!

 

 私たち日本人は自国の歴史に誇りをもち、とりわけ「開戦の詔勅」の主旨に則って12月8日の意味を深く問い直す必要があるのではないでしょうか?それこそが、大東亜戦争で散華された日本軍将兵の方々に対する最大の供養だと私は思います。

 

 改めて岩佐中佐、そして大東亜戦争で敢闘した私たち日本人の先人たちに敬礼 そして合掌

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両毛地域に刻まれた大東亜戦争の記憶:その2 「新田飛行場跡」 

 

 実際にあちこち探してみれば、わが郷土群馬県にも戦争遺跡がたくさんあります。陸軍前橋飛行場をはじめ、すでに当ブログで紹介させて頂いたものもあります(参照:「群馬の森」は奇妙な歴史空間 ~陸軍岩鼻火薬製造所跡~(前編) 吾妻谷で首都防衛に務めた防空監視隊 ~長野原町防空監視哨跡~ 風化させてはいけない陸軍前橋飛行場の記憶(1/4) )。

 

 でも、それはまだ氷山の一角に過ぎません。できれば群馬県内の戦争遺跡を完全踏査し、その成果を当ブログで公表したいビックリマーク大東亜戦争の記憶を風化させてはいけない!!

 

 そんな想いもあって、先月26日に「ねむの会」両毛研修を決行しました。当日の参加者は寅市先生と織平先生、そして私、白髪磨人の3名。いつものメンバーですにひひ

 

 今回は、その成果を詳しく紹介させて頂きますDASH!

 

 当日最初に向かったのは、熊谷陸軍飛行学校新田分教場跡(太田市新田市野倉町)。同所には少年飛行兵の教練のための飛行場も設けられたことから、一般には所在地の地名をとって新田飛行場、または生品飛行場と呼ばれました(以下、「新田飛行場」で統一させて頂きます)。なお、至近の生品神社は、元弘3(1333)年5月8日、後醍醐天皇から鎌倉幕府討幕の綸旨を受けた新田義貞が旗揚げをした伝説の場所と伝えられ、国指定史跡「新田荘遺跡」の一つに数えられます。

 

 VOXYくんは関越道高崎JCTから北関東道に入り、柔らかな朝日を浴びながらしばらく西進。太田薮塚ICで下り、後はカーナビくんの力を借りて市野倉地区に到着。南端の新新田変電所を起点に、地図で現在地を確認しながら、ほぼ正方形の敷地からなる新田飛行場跡の外周道路を時計回りにぐるりと一周してみました車

 

 新田飛行場跡の位置 当地では地名「新田市野倉町」(太田新田市野倉町)がそのまま新田飛行場跡を表し、その敷地は一辺が約1600mの正方形に近い形をしています。 図中に記したA~Dの各地点は同飛行場跡のそれぞれ南端・西端・北端・東端の角地で、「蛙又三叉路」はB地点の北側があります。そして、図中のE-G間の直線道路は滑走路の名残、F地点(下掲写真)がその南東端付近と思われます。以下、写真の無断転用は一切禁止します。

 

 地形図に刻まれた新田飛行場跡の地割 周辺地域が東西南北の方向に道路がほぼ真っ直ぐ延びる碁盤目状の地割をもつなかで、市野倉地区だけは、碁盤目状ではあるものの斜めに傾いた北西―南東、北東ー南西方向の地割がみられます。つまり、周辺とは明らかに異なる方向性をもつ、この地割こそが新田飛行場の痕跡です。

 

 

 以下、新田飛行場跡の景観を当日撮影した写真で紹介させて頂きます。

 

 まずは新田飛行場の南端角に当たるA地点付近から・・・

 

 新田飛行場跡の景観(1) 上掲地図中のA地点付近から北側に広がる市野倉地区の農村景観。畑のホウレンソウが収穫を待っています。平成28年11月26日撮影。以下同じ。

 

 

 なお、新田飛行場に関する資料は軍事機密とされ、その詳細は明らかにされていません。それでも、『新田町誌』には、同飛行場に関する記述がみられます。その主な内容は次の通りです。

 

(1)飛行場の規模は東西約1850m・南北約1350mで、総面積は約249万㎡(いずれも原文のまま)。 ※実際には東西2400~2500m、南北約2300m(地形図で測定)。

 

(2)飛行場が建設される前、当地は広大な平地林で、建設予定地の4分の3はマツ林で、残りはナラなどの雑木林だった。

 

(3)着工は昭和10(1935)年に着工。以後、工事は2年間にわたって行われ、昭和13年3月に最初の練習機が同飛行場を飛び立った。

 

(4)唯一の資料として練習機である「陸軍九五式一片乙練習機(通称「赤とんぼ」)」の写真が現存。

 

(5)昭和20年7月・8月に米軍機による爆撃で飛行場が被災。とくに7月の爆撃で格納庫を含む諸施設が壊滅。

 

 終戦後、新田飛行場跡地をめぐって、昭和20年11月の閣議決定(大規模開拓事業実施方針)に伴い、中島飛行機太田製作所の離職者たちの失業対策の一環で当地を農村として開拓する計画が持ち上がりました。その計画は「生品飛行場跡三百町歩開耕計画」と呼ばれ、延べ200戸の入植世帯を募り、それぞれに1町5反歩の耕地を割り当てるというものでした。

 

 そして、同年ただちに復員軍人や海外引揚者などを中心に地元の生品村やその近隣から入植者を募集。最終的には各役場の推薦や抽選で入植者が決められました。翌年3月に鍬入式が行われ、入植が正式に始まったもののやせ地のため、最初はサツマイモなど小指程のものしか穫れなかったそうです(以上『新田町誌』を参照)。

 

 いずれにせよ、新田飛行場跡が「市野倉」開拓集落に生まれ変わった背景には、終戦に伴う日本の武装解除、そして早期に解消すべき国内の失業問題がありました目

 

 なお、市野倉地区は元々水利に乏しい場所とみられ、水田は全く見られません。現在は肉牛を飼育する大きな畜舎もみられますが、従来、広大な耕地で野菜やイモ類などを生産する畑作が営農の中心とされてきたようです。

 

 さて、次は東端角に移動。先述した通り、市野倉地区特有の地割の関係で、この場所を北端と錯覚してしまいがちですえっ

 

 新田飛行場跡の西端角 上掲地図中のB地点です。織平先生が立っていますにひひ 

 

 新田飛行場跡の西端角-南端角間の直線道路 上掲地図中のB地点で撮影。この真っ直ぐ南東方向に延びる道が新田飛行場の外郭(南西辺)の名残ですグッド!

 

 新田飛行場跡の西端角-北端角間の直線道路 上掲地図中のB地点で撮影。この真っ直ぐ北東方向に延びる道も新田飛行場の外郭(北西辺)の名残です。余談ですが、左側に停車中の車が、私が13年間連れ添った愛車「VOXYくん」。そろそろ引退ですしょぼん

 

 

 至近には「蛙又(かえるまた)三叉路」と呼ばれる古街道(河岸街道)の交差点があります(上掲地図を参照)。

 

 ここで現地・現物観察至上主義者の血が騒ぎ、少しだけコースアウトし、東南角から約m北北西に位置する蛙又三叉路に向かいましたDASH!

 

 何か発見があるのでは?
 

 蛙又三叉路 同所に立つ道標に刻まれた字句によると、蛙又三叉路は、北は大原を経て大間々方面に、南西は綿打村金井を経て境方面に、南東は市野井を経て木崎方面にそれぞれ至る交通の起点とされたことが分かりますひらめき電球

 

 蛙又三叉路の道標(1) 「名木かへるまた 昭和八年六月建立 生品村山林保護組合」 と刻まれています。なお、「山林保護組合」は市野倉地区を含む当地が広大な平地林であったことの証左です。

 

 蛙又三叉路の道標(2) 「東南市野井ヲ経テ木崎方面二至ル」と刻まれています。奥に見えるのが当地に新設された道路です。

 

 蛙又三叉路の「名木かえるまた」? 石造の祠のすぐ隣に木が生えています。支柱が施された、この木が「名木かえるまた」でしょうか?いずれにせよ、同所に生える(生えた?)木が地名の由来となったようです。 

 

 

 新田飛行場の敷地を選定する際、交通アクセスの利便性などが考慮され、この蛙又三叉路がその基準とされたのではないでしょうか?つまり、同三叉路付近を予め飛行場の西端角に決めた上で、そのスケールが順次決められていったのでは?

 

 私の考えすぎでしょうか?

 

 いずれにせよ、新田飛行場は蛙又三叉路、そして同所から分岐する3本の旧道(とりわけ南東に延びる旧道)をぎりぎり避ける形で敷かれています。

 

 そして次は、新田飛行場の北端角付近に当たるC地点に移動。その北側は北関東自動車道にほぼ接しています。

 

 新田飛行場跡の北端角(1) 新田飛行場の北端角に当たるC地点で撮影。すぐ北側に北関東自動車道が通り、赤城山の眺望が遮られてしまうこともあり、同所が同飛行場の東端角に当たるかのような錯覚を覚えますえっ 

 

 新田飛行場跡の北端角(2) クマさん(織平先生)・おさるさん(寅市先生)の奥が、2つ上の写真と同じ、新田飛行場北西辺の外郭に相当する直線道路です。

 

 新田飛行場跡の北端角から南東に延びる直線道路 上掲地図中のC地点で撮影。直線道路の突き当り付近には大きな工場が並び立ち、「市野倉地区工業団地エリア」を構成しています。その辺りに熊谷陸軍飛行学校新田分教場の主要な建物が置かれたものと思われます。 

 

 新田飛行場跡の景観(2) 新田飛行場跡の北東辺で撮影した市野倉地区の農村景観。ダイコン畑が11月の早過ぎる積雪に見舞われています。同地区には大きな牛舎も見られますが、こうした畑作が農業の中心となっているようです。

 

 

 新田飛行場北東辺の外郭は、現在その一部が工業団地(市野倉地区工業団地エリア)となっており、他の三辺に比べて不明瞭です。ヨシカワ新田工場さん(自動車部品・建築部材)、しげる工業市野倉工場さん(自動車部品・用品)、岡田工業さん(産業用パレットなど)、永徳(エートク)(段ボール包装資材)さんなどの大きな工場が並び立っています。

 

 そして、東端角の栄久太田工場さん(リネンサプライサービス)の角地のフェンス脇の草地には、元少年飛行兵が建立した「陸鷲修練之地」の石碑が建っています目

 

 生品飛行場跡の東端角 栄久太田工場さんが生品飛行場のほぼ東端角に当たり、同所に熊谷陸軍飛行学校新田分教場の主要な建物があったものと思われます。写真右側の電柱の後ろに「陸鷲修練之地」の石碑が建っています。 

 

 新田飛行場跡の東端角に立つ「陸鷲修練之地」の石碑(1) 当地で修練に励んだ少年飛行兵を「陸鷲」にたとえ、大東亜戦争の記憶を刻んでいます。 「陸鷲修練之地」と大きく書かれた脇に「少年飛行兵操縦教育校 旧熊谷陸軍飛行学校」、そして「新田教育隊跡地」と添え書きされていますグッド!

 

 新田飛行場跡の東端角に立つ「陸鷲修練之地」の石碑(2) 当石碑の裏面には「平成七年八月 終戦五十周年記念  元少飛 柳文夫」と刻まれています。こうした先人たちに感謝です。合掌

 

 

 実際に現地を観察してみると、この石碑が建てられた場所、つまり新田飛行場の東端こそ、教室をはじめ、練習機の格納庫、修理工場など、熊谷陸軍飛行学校新田分教場の主要な建物が置かれていたものと容易に想像が付きます。

 

 新田飛行場跡の東端角-南端角の直線道路(1) 上掲地図中のD地点で撮影。やはり、ここでも南西に真っ直ぐ延びる道路が新田飛行場の外郭(南東辺)の名残です。なお、道路に沿って続く桜並木は「桜並木太平記街道」と命名されているそうです。

 

 新田飛行場跡東端付近の工場 飛行場跡の外郭東寄りで操業中の永徳(エートク)さん(段ボール包装資材)の工場です。この辺りに練習機の格納庫や修理工場などが置かれていたはずです。

 

 新田飛行場跡の東端角-南端角間の直線道路(2) 今度は道路の右側に桜並木が続いています。

 

 

 そして最後に、飛行場跡の中央を南東-北西方向に貫く、滑走路の痕跡と思しき直線道路を探りました。

 

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 新田飛行場の滑走路跡(推定)(1) 上掲地図中のE地点から北西方向を撮影。往時の滑走路を偲ばせるこの二車線の道路が、平らかな畑地を貫き、北西方向に真っ直ぐ延びています。なお、突き当たり(北西方向)のやや右側に霞んで見えるのは赤城山です。

 

 新田飛行場の滑走路跡(推定)(2) 上掲地図中のF地点から北西方向を撮影。この辺りが滑走路の南東端でしょうか?いずれにせよ、新田飛行場で修練に励んだ少年飛行兵たちはこの辺りで飛行機を発進させ、赤城山を右手に見ながら離陸したものと思われます。

 

 

 最後になりますが、今回尋ねた新田飛行場跡と以前当ブログで紹介させて頂いた前橋飛行場跡を比較させて頂きます(参照:風化させてはいけない陸軍前橋飛行場の記憶(1/4) 風化させてはいけない陸軍前橋飛行場の記憶(2/4) 風化させてはいけない陸軍前橋飛行場の記憶(3/4) 風化させてはいけない陸軍前橋飛行場の記憶(4/4)

 

 まず飛行場の敷地自体を地形図を使って比べてみると、前橋飛行場が東西約1900m・南北約1700m(ただし不定形)あるのに対し、新田飛行場は東西約2400~2500m、南北約2300mで、新田飛行場の方が広いことが分かります。そして、新田飛行場は正方形に近い、整然とした形をしている点が前橋飛行場との大きな違いです。

 

 そして、教室や格納庫、修理工場など主要な建物が置かれた場所は、前橋飛行場では西側が中心であったのに対し、新田飛行場では、先述させて頂いた通り、正反対の東端角付近だったようです。

 

 逆に、両飛行場の跡地に共通してみられる最大の特徴は、跡地に残る地割でしょう。いずれも、周辺とは明らかに異なり、北西-南東方向(北東-南西方向)に傾いた地割が特徴的です。これは両飛行場とも滑走路とそれに付随した路地がそうした規格に則って敷設されたことに由来するものと思われます得意げ

 

 なぜ、滑走路がそうした傾きをもって敷設されたのでしょうか?

 

 それはおそらく、冬場の季節風、すなわち空っ風の風向(北西風)を考慮したことによるものでしょう。風が強いことで知られる群馬にあって、とりわけ冬場の強烈な空っ風を考慮した場合、それが離着陸の障害(つまり横風)にならないよう、あえて滑走路を空っ風の風向と重ね合わせたものと思われますひらめき電球

 

 また、飛行機の離着陸は、向かい風の方向に行うことが望ましいとされています。その前提に立てば、車輪を出して滑走路を走る飛行機が空っ風の吹く方向、つまり向かい風を真正面に受けることで得られる揚力は機体のスムーズな離陸につながるはず。逆に着陸の際は、向かい風が機体の勢いを止める自然のブレーキの役割を果たします。とりわけ赤城山の南側に吹き荒れる冬場の空っ風は「赤城おろし」と呼ばれ、新田飛行場ではそれが飛行訓練で巧みに生かされたものと考えられます得意げ

 

 なお、中島飛行機太田飛行場跡(現在は富士重工大泉工場:太田市朝日町~大泉町いずみ)にも前橋・新田両飛行場と同様に「傾いた地割」が確認できます。

 

 中島飛行機太田飛行場跡(現・富士重工大泉工場)の地割 新田・前橋両飛行場と同様、太田飛行場でも滑走路は北西-南東方向に敷設されたことから、同飛行場跡である富士重工大泉工場の敷地はその方向性を反映し、斜めに傾いた細長いほぼ長方形で成り立っています。また、同工場の敷地内に残る地割も同じ方向で大きく傾いていることが地形図から詠み取れます。

 

 

 今回、両毛研修で新田飛行場跡を訪れたことで、すなわち前橋飛行場跡の地割が傾いている理由がよく分かりました。大東亜戦争の最中、群馬県内各所に建設され、特攻を含む大勢の飛行兵を育てた主要な陸軍飛行場は、いずれもご当地名物の空っ風を考慮して建設されていました。

 

 まさに目からうろこが零れ落ちました目

 

 これだからフィールドワークは止められない、止まらない・・・

 

 もちろん、クマさん(織平先生)もおさるさん(寅市先生)も興味津々でした合格

 

 

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 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。 

 次回は、戦時中の中島飛行機の創業者である中島知久平の邸宅(国指定重要文化財 中島知久平邸)
紹介させて頂きます。乞うご期待!

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両毛地域に刻まれた大東亜戦争の記憶:その1   

 

 当ブログのコアな読者の皆さん、長らくお待たせ致しました。今年度のデ・レーケ堰堤クリーン作戦がひと段落したところで、今回は久しぶりに戦争遺跡関連の記事を書かせて頂きます。右翼と罵られようが、軍国主義者と叩かれようが、こちらが正真正銘、私の専門領域であり、ライフワークに掲げる研究分野です音譜

 

 思い起こせばこの一年、当ブログはだいぶ地元のデ・レーケ堰堤にこだわって参りました。でも実際には、私白髪磨人はその美化活動(デ・レーケ堰堤クリーン作戦)に勤しむ傍ら、県内外あちこちの戦争遺跡に足跡を刻んで参りました。そして、今まで通り、コアな読者の皆さんにその一部始終を当ブログで事細かに紹介させて頂こうとしました。

 

 ところが、今年に入り、3年ぶりに本業(高校地歴科教師)の方で国家全体に関わる、極めて責任の重い書籍の執筆・編集関係の仕事(地理教育)に携わらせて頂くことになりました。そのため、そちらを優先し、あえてブログの更新頻度を下げることで気力・体力の温存をはからせて頂きました。

 

 何しろ仕事の内容が半端ではありませんから、私が途中で倒れてしまうことは絶対に許されません。チーフを務める私の代わりは誰も存在しませんから、万が一私が欠ければ、それは国家の地理教育にとって非常事態を意味したといっても過言ではありませんでしたドクロ

 

 それでも師走を目前に控え、お陰さまでそちらの仕事もとりわけ版元の編集担当者の協力で大きな山場を乗り越え、このところ気力・体力に幾分か余裕が生まれて参りました。そこでデ・レーケ堰堤の束縛から自らをいったん解放させ、まるで本棚の上に積み上げた読みかけの本を久しぶりに手にとって読み直してみるのと同じように、これまでのフィールドワーク(戦争遺跡)の成果を当ブログを通して世に公表しようと決意しました得意げ

 

 いずれにせよ、当ブログはこれからも歯に衣着せず、主張すべきことは堂々と主張し、硬派を貫いて参りますグー

 

 とは言うもの、何から書き始めればいいものか?あまりにもたくさんあり過ぎて、どこから手を付けていいものか、ため息をつくばかりあせる

 

 それでも、あえて優先順位を考えれば、上位に来るのはやはりわが郷土史・近現代史サークル「ねむの会」の同志たちと訪問した戦争遺跡。なお、「ねむの会」の同志たちとは、今年も色んな場所を訪問させて頂きましたニコニコ

 

1 3月20日:千葉(下総西部)研修

(1)松戸市内

 ①陸軍松戸飛行場関係 

   陸上自衛隊松戸基地内に現存する格納庫跡

   飛行場跡(民有地)に遺る掩体壕の基礎部分

 ②陸軍工兵学校跡

   市民公園に現存する門と歩哨舎

(2)流山・柏市内

 ①流山糧秣庫(陸軍糧秣本廠流山出張所)跡

 ②陸軍柏飛行場関係

   柏の葉キャンパス(陸軍柏飛行場跡)

   ロケット戦闘機「秋水」の地下燃料庫跡

 

2 6月4日:甲州韮崎研修

(1)今村大将謹慎室

(2)七里岩地下壕

(3)宮下太吉墓所(甲府市内) ※大逆事件の首謀者

 

 七里岩地下壕 地元の保存会のM山さんに壕内を案内して頂きました。詳細は後日、別途紹介させて頂きます。平成28年6月4日撮影。

 

 

 そして、一昨日の11月26日、群馬県でありながらも隣県栃木との結び付きが強い「両毛」地域に属する太田・舘林方面に出掛けて参りました。その主な訪問先は、次の通りです。

 

3 11月26日:両毛(太田・舘林)研修

(1)熊谷地区郡飛行学校新田分教場跡(新田飛行場)

(2)中島知久平邸

(3)旧中島飛行機地下工場跡

(4)B-29墜落地点

(5)熊谷陸軍飛行学校舘林分教場跡(舘林飛行場)

 

 旧中島飛行機地下工場跡 左のイノシシが当ブログ久々登場の「ねむの会」会長寅市先生、右のクマさんがお馴染みの同副会長織平先生です。お二人の背後の傾斜地に開いた穴が、地下工場の壕口です。平成28年11月26日撮影。

 

 

 記憶が新しいうちに、両毛研修の記事を一気に記事を書き上げたいところですが、無理せず今回はここまでとさせて頂きます。

 

 次回以降、当シリーズでは、両毛研修の詳細を数回に分けて紹介させて頂きます。遠からず、近からず、適度なタイミングで記事を更新させて頂きますので、ご訪問をお待ち申し上げます<(_ _)> 

 

 

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 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。 

 次回は、両毛研修で最初に訪問した
熊谷地区郡飛行学校新田分教場跡(新田飛行場)を紹介させて頂きます。乞うご期待!

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デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十三章 「利害」編

 

 今回は、今年度私が心血を注いで取り組んできたデ・レーケ堰堤クリーン作戦を総括させて頂きます。

 

 当ブログ・当シリーズでこれまで報告させて頂いた通り、私、白髪磨人は、地元で見過ごされがちな土木遺産の現状を憂い、一念発起して今年の元旦に八幡川2号堰堤を単独で清掃。さらに今年4月には正式に「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」を立ち上げ、2号堰堤に続き、4号堰堤と1号堰堤のクリーン作戦を展開して参りました。結論から申し上げれば、当初のねらい通り、荒廃したデ・レーケ堰堤をキレイにすることができ、その点では達成感を味わうことができましたチョキ

 

 活動後の八幡川1号堰堤 活動からおよそ10日後の11月14日に現地に赴いて撮影。堰堤周辺には撤去し切れない土砂がまだたくさん残ってはいるものの、以前とは全く違った、風景が広がっています。将来的には、この場所にデ・レーケ堰堤の説明版を立て、優れた土木遺産として顕彰の気運を高めることが本会の目標です。

 

 

 でも、肝心な点が欠落し、物足りなさも痛感。それはやはり、クリーン作戦の決行に際し、参加者を思うように集められなかったことですしょぼん

 

 できるだけたくさんの参加者を集め、郷土の土木遺産に対する正しい理解を広めていきたいビックリマークそして、私の地元でもある榛名山麓から郷土の大恩人デ・レーケさんを顕彰する気運を高めていきたい!!

 

 そんな想いで、参加者を集めるために色んな手を使いましたひらめき電球

 

 まずは群馬県土木事務所に協力を依頼。本会を群馬県主催の「花と緑のクリーン作戦」を展開する団体として認可して頂きました。その上で、今年後の活動場所を八幡川のデ・レーケ堰堤に定め、活動名を「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」と決定。榛名山麓のデ・レーケ堰堤のメジャー化を目指し、その決行に向けて狼煙を上げました。

 

 また、それと並行して、榛名山麓のデ・レーケ堰堤を宣伝するために、私が所属するG馬地理学会の機関紙「えりあぐんま」に論文を投稿。「高校地理における望ましい防災教育のあり方 ~榛名山麓に現存するデ・レーケ堰堤を事例に~」と題した論文でしたが、単なる研究ノートではなく論説としての掲載に何とかこぎ付け、今年6月に同機関紙が発行されました。

 

 頭でっかちな先生方だらけの団体ですが(毒舌失礼)、社会的な影響力は決して侮れません。正直に言えば、私にとって地理学などは二の次。わざわざ多くの時間と労力を割いて論文を仕上げた最大の理由は、言うまでもなくデ・レーケ堰堤の宣伝でしたにひひ

 

 ここまで本会の活動は順風満帆でした。

 

 でも、今年の春、榛東村役場(以下、「役場」と略します)に赴き、年度末の異動で交代した、いかにも生意気そうな若き担当者に改めて頭を下げた頃から、どこか歯車が狂い始めましたえっ

 

 すでに前年度、榛東村役場の協力を得て、村の広報紙でデ・レーケ及びデ・レーケ堰堤に関する記事を書かせて頂くことは決まっていました。当初は役場のそうした温かい対応に感激。でも、実はこれが大きな失敗の始まりでした・・・

 

 失敗とは、役場の協力に対する過信・盲信でした。担当者が変わった途端、役場の対応も当然ながら変わりました。前例踏襲主義に堕し、いかにも事務的な対応に終始した若き担当者に対し、私は憤慨しながらも平静を装い、常にへりくだった対応に努めて参りました。役場から呼び出されれば仕事を早く切り上げ、急いで馳せ参じました。そう、あの日までは・・・

 

 村の広報紙には2回連載で紙面を割いて頂きました。もちろん、その点については役場には感謝しています。でも、役場の協力はそれだけで、他は全て放任。当日のクリーン作戦に参加者がどれだけ集まろうが「我関せず」といったスタンスに終始しました。今思えば、私の記事は、なかなか埋まらない「地域の情報」の紙面を埋めるための恰好の材料にされた可能性もむかっ

 

 いずれにせよ、読者からの反響は、私の耳には全く届いて参りませんでしたダウン

 

 同じように、役場の許可を取り付け、クリーン作戦の場所や期日などを記したパンフレットを作成し、榛東村内全ての隣保班の回覧板にそれを差し込んで頂きました。こちらには連絡先の電話番号まで載せ、活動への参加を呼び掛けましたが、残念ながら、こちらも不発に終わりましたしょぼん

 

 結局、行政という他力を過信し、依存してしまった結末は最低、最悪のものでしたガーン

 

 9月中旬に予定した1回目は長雨で中止に追い込まれ、まさに泣きっ面に蜂でしたドクロ

 

 地元の郷土史家との連携をはかるなど、初めから他力を排し、臨機応変に自力を発揮していれば、もっとたくさんの参加者を動員できたかもしれません。

 

 他者への依存心に安住した時点で思考停止。「ジタバタしなくても、役場や土木事務所が協力してくれるはずなので、(当日のクリーン作戦は)どうにかなるだろう」などと、自堕落な楽観主義、そして自主性なき空想平和主義にハマり、自ら勝機を手放してしまった私が間違いでした。村の広報紙に精魂込めて記事を書いてみたところで、村民の心は動きませんでした(というか、広報紙自体、あまり読まれていません。残念ながら、世間は私の予想以上に活字離れが進んでいるようですカゼ)。

 

 勝機を活かすも殺すも自分自身の判断次第。日米同盟も同様ですが、他者(アメリカ)に自分(日本)の運命を左右させてはいけませんビックリマーク(日本とアメリカは決して運命共同体ではありません。国益を最優先し、アメリカとは軍事・外交上、適度な距離感を保つことが肝要ですパンチ!

 

 運命とは他力を排し、自力、すなわち自分自身で決めるべきものです!!

 

 とは言うものの、話しは元に戻りますが、この度熱く燃えたぎった私のハートを察して下さった同僚や元同僚、そして身内など、今回のクリーン作戦では延べ人数で14名の方々に協力して頂きました。

 

 そして、結果的に3号堰堤と源流部の2基(十二沢4号堰堤・同5号堰堤)には全く手が付けられなかったものの、1号・2号・4号の3基のデ・レーケ堰堤については、それぞれ外観を蘇生させることに成功。そこで、先日、今回のクリーン作戦の活動報告書を整え、満を持して群馬県渋川土木事務所さんに出掛けて参りました音譜

 

 群馬県渋川合同庁舎(1) 場所は吾妻川の右岸に位置する渋川市金井国町。元の渋川警察署の裏側です。2階に平成28年11月15日に撮影。

 

 群馬県渋川合同庁舎(2) 私がお世話になっている渋川土木事務所さんは、この大きな建物の2階です。

 

 

 なお、渋川土木事務所さんに今回提出させて頂いた活動報告書は「平成28年度花と緑のクリーン作戦活動実績報告書」と「平成28年度花と緑のクリーン作戦活動状況報告書」の2点。それぞれ主な内容は次の通りです。

 

1 平成28年度花と緑のクリーン作戦活動実績報告書

 

(1)団体の名称等

 ○団体名  榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会

 〇代表者住所  群馬県北群馬郡榛東村〇〇〇番地○  

 ○代表者氏名  ◇◇◇◇(白髪磨人の本名)

 〇代表者電話番号  0279-54-△△△△

 〇団体構成員  10名

 

(2)活動実績

  【1回目】 ①活動日:平成28年10月10日

         ②参加人数:6人

         ③活動する市町村名と町名又は大字:榛東村大字新井

          ④県管理の公共施設での活動について

          〇公共施設の名称:八幡川4号堰堤  

           (除草・草刈り:300㎡ 花上・植樹:10㎡)

  【2回目】 ①活動日:平成28年11月3日

         ②参加人数:5人

         ③活動する市町村名と町名又は大字:榛東村大字新井

          ④県管理の公共施設での活動について

          〇公共施設の名称:八幡川1号堰堤  

           (除草・草刈り:200㎡)

  【3回目】 ①活動日:平成28年11月6日

         ②参加人数:3人

         ③活動する市町村名と町名又は大字:榛東村大字新井

          ④県管理の公共施設での活動について

          〇公共施設の名称:八幡川1号堰堤及び同堰堤左岸  

           (除草・草刈り:100㎡ 花上・植樹:100㎡)

  ●3回の活動の延べ人数:14人 

  ●花植え・植樹 花の種類:アジサイ 苗数:40苗

 

 

2 平成28年度花と緑のクリーン作戦活動状況報告書

 

 【活動1回目 写真】

 

 ①活動前

 

 

 ②活動状況

 

 

 ③活動後

 

 【活動2回目 写真】 

 

 ①活動前

 

 

 ②活動状況

 

 

 ③活動後

 

 【活動3回目 写真】 

 

 ①活動前

 

 

 ②活動状況

 

 

 ③活動後

 

 

 上記の活動報告書が正式に認められれば、本会は群馬県から「奨励金」という名目で現金2万円が交付されることになっています。もちろん、2万円が欲しいためにデ・レーケ堰堤を利用しているわけではありませんむっ

 

 そもそも今年度のクリーン作戦で費やした金額は、すでに2万円をはるかに突破。何しろ、夏場からその準備で数々の清掃用具に始まり、虫よけスプレー、虫刺されの薬、大量の飲料、当日参加者に昼食用にお出しした弁当、関係者への謝礼など、とにかく色んなものを買い捲りましたにひひ

 

 なお、これらの報告書の他に、渋川土木事務所さんに今回集めたゴミの回収をお願いする関係で、別途資料を作成。集めたゴミの場所が分かるよう、それぞれ写真にマークを付けたものを担当者にお渡しし、快諾を得ました。感謝<(_ _)>

 

 ゴミの回収がクリーン作戦の最後の仕事になりますが、量が半端ではないため、こればかりは自力、すなわち私個人の力ではどうにもなりません。土木事務所さん、よろしくお願いしますm(__)m

 

 あれっはてなマーク これって、他力本願か!?

 

 自分で言っていることがよく分からなくなって参りましたあせる

 

 

 最後は、苦し紛れに当シリーズお決まりの孫子の言葉で締めくくらせて頂きます。

 

 智者の慮(おもんばかり)は、必ず利害を雑(まじ)う。利に雑うれば、而(すなわ)ち務(つとめ)は信(まこと)なる可(べ)し。害に雑うれば、而ち患(うれ)いは解(と)く可し。 (九変編)

 

【訳】 智将が物事を考え、判断するときは、必ず利と害の両面を合わせて熟考するものである。有利なことにもその不利な面を合わせて考えるから、成し遂げようとすることがその通りに運ぶ。不利なことに対しても、その利点を考えるから心配事は解消し、困難を乗り越えることができる。

 

 

 物事を判断する際、良い面だけを見て、悪い面に目をつむるようではいけません。というか、あえて悪い面に目を向けることで冷静な判断ができるはず。孫子のこの教えは、今年度のクリーン作戦の決行に当たって、役場の見せかけの善意に振り回され、心が傷だらけになり、極度の行政不信に陥った今の私には深く染みて参ります得意げ

 

 

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 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。

 次回の本シリーズは、「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の行方について、代表である私、白髪磨人が
来年度に向けた抱負を交えて、熱く述べさせて頂きます乞うご期待!

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デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十二章 「雷震」編その3

 

 10月10日、そして11月3日に続き、11月6日に今年3回目にして最後のデ・レーケ堰堤クリーン作戦を展開。妻と老母に協力を仰ぎ、キレイにした堰堤周辺に、さらにアジサイ苗を植え付けました。

 

 今回準備したアジサイ苗については、いずれも自宅の庭先で大きく育った親株の子供たち。たまに苗を欲しがる方がおられる関係で、一昨年から夏場に挿し芽をして発根させ、ポットで苗づくりを続けて参りました得意げ

 

 デ・レーケ堰堤の周辺に植え付けたアジサイ苗の一部 1号堰堤・4号堰堤の周辺に全部で40本程植え付けました。もちろん、今回のクリーン作戦の一環です。

 

 

 なお、親株の親株は、私、白髪磨人が榛東村の村民になった頃、村内の農畜産物直売場で確か500円で購入した鉢植えの1本。青々としたお花さん(正確にはガクくん)がとてもキレイだったので、衝動買いをしてしまいました。

 

 それから約20年が経過し、その子孫をこうした形で地域に還元できる日が訪れるとは、当然のことながら、当時は思いもよりませんでした目

 

 わが家のアジサイのお花さん 庭に大きな株が10本程生えています。株によってはお花さんの色が紫色だったりもします合格

 

 

 トレイに収めたアジサイ苗を携え、まずは4号堰堤へ。およそ1か月ぶりの現地訪問でしたが、堰堤正面の石積みに絡まっていた草木はほぼ全て取り除いたため、その迫力は以前とは比べ物にはなりません。とりわけデ・レーケ堰堤最大の特徴ともいうべき天井部分のアーチ構造はクリアになり、今後現地を訪れる方々を喜ばせてくれるはずですニコニコ

 

 八幡川4号堰堤の雄姿(1) 達成感に包まれ、思わず右岸下流側に移動して何枚も写真を撮影してしまいました。この写真はその中の1枚です。平成28年11月6日撮影。以下同じ。

 

 八幡川4号堰堤の雄姿(1) 左岸から堰堤上部を撮影。削り取った草木の下に堆積する土砂を除去できれば最高なのですが、手作業ではそれは厳しいです汗

 

 

 車からトレイを下ろして作業開始。堰堤左岸の説明板の周辺に7、8本程植え付けました。私は専らアジサイの苗床を確保。どれも苗は小さめではありましたが、できる限り深くて大きめの穴を掘りました。

 

 そして、アジサイ苗の植え付けは妻と老母の仕事。とりわけ老母は生来植物の世話をするのが好きなので、それは得意分野。相馬ケ原の山中でとても楽しそうに働いてくれました。感謝<(_ _)>

 

 アジサイ苗植え付けの作業風景(1) 作業中の老母の背後の石積みは、八幡川4号堰堤のものです。

 

 堰堤左岸に植え付けたアジサイ苗(1) 苗が小さいので、苗床が目立つように赤いビニルテープを巻いた棒を地面に刺し込んでおきました。

 

 堰堤左岸に植え付けたアジサイ苗(2) 同上。

 

 堰堤左岸に植え付けたアジサイ苗(3) 苗の間隔はそれぞれ1m程に設定しました。

 

 

 数年後には、アジサイの青いお花さんが4号堰堤をキレイに飾ってくれることでしょう。そんな姿を想像しながら、とても楽しく作業を進めることができましたニコニコ

 

 次に1号堰堤に移動。3日ぶりの訪問となりましたが、やはり見違える程キレイになった姿に改めて感動しました。改めて協力して頂いた皆さんに感謝ですm(_ _)m

 

 八幡川1号堰堤の雄姿(1) 堰堤正面の石積みの全容を目視することができすようになりました目

 

 八幡川1号堰堤の雄姿(2) キレイにした分、石材には4号堰堤のものよりも大きめのものが使われたことがよく分かりますひらめき電球

 

 

 満を持して、当日のメイン作業を開始。それは、堰堤の左岸下流側に設けられたフェンスに沿ってアジサイ苗を列状にたくさん植え付けることでした。

 

 八幡川1号堰堤の左岸下流側(1) この場所が当日のクリーン作戦の中心でした。 

 

 アジサイ苗植え付けの作業風景(2) 嫁と姑のツーショット。2人とも大活躍してくれました。なお、フェンスの左に見える石積みは八幡川1号堰堤のものです。

 

 

 余談ですが、わが家はアホらしい嫁・姑戦争は一切存在しませんにひひ

 

 アジサイ苗植え付けの作業風景(3) 堰堤左岸上部に生えたアジサイの老株を伐採しました。なお、写真左側の舗装道路は村道で、県有地との境界をなしています。

 

 堰堤左岸下流側に植え付けたアジサイ苗(1) やはり苗が小さいため、4号堰堤のそれと同様、赤いビニルテープを巻いた棒を苗の隣に刺し込んでおきました。

 

 堰堤左岸下流側に植え付けたアジサイ苗(2) 傾斜地のため、土砂流出を警戒し、それぞれ苗床の下方に石を積み上げ、連続する砂防堰堤のような形に整えました。

 

 

 フェンスに沿って植え付けた苗の本数は合計22,23本程。それら全ての根が活着すれば、やはり数年後にはたくさんの青いお花さんが1号堰堤を飾ってくれるはずです音譜

 

 さらに、陽当たりの良い上流側の土手にもアジサイ苗を7,8本程植え付けました。

 

 堰堤左岸上流側に植え付けたアジサイ苗(1) ここでも苗床に赤いビニルテープで目印を付けて置きました。

 

 堰堤左岸上流側に植え付けたアジサイ苗(2) 傾斜地で陽当たりが良いため、根の活着は難しいかもしれません。

 

 

 今回植え付けたアジサイ苗は合計40本程。先述させて頂いた通り、全て私の自宅に咲く親株の子供たちです。私は「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の代表として、あれほど荒れていた八幡川のデ・レーケ堰堤が近い将来、色鮮やかなアジサイのお花さんで飾られる日が訪れることを本気で願っていますニコニコ

 

 天国のデ・レーケさんにこの想いを伝えたい・・・ 合掌

 

 でも、油断は禁物。デ・レーケ堰堤にキレイなお花さんを咲かせるためには、まだまだやるべき仕事が残っています。まずは苗床の乾燥を防ぎ、必要に応じて水やりも行わなければいけません。そもそも植え付けた時期が時期ですから、根の活着は難しいかも?

 

 しばらくの間、こまめに現地に足を運び、苗の様子を観察して参ります(=_=)

 

 読者の皆さんも、八幡川のデ・レーケ堰堤を傍らで育つ、幼い幼いアジサイ苗を温かく見守って頂ければ幸いです。よろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

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 次回の本シリーズは、今年本格的に取り組んだ「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」の総括です
乞うご期待!

 

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 デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十二章 「雷震」編その2

 

 かつては「明治節」と呼ばれた祝日「文化の日」の昨日、朝から透き通るような青空の下、予定通り、第2回「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」を決行。4号堰堤を清掃した前回に続き、今回は八幡川に現存するデ・レーケ堰堤のうち、最も下流側に位置する1号堰堤を清掃させて頂きました。

 

 八幡川1号堰堤の所在地 「桃泉」集落を北西-南東方向に貫く開拓道路とほぼ並行して流下する八幡川に現存するデ・レーケ堰堤のうち、最も下流側にあります。なお、掲載地図の無断転用は禁止します。

 

 

 今回も、私が代表を務める「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の活動実績を当ブログで世間一般に公開させて頂くことで、デ・レーケ堰堤のさらなるメジャー化をはかりたいと思います。

 

 それでは、活動前の1号堰堤の姿を主に写真で紹介させて頂きます。以下の3枚の写真は、3年前に当地で撮影したものです目

 

 1号堰堤に限らず、3年前のデ・レーケ堰堤はどれも草木に覆われ、ゴミだらけでしたガーン なお、見るも無残な姿に強い疑問を感じた私は、その頃、当ブログですでにデ・レーケ堰堤の保護を強調させて頂きました(参照:わが村でデ・レーケさんの遺産を発見!(4) )。

 

 3年前の八幡川1号堰堤(1) 草木や土砂に激しく覆われ、巨石堰堤の全容を容易に目視することができる状態ではありませんでしたドクロ 平成25年12月9日撮影。以下同じ。

 

 3年前の八幡川1号堰堤(2) 堰堤本体の上部。色んなゴミが入り混じった大量の土砂がその先端にせり出す様相を撮影しました。

 

 3年前の八幡川1号堰堤(3) 八幡川左岸における村道と河川区域の境。3年前、大雨の影響で当所は崩壊し、土砂がこのように流されました叫び

 

 

 この痛々しい姿に危機感を抱き、土木遺産としてのデ・レーケ堰堤の価値を世に広く宣伝し、何とか保護していかなければならないと痛感。でも、そのためには、何をどうするべきなのか?

 

 何度も自問自答を繰り返したものの、一介の高校地理・歴史科教師に過ぎない私には、その明確な答えが全く見付かりませんでしたしょぼん そして、ダラダラと月日が流れました・・・

 

 そして、昨年の秋、しんとう温泉に出掛けた際、何かの拍子に、2年前に当地で目撃した1号堰堤左岸の崩壊現場(上掲写真)のことがふと気になり、湯上りに現地へふらっと出掛けました。すると、幸いにも崩壊現場は復旧工事が施され、運び込まれた土砂で平らかに整地されていましたひらめき電球

 

 昨年秋の八幡川1号堰堤(1) 相変わらず、石積みは草木や土砂で覆われていました。平成27年10月10日撮影。以下同じ。

 

 昨年秋の八幡川1号堰堤(2) 2年前に崩れた境界部は土砂で埋められ、平らかに修繕されていました。群馬県渋川土木事務所さんに感謝ですm(_ _)m

 

 

 左岸側完全崩壊の危機に瀕した1号堰堤。行政に助けられたものの、あちこちで多発するゲリラ豪雨の脅威にどれだけ耐えうるかはてなマーク

 

 最悪の場合、河道から溢れ出た激流が堰堤を外側から侵食し、結果として石積み部分だけが流路から取り残されてしまうことも!?

 

 それだけは何としてでも阻止しなければ!!

 

 そして、そんな決意を固めてから1年が経過した昨日、満を持して1号堰堤のクリーン作戦を展開。参加して頂いたのは決して大人数ではありませんでしたが、それでも大きな力になって頂きましたニコニコ とりわけ、屈強な兄貴のパワフルな仕事ぶりには、前回と同様、目を見張るものがありました。おそるべしわが兄貴クラッカーそして感謝<(_ _)>

 

 活動前の八幡川1号堰堤 活動当日、早朝に一人で下見した際に撮影。堰堤本体はこのように草木に覆われ、辺りにはゴミも散乱し、貴重な土木遺産と呼ぶには相応しくない有様でしたショック!

 

 活動の様子(1) 屈強なわが兄貴がまずは堰堤右岸の草木を派手に削ってくれました。私にとって最も頼りになる、ありがたい存在です音譜 平成28年11月3日撮影。以下同じ。

 

 活動の様子(2) 今度は堰堤本体の正面を覆う草木をやっつけてくれました。なお、もちろん、この私も頑張りましたチョキ

 

 活動の様子(3) 堰堤左岸では3名の女性たちが協力し、伸び切ったアジサイを伐採して頂きました、感謝ですm(_ _)m

 

 

 参加して頂いた皆さんのご尽力のおかげで、1号堰堤は見違えるほどキレイになりました。今回も充実したクリーン作戦を展開することができ、私は大満足ですヽ(^。^)ノ

 

 活動後の八幡川1号堰堤(1) まさに論より証拠。ご覧の通りですチョキ なお、手前の小山は堰堤からはぎ取った草木、そしてかき集めたゴミですにひひ

 

 活動後の八幡川1号堰堤(2) 石積みの正面は、地中に埋まっている部分を除き、ほぼ往時の姿を完全に復元することができました得意げ

 

  活動後の八幡川1号堰堤(3) 堰堤上部もかなりサッパリしました。これも全て屈強なわが兄貴のおかげです。感謝<(_ _)>

 

 

 活動途中、草削り機を操る屈強なわが兄貴が大きな声を上げました。

 

 屈強な兄貴「おいっ、これって、(デ・レーケ堰堤の)石垣じゃね?」

 

 堰堤本体の右岸側で頑張る兄貴に振り向いたところ、そこには・・・

 

 私(白髪磨人)「オーッ!それ、本物だぜ。スゲーなーッ」

 

 堰堤本体を懸命に清掃した結果、築堤当時の右岸側上部の石組みが出現。思わず興奮アップ

その瞬間、私は底知れぬ達成感に包まれました。この活動を立ち上げて、ホント良かった」と。 

 

 いずれにせよ、昨日は天候にもパートナーにも恵まれ、「文化の日」に相応しい、文化の薫り高きボランティア活動を行うことができました。何度も繰り返しますが、前回も含め、当活動に参加して頂いた皆さんに感謝ですニコニコ この場をお借り致しまして、改めてお礼申し上げます。

 

 ありがとうございましたm(_ _)m

 

 次回のクリーン作戦は明後日に行う予定です。その模様につきましても当ブログで報告させて頂きます、前回、そして今回キレイにした4号堰堤と1号堰堤を花で飾るため、左岸にアジサイ苗を植え付けようと企んでおります。また頑張りますニコニコ

 

 

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 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。

 次回の本シリーズは、前述させて頂いた通り、明後日に
予定している当作戦第三弾について、当時の様子を報告させて頂きます乞うご期待!

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テーマ:
デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十二章 「雷震」編その1

其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しずか)なること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。 (軍争篇)

【訳】 動きは疾風が吹くように敏速でなければならないし、待機すべき時は林のように静まり、いざ敵に侵攻する時は火が燃えるように一気に奪い去り、動かないと決めた時には山のように堂々として決して動いてはならず、影のように実態を表に見せないことで敵に味方の情報を与えず、動く時には雷のように突如として機動しなければならない。


 平成28年10月10日。連日降り続いた雨がようやく上がりました。早起きして西の空を見上げたところ、澄み切った青空に映える榛名山がとても見事でした

 そして、爽やかな秋風も吹き始めた絶好の天候の下で、予定通り「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」を決行。私にとって長い間の懸案であった八幡川4号堰堤を何とかキレイにすることができました。
 
 現地での清掃活動はのべ2時間弱。八幡川上流の山中で、ご参集頂いた有志の皆さんと貴重な時間を過ごすことができました。この場をお借り致しまして、当日協力して頂いた皆さんに厚く厚く御礼申し上げます。ありがとうございましたm(_ _)m
 

 当日早朝の榛名山 10月に入ってからも連日降り続いた雨が上がり、爽やかな朝を迎えることができました。稲穂が榛名山に代わって私におじぎをしてくれました。平成28年10月10日午前6時1分撮影。  


 さて、今回はもちろん、「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の現地での清掃活動としては記念すべき初陣となった「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」について、当日の様子を紹介させて頂きます。

 まずは堰堤の正面側から。

 色々な道具を使って、石積みの隙間に詰まった草や土砂、そして木の根などを搔き落としました


 清掃前の4号堰堤正面部分 石積みがはっきりと目視できるのは堰堤の中央部分だけでした。平成28年9月10日撮影。


 清掃後の4号堰堤正面部分
  上の写真と見比べてください。平成28年10月10日撮影。
 

 作業中の様子(1) 今回ご協力頂いた有志の皆さんです。平成28年10月10日撮影。  


 なお、ご参集頂いた皆さんに対し、作業中の安全確保について再三注意を呼び掛けていた私でしたが、作業中の様子を写真撮影(上掲写真)するために下流側に移動したところ、左足を乗せた河床の石が崩れ、体のバランスを失って大転倒。額を激しく大きな石に叩き付けたほか、左足の脛にも擦過傷を負い、左手の親指も打撲。安全管理を司るべき代表の面目丸つぶれでした

 擦過傷は軽く済みましたが、親指が痛い・・・

 でも、ここで代表がリタイヤするわけには参りません

 気合を入れ直して平静を装い、浅鍬の柄を握りしめて作業を続行

 次に紹介させて頂くのは堰堤上部。同所をキレイにするのは並大抵のことではありませんが、剛力で器用な私の兄貴が専用のマシンを持参し、繁茂した草木を一気に削り取ってくれました。感謝<(_ _)>

 


 清掃前の4号堰堤上方
 堰堤左岸上部から見た4号堰堤。草木の隙間から堰堤正面の石積みがわずかに顔を覗かせる程度で、何が何だか分からない状態です。平成28年9月10日撮影。 
 

 清掃後の4号堰堤上方 
マシンで削り取った草木をさらに他の場所に移しました。堆積した土砂は半端な量ではなかったため、今回はそのままにしておきました。平成28年10月10日撮影。


 作業中の様子(2) 
マシンで削り取った草木を熊手や浅鍬などで掻き集めているところです。平成28年10月10日撮影。


 話は戻りますが、当日は予定通り、榛東村役場駐車場に午前8時半集合。今回の清掃場所である八幡川4号堰堤に向かう前に1号堰堤と2号堰堤を訪ね、デ・レーケ堰堤のイロハについて、作成した資料をもとに軽く説明をさせて頂きました。

 また、清掃活動が終了した後、はるばる太田市から来られた学生時代の恩師に八幡川及び自害沢のデ・レーケ堰堤を案内させて頂きました。自然地理学がご専門の先生は、持参したメジャーで堰堤に使われた石のサイズのほか、堰堤本体の高さや幅などを行く先々で熱心に何度も何度も計っておられました。

 すばらしい というか、カッコい~

 地理学徒としてあるべき姿勢を示された先生のお姿に敬服。同時に、現地・現物観察至上主義を掲げながらも、実際には既存の資料に依存しがちな自分の至らなさを深く反省しました 

 次回は11月3日。場所は同じく八幡川の1号堰堤です。そして、中止に追い込まれた9月18日の第1回の代替として、別途土曜日(候補は10月29日または11月5日)に今年キレイにした八幡川の2・4号堰堤、そしてこれからキレイにする1号堰堤の3基について、その周辺にアジサイの苗を植え込む活動を検討しています。

 課題は人集め。危機感を抱き、直前に近隣集落にのお宅訪問を展開させて頂きましたが、その効果は今回に限っては全くみられませんでした

 でも、たとえ小人数であっても、当作戦はブレずに貫徹するのみ。まだまだ至らぬ点が多々ありますが、今後も「雷震」のごとく持ち前の機動力を発揮し、作戦を成功に導いて参ります。

 今後とも当ブログの読者の皆さんのご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます<(_ _)>


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 今回は
以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。

 次回の本シリーズは、11月3日に予定されている当作戦第二弾の様子について報告させて頂きます乞うご期待!
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テーマ:
デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十一章 「拙速・巧久」編その3

 前回、当ブログの当シリーズでは、「榛東村12区ご在住の皆様へ」と題して、八幡川のデ・レーケ堰堤に至近の桃泉集落の公会堂の掲示板に貼って頂くために作成した、当会主催のデ・レーケ堰堤クリーン作戦の活動場所を記した案内を紹介させて頂きました。その直後、おかしな胸騒ぎを覚えたので、現地に出掛けて参りました

 「どんな形で貼って頂いたのかな?まさか、まだ貼っていなかったりして・・・それはないか!?」

 そして、現地に到着。正面入口の右脇に立つ掲示板を見上げたところ・・・

 「あれあれ?まだ貼ってネ~じゃネーか!」

 悪い予想は当たりやすいもので、見事に『まさか、まだ・・・』が的中してしまいました

 村役場の職員さんが区長さんに掲示をお願いしてくれたはず。ひょっとして区長さんの段階で話がストップしているのかも?

 なお、案内を作成し、村役場に持参したのは先月中旬。つまり、もう1か月近く経過。それなのに・・・

 でも、いくら悔んでいても物事は前に進まないので、他力を捨て自力にシフトチェンジ!持ち前の機動力を発揮することにしました。「持ち前の機動力」とは、学生時代に地理学教室で鍛え上げたフィールドワーク、とりわけ聴き取り調査のことです

 一昨日の午後、職場に休暇を頂き、当作戦について案内させて頂くために用意した資料一式と名刺を持参して桃泉集落へ。そして、小雨の中、一軒すつお宅訪問し、住民の皆さんに直接声を掛けさせて頂きました。


 小雨に濡れる榛東村12区「桃泉」集落 八幡川は開拓道路の南側に、ほぼ並行して流れています。平成28年10月5日撮影。
 

 12区のお宅訪問で配布させて頂いた資料
 ①「榛東村12区ご在住の皆さんへ 八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦の実施について」と題して、当活動の主旨を記した資料をメインに、②清掃場所の案内(参照:デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十一章 「拙速・巧久」編その2 )、③清掃ボランティア募集広告(参照:デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第五章 「激水」編:その2)、④J毛新聞「ひろば」投稿記事の抜粋(参照:わが村でデ・レーケさんの遺産を発見!(1))、⑤・⑥「広報しんとう」7・8月号に掲載された執筆部分の抜粋(参照:デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第八章 「虚実」編デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第九章 「金鼓・旌旗」編その5)を添付させて頂きました。


 3時間半でのべ20軒程訪問させて頂きました。その結果、地元でありながら、八幡川のデ・レーケ堰堤を知らない方が少なくないことが判明。その由来等を正しく理解している方は、失礼ですが、やはり皆無でした。

 また、私が執筆した「広報しんとう」の記事はおろか、回覧板に差し込んだパンフレットについても、ほどんどの人が全く見ていないことが判明   今の時代、活字離れが進んでいるとはいえ、極端すぎる現状に愕然としました。あれだけ気持ちを込め、丁寧に書き上げた文面なのに・・・

 それでも、突然の訪問に対して、家事や仕事の手を休め、丁寧に対応して下さった12区の住民の皆さんに感謝です。この場をお借り致しまして厚くお礼申し上げますm(_ _)m

 話は戻りますが、この度、当作戦の挙行に当たって協力を期待していた私をあっさり見放し、勝手に約束を反故にした村役場の職員さんに対し、激しい怒りが込み上げて参りました  そこで本日、役場に電話を入れ、1か月近く経過しても掲示されない理由を確認。すると、実に煮え切らない返事が帰って参りました。

 要するに、「必ず掲示する」と約束したわけではないそうです

 まるで他人事 公僕の自覚が全くありません。というか、こちらは完全にクレーマー扱いをされてしまう羽目に

 お世話になっている立場ですから、今まで多少の不具合にはガマンを重ねて参りましたが、最後の最後でその対応の悪さにはホトホト呆れました

 現在、村長への通報も検討中。いずれにせよ、最後は住民を見捨て、保身に走る行政の本質がよく分かりました  そもそも無力、無責任な行政に過度な期待を寄せた私が間違いでした。

 やはり、私が一番信じなければいけないのは私自身。融通の聴かない行政の小役人など、初めから相手にしなければよかった・・・

 さて、デ・レーケ堰堤クリーン作戦が3日後に迫って参りました。つきましては、当ブログの読者の皆さんにも参加して頂ければ幸いです。予約なしの当日参加も喜んで受付けますので、奮ってご参加ください。ボランティア終了後、ご希望であれば、八幡川だけではなく、他の河谷に築かれたデ・レーケ堰堤についても現地に案内させて頂きます(参照:デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十章 「嬰子・愛子」編その3 )。この先二度と訪れることのないチャンスをぜひ活かしてください 

 今後とも引き続き、当会、「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の活動へのご支援、ご協力の程、よろしくお願いしますm(_ _)m、
 
 
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 今回は
以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。激怒のあまり、記事がつい辛口になってしまいましたが、何卒お許しください<(_ _)>

 次回の本シリーズは、いよいよ当作戦(10/10)の活動状況を報告させて頂きます乞うご期待!
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テーマ:
デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十一章 「拙速・巧久」編その2

 9月の長雨のため、残念ながら挙行中止に追い込まれてしまった第1回「八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦」 すると今度は、台風18号が日本列島に接近中。泣きっ面に蜂とは、まさにこのことか

 でも、次回は来週10日の月曜日ですから、さすがにその影響は受けないとは思いますが、どうなることやら・・・

 さて、前回当ブログでご案内させて頂いた通り、当作戦を決行するに当たって、最大の難関はやはり参加者を集めることです。その難しさにつきましては予め理解し、自分なりに動いてきたのですが、未だに確かな手応えはつかみ切れず、困惑した状態が続いています

 活動母体が整っていないなかでボランティアへの参加者を集めるのは、想像以上に厳しいもののようです

 やはり人の心を動かすのは難しい・・・

 そこで、先日、再び榛東村役場総務課を訪問。今回の活動場所が含まれる12区(桃泉集落)の住民の皆さんに対して参加を呼び掛けるため、同地区の公会堂前に立つ掲示板に当作戦の案内を掲示して頂くことにしました。

 その内容は次の通りです。

  
 
 なお、総務課の職員さんを通して、当地区の区長さんに公会堂への掲示を依頼することになっています(もう貼って頂けたかな?)。

 もちろん、当ブログの読者の皆さんにも参加して頂ければ幸いです。予約なしの当日参加でもOKです。ボランティア終了後、八幡川のものを含め、他の場所に築かれたデ・レーケ堰堤についても詳しく紹介させて頂きますので、ぜひ奮ってご参加ください

 今後とも当会、「榛名山麓のデ・レーケ堰堤を見守る会」の活動へのご支援、ご協力をお願いしますm(_ _)m、
 
 
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 今回は
以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。

 次回の本シリーズは、当作戦(10/10)の行方について報告させて頂きます乞うご期待!

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テーマ:
デ・レーケ堰堤クリーン作戦:第十一章 「拙速・巧久」編その1

 弱い雨ならば作戦の決行もありえたのですが・・・

 わが榛東村では、今なお昨日の夕刻から降り始めた雨が強弱を繰り返し、天候の回復が全く見込まれません。順延を予定した明日、たとえ雨が上がったとしても、もとより足場の悪い山中ですから、作業にはさらなる危険を伴います

 そのため、とても残念ではありますが、身内とも相談の上、私は主催側の代表として第1回八幡川のデ・レーケ堰堤クリーン作戦の中止を決断させて頂きました。

 どんなに気合を入れて準備を整えたとしても、やはり天候には勝てない・・・
 
 さて、私は今朝方、榛東村役場に出掛け、当作戦への参加者が集まっておられないことを一応確認した上で、現地に清掃用具一式を運び込んだ昨日に続き、八幡川4号堰堤に出掛けて参りました。


 八幡川4号堰堤へと続く林道 4号堰堤は林道の突き当りにあります。同堰堤の向こう側、すなわち八幡川の右岸側は陸上自衛隊相馬ケ原演習場です。撮影日は平成28年9月18日。以下の掲載写真も同じ。 


 雨に濡れる4号堰堤 強い雨が降り続いていましたが、八幡川に水流は見られませんでした。 


 4号堰堤の左岸に立つ案内板 昨日、案内板の軒下に清掃用具一式 を搬入させて頂きましたが・・・
   

 現地に持ち込んだ清掃用具
 昨日現地に清掃用具一式を運び込み、案内板の屋根の下に置かせて頂きました。でも、中止に伴い、本日撤去しました

 
 そもそも今日、予定通りに作戦が決行できたとしても、参加者はおそらく身内ばかりで、ごくわずかな人数での寂しい活動に終始したはず。榛名山麓に現存するデ・レーケ堰堤のメジャー化を目論む私にとって、それは厳しい現実そのものです

 そう考えた場合、今日の雨はかえって恵みの雨だったのかも?

 いずれにせよ、今回の雨天中止を前向きに受け止め、作戦を練り直さなければ!

 最後に、本シリーズ定番の孫子の言葉をお送りします


 兵は拙速を聞くも、未だ巧久(こうきゅう)なる睹(み)ざるなり。
 (作戦篇)

 【訳】 戦争には多少拙い点があったとしても、速やかに事を進めて勝利したという成功事例はあるが、完璧を期して長引かせた結果の成功事例はない。


 
戦争に勝つためには、「拙速」、すなわち拙い作戦であっても、それを素早く繰り出し、相手を制圧する勢いを持続させることが大切。たとえ作戦に不備があって失敗したとしても、決行が早かった分だけ敵軍に対するアドバンテージがあるはずなので、その都度作戦を練り直し、挽回することができる。裏返せば、「巧久」、すなわち作戦準備に時間をかけ過ぎると、万が一失敗した場合に取り返しが付かず、結果として勝機を自ら手放すことになりかねない・・・

 上記の孫子の言葉は、そうした極めて実戦的な内容を含む教えだと解釈できます。これから当会のクリーン作戦を仕切り直す私ですが、「巧久」よりも「拙速」を第一に掲げ、多少肩の力を抜き、おおらかな気持ちで事に臨もうと思います。

 早速ですが、次回(第2回)は10月10日(月)に実施を予定しておりますが、活動場所につきましては1号堰堤ではなく、4号堰堤に変更させて頂きます。なお、第3回の活動場所は当初の予定通り、1号堰堤となります。

 当ブログの読者の皆さん、引き続きご支援を頂ければ幸いです<(_ _)>


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 次回の本シリーズは、当作戦(10/10)の行方について報告させて頂きます乞うご期待!

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