心法書道の慧竹です。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

 

一般的にどんなことにおいても、経験があるに越したことがないと思うのが常識です。どんなことも経験することによって、やっとその世界への第一歩を歩むことになるのですから。

 

しかしながら、心法書道の学び方において、未経験だということが実は有利に働くことがあります。

 

このブログでは何度もご紹介していますが、留学時代、書とじっくりと向き合い、その書き手がいかなる人物か想像し、その人物を構成する要素を感じ取ることが何より大切だと師から教わりました。

そのために、なるべく素直な感覚でいられるよう意識して日々生活していたわけですが、ある日、愕然とする体験をしたのです。

 

「今日は、彼女も一緒にやることになったから」と、ある日、先生は年齢不詳のソプラノ歌手を連れてきました。歌手?ふーんと思ったのもつかの間、イメージトレーニングが始まりました。書を見て人物を想像する訓練です。

 

彼女はある書を見て、「彼はストレスの多い仕事をしている。偉い人のそばでお世話をしたり、調整する仕事で、家に帰ってからいつも怒っている。ひげを生やし白い服を着ている」と言い放ちました。

 

ん???

私の頭の上に大きなクエスチョンが、ほにょほhにょほにょと浮かぶ、まるで漫画です。

 

彼女は、書道の経験など全くないど素人でした。彼のことももちろん知りません。彼とは誰だったのか、はっきり憶えていませんが、おそらく顔真卿だったと思います。

それについての先生の反応は「全くその通り」。

 

このワークにおいては、書の知識や技術など、なんの役にもたたない、むしろ門外漢のほうがいいのか?!と頭を殴られたような思いでした。

なんら予備知識がないほうが、感じ取れる能力が優位になり、いやいや待てよ、そんなわけないよな、とかチャチャを入れる左脳が働かないということでしょうか。

 

つまり無垢な状態で感じ取れるものが、実は真実に近いのではないか。

だとすると、皮肉ですね、学べば学ぶほど、真実を見る目が曇ることに。。。

 

しかし、知ってしまったものは、知らないことにはできません。

頭でっかちにならず、いつもなんにでも素直な感覚で向き合えるようにするにはどうすればいいのか、先生はいつも「心を開きなさい」と言っていました。

 

先生の指導はそれまで私が全く経験したことがないものでした。

私が書いた書を見て、「とめはこうしろ、はらいはもっとこう」などと書き方を指摘されたことがないのです。

 

「もっと気持ちを明るく」とか、「何か悩みがあるのかな」とか、書をみて私の心の状態をおもんばかるばかり。先生は私の書を見て、いつも私の心の状態を見ていました。

 

つまり先生は、書を通して、心を開く訓練をさせていたのかもしれません。

 

 

しんやま親水広場 黒目川のソメイヨシノ

 

via 心法書道
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