一陽来復

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江戸の元禄年間から穴八幡宮だけに伝来するといわれている一陽来復御守。去る冬至の日、友人がすごい混雑の中、並んでGETして送ってくれました❗️
感激✨(((o(*゚▽゚*)o)))✨ありがとう
大晦日に申酉の方向に向かって御祭します。
それにしても、一陽来復の『一』、立派だ。これから増してくる陽の気のイメージにぴったりです(^-^)
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忘年会

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易気学の今年最後の授業でした。中国の漢字には、奥深い意味を貯蔵しています。昨日は、十干十二支の十干について、漢字学を踏まえた上での解説、すごく面白かったな(^-^)
易と気学は自転車の両輪みたいなもの、当然易が先にできたので柱になりますが、気学とどう関連して発展してきたのか、中国が万物の法則をどう捉えてきたのか、十干の意味を知ることで垣間見ることができました。面白い!
授業の中で、ポロっと出た先生のお話、『自分が欲しくて買ったものはどうでもいいんです。人からいただいたものは大事にしなくてはいけません。自分の運気が悪い時に、何かをいただくということはあまりないものです。自分の気持ちがいつもいい運気にのれるよう、爽やかにしておくことが大切です。』
今年もまた一年、ありがとうございました。
忘年会では、同じクラスのSさんの粋な計らいで福引きがあり、パワーストーンをいただきました。さっそくいただきもの、大事にしよーっと( ´ ▽ ` )ノ
そして、Sさん曰く、パワーストーンは自分がえらんでいるようで、実は石に選ばれているとか。
手にしたものが、今の自分に必要なパワーを与えてくれるそうです。
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先日、友人にすすめられて買おうと思ったら、主人の蔵書にあり止まらず一気読みでした。

『生物と無生物のあいだ』は、2007年初版の本ですが、王様のブランチで蒼井優さんが一押しの本として紹介したらしく、先月また話題になっていたとか。


この中の章で、とても注目するところがあり、たまには真面目に考えてみることにしました。


DNAの構造解析に貢献した一流の生物学者たちが、一様にインスピレーションを受けたといわれたのが、量子力学の先駆者エルヴィン・シュレーディンガー著の『生命とは何か』という著書、この著書が書かれた当時、遺伝子についてまだ物質レベルではわかっていることはわずかであったにもかかわらず、「生命現象は最終的にはことごとく物理学あるいは化学の言葉で説明しうる」と著者であるシュレーディンガーが予言した。彼の予言に生物学者たちは鼓舞されたという。


中国の恩師は、審美の快感、つまり、人が美しいものを見て気分が良くなるその仕組みは、物理学と生物学的意味において説明できるという。

シュレーディンガーの予言に、恩師の話がリンクした。


シュレーディンガーはさらにこういう。( )書き以外、本より抜粋

「生きている生命は絶えずエントロピー(ランダムさ、つまり無秩序のことを意味する)を増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを“食べる”ことによって生きている。」


この部分、恩師の書における臨書の考え方とも符合する。

書を学ぶ目的は、人間形成、素晴らしい書を真似ることによって、書き手の情報を自分に取り入れること。臨書とは、つまりはそのための行為だと教えられた。


ここで、素晴らしい書とはどういうことか、その定義が必要、何を以て素晴らしいといえるのか。


これについて説明するには、陰陽の法則、つまりはバランス、調和のとれた書であること、様々な要素の陰陽のバランス、またそのスケールの大きさによって、素晴らしい境地のものかどうか判断でき、そして大切なポイントは、秩序があるということ。


臨書とは、そういった意味で素晴らしい手本を、よく観察して書くことで、その秩序を取り入れるということがその目的である。

書には、書き手の脳に刻み込まれた独自のバランスによる秩序が反映されている。自分が好きな書を何度も繰り返し真似て書き、無意識でそれを再現できるようになれれば、自分の無秩序な部分を共鳴できる秩序あるものに近づけることができたといえるはずだ。


シュレーディンガーは、人の秩序を維持するためには、複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った食物が有効だと言っているが、『生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一氏はこれを誤りだと主張する。なぜなら、せっかくの有機高分子の食物を咀嚼と消化によってその秩序をことごとく分解し、生物はようやく吸収する、つまり吸収する段階では、それがもともと高分子かどうかの必要性があるとは言えず、その食物の秩序、構成していた情報や構造は、自分自身にとっては他の生物の情報だったものであり、必要のないノイズでしかないからだ、というのだ。


『生物と無生物のあいだ』では、それ以降シュレーディンガーが生物学において、それらの主張すべてが当たらずとも言い当てていること部分もあったという流れになっているが、私はこの部分に留まって考えたい。


恩師の定義する素晴らしい書=様々な要素を持ちその陰陽のバランスが取れ、そのスケールが大きく、かつ全体に置いて秩序がある書


シュレーディンガーの定義する秩序を取り入れるための食物=複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った食物


「臨書と食べること」において、その目的は共通している。

素晴らしい書を取り入れて自らの内面を秩序だった方向へ向かわせることと、秩序ある食物を取り入れて、体内のバランスを秩序だったものに修正していく、全く同じ論理だと感じる。


臨書の意味において、シュレーディンガーの理論は私にとってはぴったりくるのだが、福岡氏の見解を臨書に当てはめるとすると、何ももともと素晴らしい書を臨書する必要はない、ひとつの文字を細部にどんどん分解して、それらすべての要素をそれぞれきっちりマスターすれば、それらで構成される文字は整ったものになるのではないか。


臨書という行為は、実際それぞれの細部をこと細かく観察する。

試しに書いてみよう。「一」という一画ですら、こんな感じだ。


筆に含ませる墨の量は?筆の入り方の角度は?次に進む角度と進度は?進行中の筆先の方向は?収筆部分に向かって徐々に移動する筆先の方向は?とめの部分に到達したとき筆を一度上げて向きを変えるがその筆先の方向は?筆を落とし書き終える時、どの程度の力なのか?

観察できないと再現はできない。いかに細部にまで観察力が及ぶか、臨書においてそれが命である。

だから恩師こういう、「書くより観察が大事である」と。

つまり、一文字を再現する臨書という行為も、結局は細部の構築の積み重ねである。


人は、食事をするとき、咀嚼と消化によって体全体でその細部にまで向き合う。体内に吸収されるまで、こと細かく吟味するのだ。細分化して細分化してようやく自分のものになる。そう考えると臨書とやはりかわりがない。


「臨書と食べること」についてそのプロセスは共通している。

どちらも体内に取り入れるためには、細分化する必要がある、非常に似た自然の流れだと思う。


じゃあ、最初から低分子のものを食べればいいじゃないか。

じゃあ、最初から部分部分だけ練習すればいいじゃないか。


つまり、摂取する食物は、美味しくなくてもいいじゃないか。

つまり、臨書する書は、美しくなくてもいいじゃないか。


理屈ではいいのかもしれない。

しかし、それらは、美味しいもの、美しいものと比べて何が違うのか。


気分だ。

咀嚼する時に、そこに喜びや感動があるかどうか。


そう、恩師のいう、審美の快感だ。

書においては、美しくないと、それを観察して再現できても、感動がない。

食においては、美味しくないと、喜びがない。


師いわく、「審美の快感」とは、「人が調和のとれた美を見た時、それは調和のとれた周波数スペクトルとなって、体内の何億もの細胞が完全に濾過される瞬間の感覚」であり、そして「その瞬間、細胞は調和のとれた状態に修正される」という。

美味しい!と感じることは、それが食における審美の快感である。


目的もプロセスも共通しているこの二つの行為、「臨書と食べること」。

結論、私は、どちらも複雑で高度に完成されたものが、人の内面の秩序維持に有効だと考える。


ここの部分では、福岡氏の見解に異を唱えた形になってしまったが、もしかすると、読み込みが浅くて見解の理解が及んでいないのかもしれない。

そうだとすれば、恥ずかしい限りで著者にも申し訳ないが、深く考える機会を与えてくれて感謝したいと思う。


科学者の本、難しいものは、開いただけで瞬時に閉じてしまう、笑。

読破できるものが少ない中、福岡氏の著書はとてもわかりやすく、そして文章もとても面白かった。


というわけで、続けて「動的平衡」も読み終えました。次は「動的平衡2」。










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赤毛のアン展

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静岡、松坂屋で開催中の赤毛のアン展に行ってきました。目的は、村岡花子さんの筆跡拝見。
白蓮との出会いを果たした女学校を卒業後、地元山梨で教師をしていた頃の筆跡がありました、まだお若い頃ですね。

この頃の筆跡からは、若さとまた教師という職業もあるのでしょう、融通を効かせるというより、真面目で意外と自分のやり方に忠実なスタンスがよみとれました。

しかし、その一方、さすがといわんばかりの豊かな想像力を表す特徴が顕著でした。

花子さんは、その後教師をやめ、東京に出て編集者になり、村岡さんと出会います。

村岡さんとのラブレターのやりとり、どちらの筆跡も飾られてました。
本人が知ったらかなり恥ずかしいでしょうが、いいですね、情緒があって、こういうの(^-^)今、若い人たちはラブレターなんて書くのだろうか。

村岡さんの筆跡からは実直な人柄が、そしてこの頃の花子さんの筆跡からは、若い頃には見られない大物相が現れています。

文字のへんとつくりが、気持ちよく開いています。これは、人としての包容力、器の大きさが表れるといわれます。

周りの情報や新しいやり方を取り入れる精神、自分に舞い降りてくる様々な出来事を受け入れつつ、包括的に解決しようという前向きな姿勢の表れです。

その後、村岡さんと結ばれ授かった息子を亡くすも、翻訳家として日本と外国との架け橋となり、子供たちの教育に邁進した村岡花子さん、その貴重な筆跡が拝見できて良かったです( ´ ▽ ` )ノ


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作品展

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今月21日、東京王子の北とぴあにて、以前講師をさせていただいていた書道塾の作品展がありました。
今回で30回目、今年で作品展は最後となりました。

30回ということは30年です。20回の時のお祝い会にも参加させていただきましたが、あれから早10年なんですね。

私のような外野は早10年、と言ってしまいましたが、塾長の先生、並びにスタッフの方々のご苦労は並大抵のことではなかったでしょう。
心よりお疲れ様でしたと申し上げたいです。そしてよく私なんか起用してくださいました。ありがとうございました。

ある年からずっと、ワンコインでの筆跡診断をやらせていただいていました。たった2時間の開催にもかかわらず、たくさんの方にお申し込みいただき、ありがとうございました。

筆跡は、ただ指先の運動によって生まれるものではありません。脳が書かせています。自分の脳にどんな傾向が刻まれているのか、それは書き文字に表れるわけです。

今年で最後ということで、いつも心にある言葉をと思い、【常若】と書き、茶掛仕立てに表層しました。

【常若】とは、いつまでも若々しくありたい、という願い。神道には、常にみずみずしさを尊ぶ思想があり、故に禊や祓を行います。魂、肉体、心、感情、あらゆるものが常に生気に満ちて美しいことをよしとする思想です。

伊勢神宮の遷宮、なぜ20年に一度なのか、様々な技術を継承させるためだけではないのです。
根本的に常にフレッシュ、穢れを知らぬまっさらな状態でありたいという思想故なんですね。


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