心法書道の慧竹です。

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

心法書道では、それぞれに好きな書を選んでいただいてそれを臨書していきます。

その手本の選択肢に入れるかどうか、つまり手本にふさわしいかどうかの確固たるポイントがあるんです。

 

何を書いているか(内容)ではなく、どんな心理状態で書いているか、ということ。

どんなに有名な書家であろうが、悲しみや怒り、失望や不安などのネガティブな気持ちの状態で書いたものは、手本の選択肢に採用しません。

 

2019年、顔真卿の『祭姪文稿』が東博に来た時、その凄みに圧倒されたのを覚えています。

 

 

筆の特性をこれほどに存分に活用し、自分の感情を表現した書があるでしょうか。

深い人間味が重厚で肉厚、粘りのある筆致として表わされています。

 

中国の国宝であり、歴代の皇帝が至宝だと蔵した書跡です。

好んで臨書される方がいますが、心法書道としては慎重に扱う書です。

 

一定期間、自分が選んだ書を臨書していく心法書道では、何か月もこの書だけに取り組むというのはどういうことかおわかりでしょう。

書いた時の顔真卿の心理・精神状態を想うと、その心理に長期にわたって寄り添うことは決して良くありません。

ですから、顔真卿の書は採用していますが、『祭姪文稿』は入っていません。

 

つまり極端に言うと、悲しみや不安な気持ちで書いた「夢」という文字と、前向きで意欲にあふれて書いた「死」という字であれば、臨書するなら「死」がふさわしいということ。

 

心法書道の臨書は、書いた人の深層心理を自分に落とし込む作業です。

今の自分の状態を、より良く向上させるために効果的な書を書き込んでいきます。

 

さて、ではこの書はどうでしょう?

 

 

藤原佐理の離洛帖です。

ある人物にバツの悪いことをしてしまい、甥にそのとりなしを頼んだ書状なのですが、恐縮とか、申し訳なさとか、感じられませんね、それどころか書き進めるにつれ、気分が興じていくさまがなんとも大っぴら(笑)

 

 

彼はその人生において粗相が少なくなかったようで、評判が良かったとはいえない人物と伝えられています。ですがそれをも凌駕してしまうほどの芸術センスと、評判など全く意に介さないあっけらかんとした人間性があったに違いありません。

そしてこの仕上り。何を書こうが心理は隠し切れない。

 

 

via 心法書道
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