ひとつのよくない習慣について | 風が吹く日も、雨の日も

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着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 最近人との関係に悩むことが重なり、大きなストレスを感じていました。
 人との関係ではどちらか一方が悪いということは少ないことと、どちらか一方の思いではいかんともし難いことを思います。

 ことの発端は、あるひとりの友人との関係でした。
 その人は何年か前(と言っても5年も前ではありません)から知ってはいたのですが、昨年までは意識的に関係が近づくのを避けていました。
 SNS上で知り合った方で、今より開放的な雰囲気があった時に、不意に飲み会にやってきました。
 当時その人は別の人との関係が上手くいかなくて、それが元でSNS上で不思議な発言をよくしていました。
 その一件が片付いて後に、余裕ができたのかいろいろしんどそうにしている私に声をかけてくれるようになりました。
 その時の私は仕事のことや子供さんのことでかなりしんどい状態の中にいました。
 そんな私を元気づけようと自分が幹事をした飲み会に何度も誘ってくれました。

 しかし、最初は丁寧に断っていました。
 その人に対して警戒心がありました。
 また、同じ飲み会に別の人を誘う言葉に納得できないと思ったこともありました。
 ただ、その人が私に気遣ってくれていることは本当だと思ったので、やがて私はその人の飲み会の常連となり、飲み会だけでなく、SNS上で、また別のイベントで同じ時間を過ごす機会が増えていきました。

 私はその後仕事も子供さんの状態も落ち着く方向に向かいだし、その人も新しい友達関係を作って、お互いに元気になってきました。
 昨年は共通の友人が増え、大人数でわいわいとする機会が本当に沢山ありました。

 ある時、その人は体調を崩しているのをおして飲み会にやってきました。
 お酒を飲んで、今までにないことを大きな声で繰り返し言い、場の雰囲気が完全に壊れた上に、お店や他のお客さんにも申し訳ないような状態になりました。
 その時に言われた言葉は、ひどく痛いトゲのように刺さりました。
 次に会った機会にその人は平身低頭で謝罪しました。
 私はその人を許さなければなりませんでした。

 その後、その人の言動や行動に「?」と思うことが何度か重なりました。
 その人が変わったな、と思い始めたのはその頃からです。

 その人が本当に変わったのかどうかは、判りません。
 少なくとも私にはそう感じられたのですが、別の見方をすればその人はなんら変わってはおらず、その人本来の個性が今まで以上に現れてきただけかもしれません。
 或いは、その人の持つ個性はいくつもあり、その時々でどれが目立って現れるのかが変わってくるだけなのかもしれません。

 ただ、今までにない個性を現すその人と、どうつきあっていけばいいのか私は判らなくなりました。
 その時になって、突き刺さった言葉を抜こうとしたら、過去にその人に対して抱いていた警戒心や不可解さが一緒になって出てきてしまったのでした。

 私にはよくない習慣があります。
 自分の気持ちや欲望より、相対する人の意向を優先する習慣です。
 これは、私を意のままにしたい親の教育の結果であり、未だに私の生活の随所で顔を出します。
 とても単純で重大なことだと、トイレに行きたいと思ったときのことが挙げられます。
 行きたいなら行けばいいという単純なことですが、私は「行きたい」と思った次の瞬間、我慢の態勢に入ります。そして、周りを見回したり前後の予定を鑑みて、問題がないと判断できたらやっとトイレに行くのです。
 もしその時に子供さんが話しかけてきたら、そのまま我慢して話しの途切れるタイミングを図ることになるでしょう。
 もしその時母親に用事を頼まれたら、迷わずその用事に取り掛かるでしょう。
 自分の気持ち、したいことより、目の前の相手の意向を優先してしまう、その時の状況に水を差さないように行動しようとする習慣は、それがある程度できる力があってこそではありますが、先ほどのトイレのことに始まって生活全般に深く影響の出る行動の習慣で、ひいては自己肯定感を著しく低下させる要因になっていると考えています。

 私はこの習慣の為に、人生の中で何度も直感的に感じていた違和感や危機感を見逃し、不利益を被ってきました。
 今回のトラブルも、私側の問題としてはこの習慣がその原因になっていると思っています。
 つまり、もともと警戒が必要と感じていた相手であるのに、相手がこちらに好意を示しているので相手の好意を優先して自分の警戒心を引っ込めてしまった結果が今の状態を導いていると考えています。

 その人に非がないとは言いません。
 しかし、私にも隙があったのです。
 それを自覚した今は、あぁまたか、と言った気分です。

 人は変わります。
 その人の様子が変わることについては、どうしようもできません。
 そのことをその人自身が自覚しているのかどうかも、自覚していたとしてそれをどう考えているかも知る由はありません。
 私が思うことと出来ることに集中するしか、私には出来ることがありません。

 とりあえずは、またひとつ人生のエピソードが増えたなと思うことです。
 人との関係が上手くいかなくなることは、辛いことです。
 まだ辛い状態から抜け切ってはいないのですが、「また、やったね」と自分に言ってあげることです。

 このよくない習慣をなくすべく日々努力をしていますが、一朝一夕ではそれができない為に沢山のエピソードを経験することになります。
 それは今後も続くでしょう。
 映画があるとして、その登場人物は別の登場人物に振り回されて苦悩するのですが、それを劇場や家のテレビで見ている人はその様を見て笑ったりもらい泣きしたりするのです。
 物事は近くで見ると深刻ですが、遠くから見れば大体喜劇になります。

 今まで40年以上生きてきて、人との関係は、相手が同じ人でも変わることを経験しました。
 現実だけでなく、SNSというバーチャルな世界のこともあるので少し生活は複雑になっていますが、要はどれだけ自分を保って(主体性を持って)生活していくかにかかっています。
 簡単に言うと、自分はどんな気分でいたいか、どんな生活をしたいか、誰といたいか、そんなことです。それを確かめて、そうなるように努めます。

 気持ちに刺さったトゲは、知らぬ間に消えてなくなっているかもしれません。
 消えない傷痕になるかもしれません。
 それは、今判断できることではないのです。

 一番大事なことは、自分を否定しないで、ポジティブでいることです。
 相手がこちらをネガティブにとらえているかもしれない、みんな相手が引き連れていってしまってひとりぼっちになってしまうかもしれない、そんな恐ろしい不確かな妄想に引きずられないことです。

 この話しには続きがあり、考えさせられることが多過ぎるのでまた続きを書きますね。