1970年6月8日 最高幹部・高原浩之逮捕(赤軍派) |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
■1970年6月8日 最高幹部・高原浩之逮捕(朝日)

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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-1970-06-08 朝日 [赤軍] 高原浩之逮捕


 よど号事件以来、残党を指揮していた高原浩之が逮捕された。高原は遠山美枝子(連合赤軍リンチで死亡)の夫である。


 遠山美枝子は「最高幹部の妻」の地位があったため赤軍メンバーから特別扱いを受けていた。後の連合赤軍の山岳ベースにおいて、遠山が永田洋子から「なんで山に来たの?」を糾弾されるくだりがある。



永田「あなた、なんで山に来たの?」
遠山「なんだって、軍事訓練に来ました」
永田「違うのよ。あなた自身どんな気持ちできたかということよ」
遠山「私は革命戦争をさらに前進するために、自ら軍人になり、革命戦士になる必要性を理解したから。世界革命戦争の持久的対峙段階においては、先進国における革命戦争の発展が必要であること・・・」
永田「あなた自身、どのような気持ちで山に来たの?あなたは自分自身のことをちっとも語っていないじゃないの。なんで山に来たの?」
遠山「何を言えばいいの?」

(「赤軍ドキュメント」)



 遠山はなにを聞かれているのかさっぱり理解できなかったが、 このとき永田は、「遠山は最高幹部の妻の地位を得るために高原と結婚し、高原が逮捕されるや今度は森恒夫にのりかえ、連合赤軍に合流した」と決め付け、そう言わせようとしていたと思われる。


 リンチを受けた後にも繰り返し追求され、遠山が質問の意図に気づいたとき、なげやりに「オヤジさん(森)が好きだったの」と迎合してしまう。迎合すれば厳しく批判されるのだが、迎合の心理はリンチを受けた他のメンバーにもたびたびみられた。おそらく冤罪事件で刑事の厳しい追及にウソの自白をしてしまう被疑者と同じ心理なのだろう。


 だいぶ話が横道にそれてしまったが、高原浩之の逮捕により、赤軍派はついに森恒夫が最高指導者になったのである。


■主な逮捕者

 このころ毎日のように赤軍派メンバーが逮捕されている。主な逮捕者は以下のとおり。


1970年5月5日 赤軍派東北地区責任者・梅内恒夫公開手配
1970年6月8日 赤軍派最高幹部・高原浩之逮捕
1970年6月8日 赤軍派幹部・佐藤公彦逮捕
1970年6月10日 赤軍派最高幹部・物江克男逮捕
1970年6月30日 赤軍派幹部・上原敦男逮捕
1970年6月30日 保釈中の松田久を収監


 梅内恒夫は植垣康弘に爆弾製造を伝授した師匠である。後の浅間山荘事件のとき警察は梅内が立てこもっていると信じていた。2010年現在もなお消息は不明で、海外逃亡説、死亡説などがささやかれている。


■1970年7月30日 ゲバ棒去って興信所儲かる(毎日)
 このころ紙面をにぎわせていたのは、赤軍派や革命左派だけではない。第二次安保闘争、内ゲバ、大学紛争、反戦教師、高校学園紛争、反戦自衛官、沖縄米軍内反戦組織、裁判紛糾運動・・・毎日てんこもりなのである。こうしためちゃくちゃな時代に急成長した産業が興信所であった。現在では興信所といえば浮気調査と相場が決まっているが、当時、企業にとって、学生の活動暦の調査が内定の重要なポイントになっていた。それをあてこんで「にわか探偵」が急増したそうだ。