「置かれた場所で咲きなさい」
この本の著者の渡辺和子さんの事をTVで見た。
修道者として生きる渡辺さんの言葉は、どれも心に響いて私はそのTVに釘付けになった。

そうだ、本を買ってこよう。
もっとちゃんと話を聞きたい。
そう思ったのに、店頭では見付けられなくてネットで探した。
この本を読んだ人のレビューを読んでみたら、あまり評価がよくない。
不思議だった。
なんでだろ。

「これは生活に余裕がある人が読めば感動する本」
「現状に追い込まれている人には辛い言葉ばかり」

そんなようなレビューがあった。

その中に、
「私達には足がある。言葉を発する口がある。それなのに何で置かれた場所で我慢して生きていかなきゃならないのか。自分が自分らしくいられる場所を探して、そこで花を咲かせちゃいけないのか」
と書いていた人がいた。

そうだよな。
今は昔とは違う。
我慢に我慢を重ねて、置かれた場所で必死に生きても、報われず、逃げる事も出来ず、耐えきれずに自殺にまで追い込まれる人がたくさんいる。
その人達に、同じように、
「自分が変わらなければ、周りは変わらない。置かれた場所で咲きなさい」
と言えるだろうか。
その言葉は救いになるだろうか。
皆そんなに強くない。
変わりたくても変われない。
「置かれた場所で咲きなさい」
というのは、救いじゃなく、
「その場がどんなに辛くても、逃げる事は出来ないんだ」
という呪いのような言葉に聞こえるんじゃないだろうか。

「神様は、乗り越えられる試練しか与えない」
そうだろうか?
試練なんてなければないほうがいい。
乗り越えられない事だってたくさんある。
私は、自分が壊れてしまうくらいなら、そこから逃げ出す勇気があっていいと思う。

逃げていいじゃないか。

自殺らしく咲ける場所を探していいじゃないか。

渡辺さん。
私は弱くて駄目な人間です。