「自由貿易」が日本を滅ぼす③前編~ソウルメイトの思想 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日はソウルメイト様の寄稿コラムをお送り致します!

 

ソウルメイト様の寄稿コラムを通して、「自由貿易=善」に疑問を持つ国民が一人でも多く増えることを願います。

 

それでは皆様もじっくりとご覧くださいませ!

 

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『「自由貿易」が日本を滅ぼす③前編』~ソウルメイト様

 

表現者 2013年 11月号 [雑誌] 表現者 2013年 11月号 [雑誌]

 

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今回は、雑誌『表現者』「保守による『保護主義』のすすめ」に掲載された「『自由貿易』が日本を滅ぼす」のご紹介の最終回です。

こういう雑誌が現代日本に存在することは得難い貴重な“お宝”のようなものと言ってよいとわたしは思います。ぜひ本稿をお読みくださったみなさまにおかれましても、雑誌「表現者」のご支援、ご愛読をたまわらわことを願う次第です。

では、早速、引用を開始したいと思います。

──
大戦争なき時代における価値への渇望 

柴山▷人類は同じようなことを繰り返すのではないか。例えばシュペングラーの言う「秋の時代」は一九世紀から始まった。確かに一九世紀は素晴らしいけれども酷い時代なんです。あの時代の帝国主義は今と似ていて、イギリスの利益集団がプランテーションを作りたいからとアフリカに侵略する。昔はもっと野蛮ですからね。今はできないので、こっそりとかんぽを攻略するけれども、昔は軍隊を送ってやってしまう。セオドア・ルーズヴェルトなんて、借金を返さないとドミニカの税関を軍隊まで派遣して押さえたりしていた。

高橋是清の時代の本なんか読むと、一九二○年もかなり酷い時代だったみたいですね。日本人は悪い意味で個人主義的でちっとも協力しない。グローバリズムという言葉はまだなかったけれど舶来のものは素晴らしいという風潮があって、こんなんじゃ駄目だと書いていた。昔が良くて今が悪いわけじゃなく、人類は上がったり下がったりを波のように繰り返すのではないか。よくも悪くも三○年代は戦争になって、そこから戦後の一時期まではステイト・キャパシティが強化された。でも、せっかく作った仕組みが今また壊れている。短期的にはまた復活しないとも限らないけれども、長期で言ったらシュペングラーは正しい。二、三百年のスパンで言ったら、どうにもならないところまであくんでしょう。

西部▷今はもっとペシミスティックなのは、かつては秋から冬にかけて国内にはフラストレーションがあり、国際的にコンフリクトが増える時には戦争で処理した。結構の殺戮シーンを演じることによって、人々ははたと我に返って、いの一番から始めようと次の年の春が来たものだけれども、今はアフガンなどはあるけれども、世界をリードする大国の間ではできないのは「核」の一番犯罪的なところだね。

中野▷戦争をやらせてくれなくなってしまった。

西部▷戦争という形で処理できないものだから、矛盾がいつまでも解決されない。

中野▷戦争で処理していると言うよりは、戦争は組織動員の最も芸術的なものであって、組織動員の粋を集めている。

西部▷叱られるからあまり言うんじゃありません(笑)。

中野▷戦争の後は、社会科学が発達します。戦争の必要があるから統計を猛烈に整備するわけです。それこそ橋下市長ではないけれども、性の処理まで考えて動く。

西部▷文化人類学だってみんな戦争と共にです。

中野▷文化人類学は、帝国主義の産物ですからね。戦争の必要性や戦争の経験を踏まえると、人間の知性、組織的に育まれる知性は急激にアップする可能性がある。

柴山さんが言うように若干落ちてまた戻るのかなという気はします。ちょっとはリバウンドがあるとは思いますが、ただペシミズムに傾きがちになるのは、百年に一度の世界恐慌に匹敵する危機だと言われて、二十世紀初頭に起きたことがまた二十一世紀初頭に起きている。だけど二十世紀初頭と二十一世紀初頭を比べると、どう考えても二十世紀初頭のほうが色んな学者とか知識人、政治家がキラ星のように出てきた。

政治家だって、いい悪いではなくて化け物がいっぱい出たわけです。ヒトラー、スターリン、ルーズヴェルト、チャーチルとかとんでもない奴がいっぱい出てきたけれども、今はそういう奴が出てこない。学者だってケインズは出てくるは、哲学だって実存哲学はあの時に出てくるわけです。

今現在、経済学者は誰が出てくるか。嫌いじゃないけれどもスティグリッツとポランニーではポランニーのほうがはるかに上だし、クルーグマンとケインズじゃ比べ物にならないし、理論的な革新も出てこない。今言ったまともな人たちは二十世紀初頭のまともな議論の焼き直しを、僕も含めてやっているだけですよね(笑)。

柴山▷凄いのはたいていヨーロッパ人で、アメリカの時代になった瞬間にそういうものがなくなってしまったのかもしれない。

中野▷何も新しいことなんか言っていないという自負が私なんかあるくらいです(笑)。なんで百年前から言われているような、この程度のことが分からないのか。

施▷どちらかと言うと周期性のあるサイクル的なものと言うよりも、中間共同体など人間を連帯させるものが壊れてきてしまっているので、文明の力は落ちっぱなしになるような気がします。シーダ・スコッチポルという歴史社会的観点から研究しているアメリカの政治学者がいるんですけれども、彼女なんかは一九五○年代、六○年代が民主主義の絶頂期であって、これからはどんどん落ちていく一方であるという言い方をするんです。

中野▷資本主義の絶頂期もその頃だと言われています。

施▷昔はさまざまな中間共同体や今で言うところの業界団体がたくさんあった。そういうものがそれぞれ人を集めて、団体同士の交渉という形で人々を動員して民主主義は盛り上がっていったんだけれども、それが一九五○年代、六○年代を絶頂としてだんだん落ちてきている。そこには新自由主義の勃興もあるんでしょうけれども、中間共同体とか業界団体は壊れる一方で、これから新しくできるのか。

西部▷必然的に壊れると思う。でも人間は不思議なことがあって、壊れることを自覚し壊れっぱなしでいいわけはないと認識する。次に再建するために、保護、保守するためにはどうすればいいかを考えざるをえない。富岡さんに聞いてみたいのは、昔だとそういう時にはある種の宗教運動が起こってきた。

宗教も一部の哲学的なことも含めて、ある種の形而上の世界に議論を追い込んでも、すでに世界が完全に形而下(化)していますから、ゲルトウントガイストつまり「貨幣と情報」でね。

富岡▷ガイスト(情報)=ゲルト(貨幣)になっていますからね。

西部▷(福沢)諭吉も(中江)兆民も精神のベースは武士道です。武士道の凄さを哲学的に言えば形而下に議論をとどめることです。簡単に言えば最後死ねばいいんだという調子で、形而下にとどめていくところがある種の凄さだと思う。解釈すれば形而下にとどめる中に実は形而上も含まれているんだけれども、表現上は形而上を出さないという意味での形而下です。

そう考えみたら今、我々に可能なことと言ったらTPPであろうが英語公用語化であろうが、一つ一つの問題を巡って武士道的な物言いを直接的に出さずに、しかしそれを死ぬまで言い続けるしかないのではないか。

恐らく各国でごく少数派がそういうことをやっているはずです。それこそスティグリッツを含めてね。ポール・クルーグマンはよく分からないけれども。

中野▷あれは怪しいですね(笑)。

西部▷兆民が『続・一年有半』を、最後一冊の参考書物もなしに病院の特別室で十日間で書くんです。人間結局、同じことを百年前でも考えるのかと思ったのは、僕は保守思想たら言うものをやっていた時に物事をテーゼ化すると、物凄く凡庸なことしか言えないとはたと気が付いたんです。今、武士道と言ったけれども、公正でも、適正でも、正義でもいいんです。

ところがこれを凡庸として片づけてはいけないと兆民は言う。全ての正理(正しい理屈)は凡庸であるが、この現下の状況の中でこの凡庸なる正理をいかに実行力するかに関して、猛烈に頑張ろうとしている少数者がこの世に生まれつつあると一世紀ちょっと前に言う。そういうところに議論を持っていけば、今も結局はそうなのではないか。マーケットは安定的ではないなど、先ほどから僕らが言っていることは恐ろしく凡庸だよね。

富岡▷宗教で言えばシュペングラーの「西洋の没落」と言うよりは近代文明そのものの没落ですね。それに対して二十世紀後半の宗教原理主義が出てきた。もちろん宗教原理主義も宗教の没落なんですけれども、非常に過激な形で出てきているのは確かです。没落していく大きな近代文明の中から断末魔として宗教原理主義と言えるものが出てきている。

アラブの内乱ですが、この戦争が不可能というか局地的にはありますけれども、大きな戦いという世界大戦がなくなった中で、ああいう形で内部での反乱が無数に起こっている。

恐らくそれも没落過程の一つの風景となっていくのでしょうが、これは一体何かということをしっかり見ていく必要があります。

西部▷NHKの番組で見たんですが、ギリシア神話でレズビアンが発祥した島と言われているレスボス島に、今やアフガニスタン人とシリア人が次々と亡命してくるわけです。十三、四歳の少年の話はアフガン人で家族共々戦地を逃れて、勘定してみたらパキスタン、イラン、トルコを経由してエーゲ海にゴムボートで乗り出した。当然ながらギリシアの警備隊は押し返そうとしてくると、乗っている数十人がゴムボートをナイフで切って沈没する。つまり沈没させると数十人が漂流しますが何人かが生き延びるわけです。ほとんどが死ぬなり捕まって送り返されたりするんですが、その男の子は家族全員が死んで一人だけ辿り着くわけです。同情していっいるわけではなくて、そういう現実が局所的に世界にあると想像して考えると、武士道くらいひょっとしたら容易いことかもしれない。

色んな情報を見ていると、今の世界はもう駄目だなと思うと同時に、家族が数年のうちに全部死んで一人でレズビアンの島に辿り着いた少年の気持ちになれば、結構なことができるという議論もできる。

富岡▷日本の報道はアラブの民主化とか全部嘘ばかり言っていますが、実際は違う要素がありますね。

西部▷あるジャーナリストに聞いたんですが、「グローバルの時代と批判するけれども、もしもグローバルな時代で日本が駄目なら、アメリカに行けばいいじゃないですか」と若い社会学徒が発言しているらしい。言葉の世界が異様に現実性がない。他方で、砂漠を渡って一人だけ生き延びた少年の現実があるわけです。

富岡▷明治の武士道だって、武士がいなくなった時にエートス(道徳)として出てきているわけですからね。そこに何か一つの力の場としてのものがある。

中野▷明治に武士がいなくなって出てきた武士道は、形而上に上がっていってしまったのではないですか。形而下にとどまった武士道は宮本武蔵くらいではないでしょうか(笑)。あれは本当に相手を叩き切ればいいみたいな感じですからね。

 

(了)

 

   

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