冬休み☆疎開保養プロジェクト ボランティアスタッフとして参加して | 放射能から子どもを守る『心援隊』のブログ

冬休み☆疎開保養プロジェクト ボランティアスタッフとして参加して

こんにちは!
今回、「冬休み☆疎開保養プロジェクトin箕面」に
ボランティアスタッフとして参加させていただいた、加納です。

このプロジェクトを通して、
わたしなりに感じたことを
書かせていただきます☆


わたしは、2011年3月に原発事故が起きてから、
毎日毎日、色々調べたり講演会を聞いたり、
たくさんの情報収集をしてきました。

知れば知るほどにおそろしい放射能、、、

わたしには2人の姪っ子(3歳と6歳)がいます。2人とも大阪在住ですが、ひとりは、産まれつき心臓に小さな穴が空いていて、とても心配だったので
事故直後からは、内部被曝を極力避ける生活に変わりました。

海外サイトで風向きを調べ、必要ならマスクをし、特に食生活は産地や製造過程も調べ、牛乳、卵、キノコ類、魚も食べないようにしています。

ずっと、なんで福島の子供たちを避難させないのか、親達に対して憤りすら感じていました。
仮にもし自分の姪っ子たちが福島に生活していたとしたら、なにがなんでも遠くに連れていったことだろうと思ったからです。

今回ボランティアに応募したのは、福島の人達が一体どんな気持ちでいるのか直接知りたかったのと、やはり1番は子供たちが心配だったことです。疎開に踏み出す一歩への手伝いがしたいと思ったからです。しかも箕面だったら行きやすいな、というのがありました。

家族さんに会った最初、子供たちの顔色の白さやらクマがすごく気になりました。でも、日が経つにつれてどんどん血色も良くなり、ずっといられたら、、、とますます思います。

ただ、子供たちみんな、ほんとにほんとに何があっても、お母さんのことが大好きで仕方がないのがつたわって来たし、お母さんも、今目の前にある精一杯の選択をしながら不安な毎日を生きているのだ、というのが分かったとたん、今まで持っていた疑問や憤りが無くなりました。

それでも、やはり移住してほしいです。福島の事故は、チェルノブイリよりもずっとずっと怖い状況です。子供たちが苦しむのはいやです。

お母さんたちにとって、今回のプロジェクトによって、1つしか無かった選択肢が、2つにも3つにも増えたことは、間違いないと思います。

それに、土地を離れてでも生活できる自信も少しはついたと思います。みんなが大阪の人達、スタッフ達、と知り会って、心を許して悩みを打ち明けられる関係ができたことこそが、なにか強い突破口になると思います。

以上です。
ありがとうございました!